大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

後世への最大遺物 -内村鑑三-

2010-09-17 12:10:00 | 読書
読書人階級という言葉を敬愛する副島隆彦先生の学問道場で知ったのですが僕もその一員になりたくて日々意識的に本を読むように努めています。大学時代、友達の影響で意識的に本を読むようになり自分の無知無学ぶりに反省の日々です。十数年前に『後世への最大遺物』という内村鑑三さんの本を読み大変感銘しました。自分の人生の指針になる本として心のバイブルと読んでもいい一冊です。明治二十七年七月にキリスト教徒第六夏期学校において内村鑑三氏が講演した記録ですが、美しい考えが述べられいて瞠目に値することが多々あります。「この美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起ってくる」と内村鑑三は述べます。地球を愛した証拠をこの世に残してあの世に行きたい。そこでまず、一番大切なものは何であるか?お金です。最初にお金の大切さを指摘します。天文学者のハーシェルが彼の友人に「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」というエピソードを紹介しながらお金を残すことができなくても、事業を起こすことはできるだろう、と主張します。お金も事業ももし駄目であったとしても思想を残すことができる。つまり「私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる」

金も貯めれず、事業家にもなれず、思想を残したり、本を書くこともできず人にモノを教えることもできなくても人は誰でも『勇ましい高尚なる生涯を送る』ことはできるのです。「失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去る」

自分で自分を鼓舞することによって艱難(かんなん)に耐えながら勇ましい生涯を送ることの素晴らしさを内村鑑三は強く訴えます。三十代後半に僕はこの本をはじめて読んだ時に人生観が根底から大きく変わったように思います。内村鑑三という人の思想と生き方に全て同意できるわけではないですがこの本は本当に日本人の心のバイブルとよんでもいいと思います。

「われわれが何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたい」

「われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います」(内村鑑三)

最後にweb版でもここをクリックすると全文読めます。すぐに読めますので強くオススメします。

自分の半生でこの本に出会ったことは貴重な経験であり、心の財産です。



友達

2010-09-16 10:00:00 | 日記
ときどき友達ってなんだろうと自問することがあります。「米国の社会学者ジェームズ・ファウラーによると、年収が1万ドル増えると幸福度が2%上がる」という説を唱えました。なんとなく米国らしいですね。また2008年に発表された英国の医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」によると「友人や家族、同僚、隣人が感じている幸福度が、あなたの幸福度にも影響を与えていると指摘している」そうです。友達が幸せになると自分の幸せのレベルも34%上昇するそうです。「必ず"幸せ"な人を友人にすること。"不幸"な人を友人にすると、あなたの幸福度が7%(3万5000ドルの損失)も下がる」そうです。世の中にはいろいろな研究があるのですね。
ときどき自分は友達だと思っている人が親切心なのか、単なる忠告なのかはわかりませんが、僕の噂話をどこかで聞いてきてそのままそっくり話してくれるのですが、すかさず「誰がそんなこと言ってるの?」と聞くと曖昧な返事に終始します。僕はそういう人を友達とは思いません。
英語の格言に A friend in need is a friend indeed.(まさかの時の友こそ真の友)というのがあります。まさに至言ですね。人生の成功というのを幸せな生き方と同義語とするなら、いい友達が自分の周囲に何人いるか、ときどき考えさせられる時があります。職業柄数多くの方と出会っているのですが…。

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以下、メモ

友ともてなし

深草アキ ~ 秋月風韻 Shugetsu- Fuuin ~ コンサート

2010-09-15 10:00:00 | 音楽
先日、約15年ぶりに秦琴の第一人者である深草アキさんのコンサートに出かけてきました。とても素敵な秦琴の音色に感動しました(以前友達とふたりでオッカケをしていました)。15年前の深草さんの秦琴の音色と先日の音色では明らかに違いを感じました。音がまろやかで奥行きがあり、かなりよかったです。中国の音楽の歴史においては「伝説以外に具体的な音楽の痕跡が最初に見られるのは、7000年~8000年程前に揚子江流域に発達した」(深草アキ)そうです。なんとなく悠久の時間を感じました。深草さんの音はとても澄みきっていて芸境と芸域は研ぎすまされています。僕の一番好きな『山百合一輪川に流せば』を演奏する前に彼は「命は縁によって右に左へと運ばれていく。人は小さな縁の中で生きている」「人は死に向って歩いている」と語ってくださいました。秦琴の演奏も素晴らしいですが、人間の儚い命を音楽でスケッチし、多くの人を感動させる活動は素晴らしいですね。また、彼の歴史観もスケールが大きくて知的センスに満ち溢れている方だと断言します。よかったら、深草アキさんの音の世界に触れてみてください。

