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原爆投下機が読谷に飛来 1945年8月9日 ボックスカーが長崎に投下後 燃料不足で緊急着陸

2018-08-09 12:59:59 | ニュース

読谷の飛行場を離陸するB29=1945年8月9日撮影(県公文書館所蔵)

1945年8月9日昼ごろ、読谷村内の飛行場に照明弾を発射しながら近づく米軍機があった。滑走路に緊急着陸し、所定の位置から大きく離れた地点でかろうじて停止したのはB29爆撃機「ボックスカー」。数時間前、長崎に原子爆弾「ファットボーイ」を投下して、一瞬にして7万ともいわれる市民の命を奪った機体の飛来だった。

沖縄戦後、読谷村には読谷飛行場とボーローポイント飛行場があり、残されている資料からはボックスカーがどこの飛行場に降りたのかは定かではない。読谷村史編集室の豊田純志さん(57)は「読谷飛行場が一番考えられる」と推測する。ボーロー飛行場が6月時点で1割弱しか完成してなかった一方で、読谷飛行場はすでに滑走路が整備されていたからだ。乗組員の証言に「ボーロー」ではなく、「ヨミタン」しか出てないことも理由に挙げる。

8月9日未明、原爆を積んだボックスカーはテニアンを離陸した。行き先は兵器庫があった福岡県小倉市。しかし、小倉上空は視界が悪く、1時間ほど旋回しても標準をあわすことができない。目標を工業都市で軍事拠点としても重要だった長崎に変更し、原爆を投下した。テニアンに戻るはずだったが、一部の燃料ポンプが故障で使えず、小倉上空で燃料を失っていたボックスカーは機首を沖縄へ向けた。

読谷に着いたときには、燃料はほとんど残っていなかった。あまりの危機的状況に、乗組員のフレッド・オリビーは、着陸後も乗組員は「しばらくはだれも言葉を発することはできなかった」と証言している。

当時、読谷の住民は収容所の中にいたことから、ボックスカー飛来の目撃証言はない。長崎に原爆が投下されて73年が過ぎた。長崎に惨劇をもたらした後、沖縄に飛来したボックスカー。豊田さんは「5月には沖縄は本土攻撃の拠点となっていた。基地の島として利用される、その始まりではないか」と話した。

 

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破れた本張り三線を人工皮に張り替え

2018-08-09 07:21:24 | 三線

三線の修理です。

本皮1枚張りの三線ですが、ご覧のとおり皮が破れてかわいそうな状態に。

現在蛇皮も高騰し、片面張り替えでも15,000円は、かかってしまいます。

画像の三線は3本とも両面とも皮が破れている状態でしたので、この三線に同じ蛇皮1枚張りをすると全体で10万
円近くなってしまいます。

お客様のリクエストは、破れることがほとんどない人工皮に変更したいということでした。

気になる修理費用はというと・・・

1本あたり7,800円!
※往復の送料は別途・・・修理後はゆうパックにて返送します。

作業内容

・三線のガタつきの確認及び棹と胴体の角度の修正
・皮の剥がし 
・人工皮の張りつけ

三線の蛇皮が破れていて人工皮に変更したい方はご連絡ください。

 

三線は沖縄三線.comで。

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