ギタリスト岡本博文 生徒諸君!

プロギタリストのリアルな経験談、本音を語って行きたいと思います。

ウエノ診療所の30周年記念会に出席してきた

2022-09-21 09:56:30 | Weblog

先日、ウエノ診療所の30周年記念会に出席させていただきました。

精神科の院長、上野光歩先生から誘われて、そこのクリスマスパーティーで
年に1回ギターを弾いて『ウエノバンド』のサポートをするようになって、5、6年。
職員でもあるバンドのメンバーさん達とも懇意になり、出席と相成った。
京都の一流ホテルの一番大きな宴会場で、OB現役従業員が集まっての祝賀会です。

「つまらんかしれんけど、1時間、僕の話を聞いてくれるか」と
先生に言われて出席させていただいたが、大変感動することになりました。

先生のキャリアの発端は、岩倉病院。
1980年、僕がやれウェザーリポートだ、渡辺香津美だとか、言ってた頃、
病院の患者の強制入院が90%、閉鎖病棟が80%
つまり、当時は、精神疾患と診断されると鍵のある部屋に閉じ込められ、
10年以上閉じ込められる。そう言う場所だったんだそうです。

人権の侵害を感じて、開放化運動の尖兵になったのが、先生達だったそうです。
活動が続くうち、1987年、国連人権委員会がその現状を憂慮し、日本に勧告。
精神保健法が作られ「患者の人権擁護をと社会復帰の促進」が明記され、
法的な後押しが得られたのだそうです。

上野先生は「心の病は要するに、心が風邪を引くこと。
しかし、風邪をひいたと知れたら、牢屋に入れられるから、みんな黙ってた訳です」とのこと。

牢獄のようなところに入れず、地域で応援する、と言う理念で医院を始めたところ、
毎日、たくさんの人が訪れるようになり、ウエノ医院は大きくなり、
言わば「精神科で開業できる」と証明したようなものだから、
全国にたくさんの「メンタルクリニック」が出来るようになったとお聞きしました。

最初、5人(だったと思いますけど)から始まったスタッフは、今や100人規模になった。
小さな運動だったものが、30年の中で、いつも後追いで法律が改正され、現在の状況になった。
いわば、30年かけて、やっと日本がウエノ診療所に追いつきつつあるのです。

あるスタッフさんは「僕がここで働くようになった時は20代だった。先生も僕たちも歳をとった。
最初は運動だったが、始まりを知らない人が多くなり、これからは事業として管理していく必要が出てきた。
私たちのやってきた気持ちはどう受け継がれていくのか?というところですね」

テーブルで、いつもはしない話をバンドメンバーから聞くにつけ、
壮絶な現場だなあと思いました。音楽を仕事をしていて、人は死なない。
彼らが、変えてきた世の中での仕事は、本当に素晴らしいと感じました。

いつも、彼らと会って感じるのは、不思議な人間の許容量。
ややゆるく感じることも多いのだけど、やんわり束ねられた花束のように、
美しくたおやかに結束している空気があります。

講演の最後に、先生が、
配られた冊子の一番最後のページに書いてある、「原則と共通の価値観」としてまとめられた
9つと7つの項目を音読されました。そのまま、全ての人との関係に当てはまる、と僕は思いました。

僕は、今後、時折このいただいた冊子を見返すことになりそうです。
これについては、機会があれば書きたいと思います。

このご縁をいただいて、ありがたく思います。
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今回もウエノバンドのメンバーは、練習しないし(笑)どうなることかと
毎回思うのですが、タケちゃんが歌う「Let It Be」も、上野先生が最後に歌う「花」も、
いつも泣きそうになるのは何だろう。と思う。

「うまいですよ!」と言うと全員が「そら30年同じ曲ですもん」とおっしゃる(笑)
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スピーチもたくさんあったんですが、僕の印象は、
精神科で働く人は、明るくて、何やかんや言って、人前で話すのが好き。

そして、とってもみんなが音楽が好き!










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