深草アキ ~ 秋月風韻 Shugetsu- Fuuin ~ 2010年09月13日
常に新しい日本の音を求めてきた深草アキが、昨年の「STB139 スイートベイジル」ライブの編成から、今回は中国古楽器の編鐘(へんしょう)演奏家・孟暁亮を加え、再び新しい音世界を展開する。日本と中国の古楽器に迫力のパーカッションが加わり、まさに現代に甦った古の音色が織りなす悠久の音世界。

member
深草 アキ(秦琴)、豊 剛秋(笙)、甲斐 いつろう(パーカッション)、孟 暁亮(編鐘)


出版バブル

2010-09-14 12:00:00 | 読書
最近よく真夜中に目が覚めます。そんな時は本を読んだり、ぼーっと雑念にふけたりして数時間がたってしまいます。久しぶりに苫米地英人さんの『最強の自己プロデュース力』なりたい自分になれるを再読しました。
〈「抽象」は「具体」の対義語ですから、「抽象度が高い」ということは「具体度が低い」ということになります。〉
一次元から六次元へ…と次元を高め「n次元」の外側に出て自由に動き「n次元」の世界を外側から客観的に俯瞰できる世界が「(n+1)次元」ということになり、つまり抽象度が上がるということは次元が高くなるということと同義だそうです。自分の今現在の抽象度を知ることは自分を高めていくためのスタート地点を知ることでもあるのです。学力を知ることと同じことです。
〈「内部表現」とは、その人が現実世界だと認識した情報内容のことと言っていい〉
彼は第四章で「世の中のほとんどの人が騙されて奴隷として働かされる社会で人々が幸せになれるはずがありません」と述べ、資本主義を批判し内部表現を書き換えて奴隷化されることに対する疑問を持つことが重要だと主張します。個人的には同感ですね。「目標は「現在進行形」で設定しなければいけません。「目標を達成している自分から逆算した、現在あるべき自分」をイメージして、その臨場感を高めること」が大切なわけです。『スコトーマ』つまり盲点が外れる事によって世界の美しさに気付くのです。あらゆるものを高い抽象度で俯瞰すれば抽象度が低く小さな悩みは意味がなくなるので『火の鳥』を目指すことがとても大切なのですね。あっという間に再読したのですがこの本は本屋さんで立ち読みしてもいい本かもしれない、という印象を受けました。最近出版バブルという言葉を耳にしたのですが苫米地さんもその一人かも。

出版バブルに興味がある方はこちらをどうぞ
ウチダバブル  出版バブル




「銀座目利き百貨店」

2010-09-13 14:04:05 | 美術
 今日は銀座のギャラリーに向う途中に日本デザインコミッティー「銀座目利き百貨店」という展覧会をみてきました。会場には様々な「物を見る目の力が問われる仕事をしている方々」49名の店主の『商品』が展示されている、というか商店街が形成されていました。会場に入ったとたんに気分を害してしまいました。どうしてかというと、展示品は全て商品だったからです。すぐにいつものように頭を切り替えてせっかく来たんだから楽しもうと思い摩訶不思議な感覚を抑えながら30分くらいじっくりと商店街をウインドウショッピング。
小山 薫堂さんの商店には『文字の量り売り』と題して200字の原稿用紙に「雨が降るから虹が出る 虹が出ればみんなが笑う」「夫婦円満の秘訣 好きになりすぎない」「絶対に怒らないと約束してくれるなら、今隠していることを全部話します」という文章等々が文字通り量り売りされていて思わず笑ってしまいました。さすがに放送作家のこなれた文体とユーモア精神に脱帽しました。見開屋というお店は松岡正剛さんが出店していて「本は昔から二つの翼を広げるソフトマシーンだったのである」というコメントを寄せながら自分で作った大人の絵本らしきものを16万8000円という値段で売り出していました。正直にいうと、この方何か勘違い、というか思い違いして値段をつけたのかなと僕は思ったのですが…一桁間違えているんじゃないかな。かなり笑えました。そもそも入場料を払っているのに展覧会の会場に入って商品を買う、というのはなんとなく矛盾しているように思うのですが…でもよくよく考えてみるとこんなのもありかな、と思います。美術館なんかでも展覧会場に入ったら作品が買えるなら楽しいかも。ほぼ全員のコメントを読んだわけではないですが、展覧会の図録を買い求めましたので頭を冷やして冷静にテキストのコメントをじっくり読んでみたいと思っています。
入場料が800円は高すぎる。100円でいいと思います。☆(1以下)




