きょう23日は「慰霊の日」。
住民を巻き込んだ沖縄戦の組織的戦闘終結から71年を迎える。
県内各地で慰霊祭が営まれ、20万人超の犠牲者に祈りをささげ恒久平和を誓う。
午前11時50分からは、県などが主催する沖縄全戦没者追悼式が糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われ、失われた命を悼む。
「平和の礎」刻銘者数(平成28年6月現在)
出身地 刻銘者数
沖縄県 149,425人
県外都道府県 77,417人
米国(U.S.A) 14,009人
英国(U.K) 82人
台 湾 34人
朝鮮民主主義人民共和国 82人
大韓民国 365人
合 計 241,414人
不戦の誓い
糸満市の平和の礎に今年は84人が追加刻銘された。戦後71年、いまだに刻銘は続く。その報道を見るたびに思い出す人がいる
▼その一人、石川ツル子さんは1944年、サイパンの地上戦で追い詰められた壕内で、米軍に気付かれるのを恐れた父が、幼い妹を手に掛けたのを背後で目撃した。ツル子さんは当時7歳、妹順(より)子(こ)さんは1歳数カ月だった
▼「順子、順子、お父さんを許して」。5年前の「慰霊の日」、ツル子さんは追加刻銘された妹の名前を手でなぞり涙を流した。当時サイパンでは激しい地上戦で追い詰められた日本兵や住民が、泣き声で敵に見つかるのを恐れ、乳幼児を次々にあやめた
▼生き残った父母らはこの事実を口にできないまま亡くなった。生き残ったきょうだいやいとこから取材で証言を得た。家族・親戚の死を心にずっと抱えてきたのだろう。証言者は皆、涙した。話したのは「生きた証しを記録に残したい」から
▼詩人・壺井繁治はこんな詩を書いている。「生き残った者の中に生きる死者の存在/それは思い出の墓場には埋められず/つねに僕らの心の/いちばん深い所で生きている」
▼そんな戦争体験者は少なくないだろう。一緒に過ごした肉親や友人の「生」を記憶から消し去ることはできない。その「生」が尊いからこそ、不戦の誓いは揺るがない。体験者からそう学んだ。