最近日本舞踊の重鎮から日本舞踊と古典芸能の本を段ボール箱で十数箱わけていただきました。先日1箱目の封を切り、『芸十夜』という本をとても興味深く読み始めました。歌舞伎と能、狂言を中心に日本の伝統芸能に関して武智鉄二さんと坂東三津五郎さんが縦横無尽に語り合っているのですが、あっという間に読み終えることができました。武智鉄二さんの名前は知っていたのですが、『芸十夜』を読み武智さんについて調べてみるととてつもない昭和の怪人であると同時に知の巨人であるという印象を受けました。松岡正剛さんが武智さんの人物像について好意的に書かれていますが僕は『芸十夜』を読んで松岡さん以上に武智さんの熱烈ファンになりそうです。もしかしたら僕が勉強不足かもしれませんが、寡聞にして武智さん以上の古典芸能に造詣が深い方を知りません。武智さんは京都大学に入学した昭和7年に速水御舟の「あやめ」という作品を佐藤梅軒というお店で五百円で十回分割で購入した話がとても楽しいエピソードとして芸一夜に書かれています。御舟に関しては武智さんは第八夜でも坂東三津五郎さんとの対談で
「今は御舟を見たってわからないのは、高くなっちゃってるからわからないんで、あの頃の御舟というのは、画商からは疎外されてたんですよね。僕の知ってる書画屋さんがこぼしてましたけども、御舟さんは後継者がしっかりしてるから画料が高いんですって。それで画料を五百円とられて、展覧会に出すと売れないというんですね。で、売れ残ったのを三百五十円で売って、結局、御舟の絵を頼むと画商は百五十円損するんですって。だけど御舟がいないとほかの絵描きさんが描いてくれないから、これは展覧会の宣伝費だと思って描いてもらってると愚痴をいってましたけれども、それほど画壇の玄人は認めてたんですが、一般の鑑賞家たちは買わなかったんですね。栖鳳が二千円もした時代ですからね。」と述べています。この点については時代考証をじっくりしたいと思います。また誰か詳しい方がいたら是非教えてほしいですね。(ちなみに今竹内栖鳳の日本画は猿の絵を除けば数十万円に値崩れしてしまいました。)
榊原紫峰さんが「自分は絵はまずいけれども、絵を見ることはうまいという自信を持っていた」と言い、天才というのは歴史的に一世紀に二人しか出ない、一人は速水御舟、もう一人は村上華岳。村上華岳の絵には遊びがある、その遊びがあるだけ御舟よりも格下である。
それから数年後に御舟は亡くなってしまうのですが、死と対決する芸術とは一体なんだろうか、という疑問が武智さんの芸術観に深く関わっている気がする、と述懐しています。芸術というものは死を賭けるものであり死と対面するところに芸術がある、と悟るのです。武智さんは速水御舟が亡くなってから、数多くの御舟作品をコレクションすることを通じて「歌舞伎も日本画も同じだと思うのは、だいたい絵画というのは立体のものを平面に写すという、虚構の約束があって、その嘘をどうやって埋め返して克つかということなのですね。だから虚構が輪郭にあって、そこまで自分の表現というものが虚構いっぱいに広がった時に、芸術家は虚構と一つになって死ぬんだというふうに考えたんですね」という考えに到達する。
日本絵画について武智さんは「芸十夜」の中では宮本武蔵と俵屋宗達について触れています。鋭い芸術観がさりげなく披露されています。「芸十夜」という本の中で美術については上述したこと以外はあまり触れられていないのですが、武智さんの卓越した見識と経験を追体験できるなんてとても幸運だな、と思います。
彼は本物の知識人であり、行動するエンサイクロペディスト [encyclopedist]だと思います。これからもっと光が当てられるべき人物ではないでしょうか。

この絵を武智さんが購入したものかは現在不明です…
「今は御舟を見たってわからないのは、高くなっちゃってるからわからないんで、あの頃の御舟というのは、画商からは疎外されてたんですよね。僕の知ってる書画屋さんがこぼしてましたけども、御舟さんは後継者がしっかりしてるから画料が高いんですって。それで画料を五百円とられて、展覧会に出すと売れないというんですね。で、売れ残ったのを三百五十円で売って、結局、御舟の絵を頼むと画商は百五十円損するんですって。だけど御舟がいないとほかの絵描きさんが描いてくれないから、これは展覧会の宣伝費だと思って描いてもらってると愚痴をいってましたけれども、それほど画壇の玄人は認めてたんですが、一般の鑑賞家たちは買わなかったんですね。栖鳳が二千円もした時代ですからね。」と述べています。この点については時代考証をじっくりしたいと思います。また誰か詳しい方がいたら是非教えてほしいですね。(ちなみに今竹内栖鳳の日本画は猿の絵を除けば数十万円に値崩れしてしまいました。)
榊原紫峰さんが「自分は絵はまずいけれども、絵を見ることはうまいという自信を持っていた」と言い、天才というのは歴史的に一世紀に二人しか出ない、一人は速水御舟、もう一人は村上華岳。村上華岳の絵には遊びがある、その遊びがあるだけ御舟よりも格下である。
それから数年後に御舟は亡くなってしまうのですが、死と対決する芸術とは一体なんだろうか、という疑問が武智さんの芸術観に深く関わっている気がする、と述懐しています。芸術というものは死を賭けるものであり死と対面するところに芸術がある、と悟るのです。武智さんは速水御舟が亡くなってから、数多くの御舟作品をコレクションすることを通じて「歌舞伎も日本画も同じだと思うのは、だいたい絵画というのは立体のものを平面に写すという、虚構の約束があって、その嘘をどうやって埋め返して克つかということなのですね。だから虚構が輪郭にあって、そこまで自分の表現というものが虚構いっぱいに広がった時に、芸術家は虚構と一つになって死ぬんだというふうに考えたんですね」という考えに到達する。
日本絵画について武智さんは「芸十夜」の中では宮本武蔵と俵屋宗達について触れています。鋭い芸術観がさりげなく披露されています。「芸十夜」という本の中で美術については上述したこと以外はあまり触れられていないのですが、武智さんの卓越した見識と経験を追体験できるなんてとても幸運だな、と思います。
彼は本物の知識人であり、行動するエンサイクロペディスト [encyclopedist]だと思います。これからもっと光が当てられるべき人物ではないでしょうか。


この絵を武智さんが購入したものかは現在不明です…