図録の表紙を広げてみました。

ある本の運命

2010-09-12 17:33:36 | 読書
 昨夜北千住の飲食店でちょっとした隙に誰かに本を持ち去られてしまった。ものの数分間の出来事。生まれて初めての経験でした。とても信じられなかった。タイトルは「河原者ノススメ」著者は篠田正浩さん。日本の芸能の歴史を古代から検証し、被差別者の歴史的な考察を通じて日本の闇を切開し、芸能の未来への可能性を再考する労作。構想50年。二ヶ月前に購入してじっくり真剣に取り掛かろうって考えて、心の中で期を熟すのを待ちながら楽しみにしていた本でした。最近やっと読んでもいいかなと思いモチベーションも上がってきていたので読みかけ途中のアクシデントは結構ショックです。本を持ち去った人の目的は多分…古本屋に売りに…定価3780円。カバーがないので買い取り価格は恐らく200円でしょうか?ガックリ…本を持ち去った人はニッコリするのかな?日本の世知辛さを実体験できて良かったかも。何でもプラス思考の僕。今は取り外してたカバーを眺めてため息をつくだけ。かなり専門的な内容の本なので読み込むことは一苦労すると思うけど…また本屋さんで買い求めればいいけど、釈然としない心境です。昔、ある知り合いが営んでいる植物園で希少な山野草が持ち去られ、その場所に看板を立てて悔しさを滲ましていたけど、複雑な気持ちです。世の中本当に色んな人々がいるんですね。自戒しながら真面目が一番!そんな気持ちで気分転換して本屋さんに出掛けます。もしかしたら「まだ僕には読むのが早過ぎるのかも」

池内紀・評 「河原者ノススメ」

『苫米地英人、宇宙を語る』

2010-09-11 10:55:00 | 読書
最近、苫米地英人さんの『苫米地英人、宇宙を語る』(角川春樹事務所)を再読しました。割とじっくり読ませてもらいました。

彼は、「宇宙はなぜ存在しているのか?」その質問の答えは「寂しいから存在している」のですと、主張します。そしてまた、時間は未来から過去に流れるということを、東洋哲学では最初から言われているという仮定であり要請としてこの本を読んでほしいと言います。彼によると脳の寿命は200年くらいあり、これから100年後の人口の何十パーセントかは脳以外は全部人工物で造られた人間で占められる可能性があると大胆に予測します。100%人口脳でも人間といわれる時代が来る、そしてその人が人間かどうかは「心が人間かどうかということで判断するはずです」と。心とは、結論から言うと情報であるというわけです。宇宙は人間の数だけあり、人は誰でも自分にとって都合のいいこと、つまり重要な情報しか見ることができないし、認知することもできないのです。「たとえ同じ世界を見たとしても、誰も同じ世界にいないのです」唯識の世界では、宇宙は全て意識で存在している。要するに情報状態だと、2500年前に釈迦が悟っていたと言われているそうです。
以上は序章で、苫米地英人さんがわかりやすく持論を展開しているので、興味のある方は、ぜひ本屋さんに出かけてください。去年の暮れにこの本が出版されてから、約9ヶ月、「宇宙はなぜ存在しているのか?」を僕が自分なりに模索した結論は「楽しいから存在している」んです。苫米地さんとは、正反対の結論になりましたが、優れた学者の苫米地さんにはとても学ぶことがありすぎて、感謝の気持ちで一杯です。彼の主催するセミナーにも参加し有意義な経験をさせていただき、目から鱗。日々精進あるのみです。本書は、わかりやすく宇宙と脳と幸せについて述べられていて示唆に富むことが多々あります。苫米地さんは孤独な方なのかな?

幸せになりたい人は、今、幸せと思えばいいのです  苫米地英人


『建築家 白井晟一 精神と空間』オープニングレセプション

2010-09-10 18:56:00 | 美術

群馬県立近代美術館 [企画展] 建築家 白井晟一 精神と空間


今日、建築家 白井晟一のオープニングレセプションに出席してきました。展覧会場には数多くの白井晟一の設計図と建築した建物の写真、及び余技として続けていた書が展示されており、彼の生涯にわたる仕事が俯瞰できるように展示構成されていて、とても楽しむことができました。白井晟一さんの建築については、東京では渋谷にある松濤美術館や、秋田にある稲住温泉くらいしか知りません。稲住温泉には、十数年前に西馬音内の盆踊りを観るために宿泊した記憶があります。とても懐かしい思い出です。展覧会場で一番驚いたのは、幻の『原爆堂』のデッサンと数枚の図面の部屋です。思わずゾッとするような気配を感じる空間でした。『原爆堂』に関しては、白井昱磨氏が展覧会図録のなかで、「核の時代を生きる人間の存在そのものに内包される悲劇性であるという自覚を通して、その悲劇を乗り越える力をつかみとろうとする一人の建築家の挑戦であった」と述べています。雪国秋田での建築家としての苦闘から『未完の原爆堂』へと文明の悲劇に建築のテーマを変えていく経緯については、展覧会図録に詳しく述べらているので、関心のある方はぜひお読みください。とても有意義で示唆に富む内容です。年譜によると、彼は1928年(昭和3年)23歳の時に渡欧し、カール・ヤスパースのゼミに通い、哲学を学んでいたそうですが、僕の想像では、ヒューマニズムとマルクス主義の合一と融合を心の中で希求していたように思えます。1928年から33年までヨーロッパに滞在し、帰国後すぐに東京山谷の労働者街で孤児を集めて世話をしながら2ヶ月ほど暮らしたことにも、彼の理想世界の実現を垣間みることができそうです。とても興味深い行為だと思います。その後の彼の生き方については、どうぞ展覧会をご覧ください。

話は変わりますが、車でよく高速の関越道に向うとき、白井晟一さんが住んでいた虚白庵を車窓からちらっと眺めていたのですが、今年の4月に解体されたそうです。
「この日本経済システムの斧柯(ふか)をもって、無意識に執行された、野蛮極まりない暴虐は、闇の色彩を無惨な更地に換えた」(谷内克聡 学芸員)
この展覧会は白井晟一という人が、日本の闇のなかに光を求め続けた誠実な軌跡と痕跡を辿ることができる絶好の機会になるような気がします。
☆☆☆


図録表紙
視覚的にも充実した展覧会図録でとても楽しめる構成になっています。








重陽

2010-09-09 10:00:00 | 日記


小さな頃よく菊の酢の物を食べた記憶があるのですが、菊が食材として使われるようになったのは室町時代頃だといわれているそうです。元々は薬用として中国大陸から伝わってきたと伝えられていて、旧暦の9月9日に菊花酒(菊の花の酒)を飲む風習が今でもあり、日本人の春夏秋冬という四季おりおりの風習の一つとして、また日本人の美意識を象徴したものとしてとても忘れてはいけないものですね。今日は重陽の日。五節句の一つで旧暦では菊の花が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれているそうです。菊の花言葉は『高貴』だそうで、薔薇やカーネーションとともに出荷生産の多い花卉だそうです。小さな頃二本松の菊人形をはじめて見た時の衝撃的な出来事は今でも瞼に残っています。二本松市には二本松の菊人形という催しがあり見目麗しい光景を楽しむことができます。菊の花は葬儀の際に献花としてよく使用されるのですが歴史的にはフランス、ポーランド、クロアチア等の一部のヨーロッパ諸国において白菊が墓参に用いられ日本にも伝わってきたようです。
日本には350種類ほどの野菊が自生しているそうですが菊の花は漢方薬にも用いられ、解熱剤として用いられたり、視力を良くしたり、肝臓、腎臓、肺を強める効能があるといわれています。菊ご飯はまだ食べたことがないのですが、一度食べてみたいな、と思います。今日は菊花酒で重陽の日を自分なりに楽しもうかな。


菊花酒の作り方




メモ
もってのほかの由来

名前の由来が、『食べてみたら、このとほかに旨かったから』とも、 『菊のご紋を食べるなんてもってのほか』 からきてるとも云われる もってのほかは、紫色の秋に採れる菊で、食用菊の王様です。



北京の夜

2010-09-08 16:02:06 | 旅行
 先月北京に行き、いい機会でしたので朝陽劇場と天橋雑技劇場(テンキョウザツギゲキジョウ)の2会場で北京雑技団を観劇してきました。とても人間業とは思えないくらいハイレベルな演技で、心臓がハラハラドキドキしました。幼少期からのたぐいまれな修練の賜物だと思うのですがスピーディーな動きとスリルに満ちた技芸に圧倒されてしまい時間がたつのを忘れてしまいました。朝暘と天橋では天橋のほうが断然良かったです。朝暘はミスが多かったですね。下に紹介する画像は京劇の場面ですが、京劇もとても楽しめました。カンフーも観たのですが心臓マヒに陥るくらい手に汗握る舞台の数々でした。ガイドさんによるとカンフーはヨーロッパの観光客に大人気だそうです。11月にはまた北京でもう一度雑技、京劇、カンフーを掛け持ちで観たいと思っています。チケットは直接買われるのもいいかもしれませんが、京劇は現地の旅行代理店で求めた方がいい席に座れるような気がしました。参考までに京劇の劇場には売店が何ヶ所かあるのですが、DVDの値段はまちまちです。気をつけてくださいね。ちなみに僕は80元損しました(笑)ま、日中友好のためには仕方がないか…


 

 

  

 

国立新美術館『陰影礼讃』オープニングレセプション

2010-09-07 19:26:00 | 美術
今日は、国立新美術館で開催される『陰影礼讃―国立美術館コレクションにる』のオープニングレセプションに出席してきました。少し遅れて行ったのですが、じっくりと展覧会場を観て廻ることができました。
特に印象的だったのは、マルセル・デュシャンの展示空間と、高松次郎の巨大な『影』というタイトルの作品です。『影』は東京ではじめての公開で一見の価値があります。また、甲斐庄楠音の『幻覚』というタイトルの作品は、異様な形相と眼差しに不思議な魅力を感じます。
浅原清隆の『郷愁』というタイトルの絵にとても興味をもちました。自分がはじめて目にする名前でしたので、少し調べてみたら30歳の若さでミャンマーで行方不明になってしまった画家であり、多才なアーティストであったということ。美術館に行くと、ときどき戦前に流れ星のような短い生涯を終えて逝く悲しき画家の存在に、人生のはかなさを改めて噛みしめることがあります。浅原清隆という画家の作品は現在何点ぐらいあるのかよく分かりませんが、いい機会ですのでじっくりと作品の所在について調べてみたいなと考えています。彼の独特な色彩感覚と超現実主義の絵画において、斬新かつ実験的な手法を通じて豊かな才能の一端を垣間みることができそうです。今回の展覧会では白眉の一点だと自分は感じています。

展覧会場を2周してじっくりと拝見しながら、自分で作品を観て作家名を当てるというクイズをしたのですが、何名かはずれてしまい冷や汗が出ました。写真家では、知らない名前の方が圧倒的に多く、自分の弱点に気付き大変勉強になりましたね。生きた教科書のような写真の展示空間には改めてじっくりと観る機会をつくりたいと思います。展覧会図録もしっかりとした内容で解説も充実し、見ているだけで楽しめます。知り合いの学芸員の方に「この展示は何日くらいかかったのですか」と尋ねたところ「1週間くらいかかりました」とのこと。☆☆☆









浅原清隆『郷愁』


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ユージン・スミス『 楽園への歩み』

芸十夜 速水御舟を中心に

2010-09-06 15:01:55 | 読書
最近日本舞踊の重鎮から日本舞踊と古典芸能の本を段ボール箱で十数箱わけていただきました。先日1箱目の封を切り、『芸十夜』という本をとても興味深く読み始めました。歌舞伎と能、狂言を中心に日本の伝統芸能に関して武智鉄二さんと坂東三津五郎さんが縦横無尽に語り合っているのですが、あっという間に読み終えることができました。武智鉄二さんの名前は知っていたのですが、『芸十夜』を読み武智さんについて調べてみるととてつもない昭和の怪人であると同時に知の巨人であるという印象を受けました。松岡正剛さんが武智さんの人物像について好意的に書かれていますが僕は『芸十夜』を読んで松岡さん以上に武智さんの熱烈ファンになりそうです。もしかしたら僕が勉強不足かもしれませんが、寡聞にして武智さん以上の古典芸能に造詣が深い方を知りません。武智さんは京都大学に入学した昭和7年に速水御舟の「あやめ」という作品を佐藤梅軒というお店で五百円で十回分割で購入した話がとても楽しいエピソードとして芸一夜に書かれています。御舟に関しては武智さんは第八夜でも坂東三津五郎さんとの対談で
「今は御舟を見たってわからないのは、高くなっちゃってるからわからないんで、あの頃の御舟というのは、画商からは疎外されてたんですよね。僕の知ってる書画屋さんがこぼしてましたけども、御舟さんは後継者がしっかりしてるから画料が高いんですって。それで画料を五百円とられて、展覧会に出すと売れないというんですね。で、売れ残ったのを三百五十円で売って、結局、御舟の絵を頼むと画商は百五十円損するんですって。だけど御舟がいないとほかの絵描きさんが描いてくれないから、これは展覧会の宣伝費だと思って描いてもらってると愚痴をいってましたけれども、それほど画壇の玄人は認めてたんですが、一般の鑑賞家たちは買わなかったんですね。栖鳳が二千円もした時代ですからね。」と述べています。この点については時代考証をじっくりしたいと思います。また誰か詳しい方がいたら是非教えてほしいですね。(ちなみに今竹内栖鳳の日本画は猿の絵を除けば数十万円に値崩れしてしまいました。)
榊原紫峰さんが「自分は絵はまずいけれども、絵を見ることはうまいという自信を持っていた」と言い、天才というのは歴史的に一世紀に二人しか出ない、一人は速水御舟、もう一人は村上華岳。村上華岳の絵には遊びがある、その遊びがあるだけ御舟よりも格下である。
それから数年後に御舟は亡くなってしまうのですが、死と対決する芸術とは一体なんだろうか、という疑問が武智さんの芸術観に深く関わっている気がする、と述懐しています。芸術というものは死を賭けるものであり死と対面するところに芸術がある、と悟るのです。武智さんは速水御舟が亡くなってから、数多くの御舟作品をコレクションすることを通じて「歌舞伎も日本画も同じだと思うのは、だいたい絵画というのは立体のものを平面に写すという、虚構の約束があって、その嘘をどうやって埋め返して克つかということなのですね。だから虚構が輪郭にあって、そこまで自分の表現というものが虚構いっぱいに広がった時に、芸術家は虚構と一つになって死ぬんだというふうに考えたんですね」という考えに到達する。
日本絵画について武智さんは「芸十夜」の中では宮本武蔵と俵屋宗達について触れています。鋭い芸術観がさりげなく披露されています。「芸十夜」という本の中で美術については上述したこと以外はあまり触れられていないのですが、武智さんの卓越した見識と経験を追体験できるなんてとても幸運だな、と思います。
彼は本物の知識人であり、行動するエンサイクロペディスト [encyclopedist]だと思います。これからもっと光が当てられるべき人物ではないでしょうか。

  


この絵を武智さんが購入したものかは現在不明です…


三越

2010-09-05 22:00:14 | 日記
銀座三越が今週リニューアルオープンする。何年間も工事していたけど、ようやく完成する。一番気になるのは美術館のスペースがあるのか無いのか…知人が二年位前に三越のトップに美術館を作るようにアドバイスしたけど…増床した一階、晴海通り沿いはお酢のショップになるみたい。いつまでもつかな?バス停のすぐ前に位置している。三越の人気と賑わいはもっても4ヶ月でしょう!と友達が言い放ったけど当たらずと言えど遠からず~そんな感じがする。ちょっと気になることは三越の前の道路が無残な状態になっていること。これはいただけないと思う。道路を掘り返して元に戻さないのは三越らしくないと僕は思う。どんなに綺麗な建物を作っても玄関先が惨めじゃ…他山の石にして自戒したいと思う。ビジネスにおいて社会的な使命感のない企業は必ず淘汰されると自分は考えている。銀座も中国人に土地を買い占められつつあり、だんだん銀座らしさが失われるかも。

ブログについて

2010-09-04 10:00:00 | 日記
ブログをはじめて1年数ヶ月が過ぎようとしています。小学校3年生程度の文章ですが、小学校4年生の段階にまで、なかなか進級できない日々です。優秀な方々のブログを拝見するたびに、とても恥ずかしい気持ちに陥ります。唯一ブログを継続する上で心掛けていることは、なるべくわかりやすく平易な文章で、3分から5分以内に読み終えるセンテンスにしたいな、ということです。5分以上パソコン上で文章を読むのはちょっと視神経に悪いかなと思っているのです。パソコン上で文章を読むのと印刷された文字で文章を読むのは、認識のレベルにちょっとした違いが生じるように思うのですが、いかがでしょうか。自分にとって重要だと思うブログの文章に関しては、すべて印刷をしてからじっくりと読むように心がけています。正直、パソコン上の光が視神経を異常に刺激して、文章を認知する脳の部位が理解する度合いを低下させているような気がするのです。ある意味、ネット上の弊害かもしれませんね。パソコンは1日1時間が限界の僕の言い訳です。2チャンネルでの匿名による誹謗中傷に我慢ができなくてブログを始めたのですが、生きる証としてブログで自分なりの日々思うことや考えていることを発信できるというのは、言論の自由を保証してくれている日本ならではのオアシスのようなものかもしれませんね。

言論の自由について興味のある方はこちらをどうぞ。

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『芸三代』

2010-09-03 18:22:00 | 能・歌舞伎
 
『芸三代 心を種として 能楽師 関根祥六・祥人・祥丸』
関根祥六著 広瀬飛一写真 出版 : 小学館スクウェア


初めてお能を観るようになってからもうかれこれ二十年近い歳月が過ぎようとしています。お能の見方を誰かに教わったわけでもなくて全くの自己流で、なんとなく好きだから、気になるからという単純な動機でお能を観つづけてきました。
多い時は1年間に能楽堂で五十の演目を意識的に観る機会を得ました。昨年、関根祥六さんの演ずるお能を国立能楽堂で拝見し、幽玄かつ華美な世界を目の当たりにし、深遠な能の世界になお一層魅了されてしまいました。その場で『芸三代』という関根祥六さんのサイン入り本を国立能楽堂の書籍売場で檜書店の会長さんから求め、何度も何度も読ませていただきました。二十年近く能楽堂に通い、ようやくお能の楽しみ方について理解を深めるきっかけとなったのです。と同時に本書は、世阿弥の教えを忠実に体得し吸収することによって、一般の人々にもわかりやすくガイダンスしてくれる良質な書物であるという印象を受けました。
今年6月に悲しい出来事が『芸三代 心を種として 能楽師 関根祥六・祥人・祥丸』のなかに登場してくる方の中に降りかかり、とても悲しく思います。僕にとっては『芸三代』という本は、お能と世阿弥の世界観を現代に復権した重要な書物だと認識しています。この本の頁を開くたびに深く哀悼の意を表したいと思う日々です。わずか1年も経たないうちに一冊の同じ本を読み進む中で、楽しみながら頁をめくることから同じ頁をめくるごとに悲しくなる経験はしたことがありません。読書というのは、時間と状況によって喜怒哀楽の感情が複雑に交差するんだという体験をはじめてしました。いずれにせよ『芸三代』は、世阿弥の心とDNAを今日的に継承した素晴らしい書籍であり、日本の伝統文化の良質の遺伝子を体現していると信じています。同じ本を3冊求めました。


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以下、メモ
盲目の武者で「体はほとんど動きませんが心は激しく動く。そういう曲に、内面のおもしろさを感じるようになりました」と取材で(関根祥人さんは)語っていました。