(01)
五柳先生伝(陶潜)
① 先生不知何許人。
① 先生は何許の人なるかを知らず。
① 先生は、どこの人かわからない。
(日栄社、要説 諸子百家・文章、1970年、141・142頁)
然るに、
(02)
① 先生は、どこの人かわからない。
といふ風に、「私が言ふ」のであれば、
この文の「先生」は主文の主語ではなく、名詞節の主語である。意味内容からすれば、「我不レ知二先生何許人一」ということだが、この文のように表現するから注意を要する(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、60頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(03)
② 我不知先生何許人=
② 我不〔知(先生何許人)〕⇒
② 我〔(先生何許人)知〕不=
② 我、先生の何許の人なるかを知らず=
② 私は先生が何処の人であるのかを知らない。
cf.
が[一](格助詞)
① 連体修飾語 ・・・の。
② 主語 ・・・が。・・・の。
の (格助詞)
④ 体言の代用 ・・・のもの。・・・のこと。
(旺文社、全訳学習 古語辞典、2006年、190・644頁)
cf.
② 私は(係助詞)先生が(格助詞、連体修飾語)何処の(格助詞、連体修飾語)人である(連体形)の(形式名詞、体言の代用)かを知らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
であるならば、
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
である。
然るに、
(06)
言ふまでもなく、
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
従って、
(04)(05)により、
(07)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② であるが、
②=③ ではない。
従って、
(07)により、
(08)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
然るに、
(09)
近年になって言語学や外国語としての日本語の分野では「主題」(あるいは「題目」)をマークするものとして「は」を捉えることが常識となっている(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、101頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 先生不知何許人=先生は、どこの人かわからない。
に於いて、
① 先生=先生は
は、左辺も、右辺も、両方とも、「主題(題目)」なのかも、知れない。
然るに、
(11)
② 我不知先生何許人。
に於いて、
② 我
を「省略」すると、
② _不知先生何許人。
(12)
② _不知先生何許人。
に於ける、
② _
の位置に、
② 先生
を、「移動」すると、
① 先生不知何許人。
といふ「語順」になる。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 先生不知何許人=先生は、どこの人かわからない。
② 不知先生何許人=先生がどこの人であるのかは、わからない。
に於いて、
① の「先生」は、「主題(題目)」であって、
② の「先生」は、「主題(題目)」ではないのかも、知れない。が、
その辺のところが、私には、よくわからない。
(14)
固より、「主題(題目)」といふ「言葉の意味」が、何となく、わかるやうで、よくは、わからない。
五柳先生伝(陶潜)
① 先生不知何許人。
① 先生は何許の人なるかを知らず。
① 先生は、どこの人かわからない。
(日栄社、要説 諸子百家・文章、1970年、141・142頁)
然るに、
(02)
① 先生は、どこの人かわからない。
といふ風に、「私が言ふ」のであれば、
この文の「先生」は主文の主語ではなく、名詞節の主語である。意味内容からすれば、「我不レ知二先生何許人一」ということだが、この文のように表現するから注意を要する(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、60頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(03)
② 我不知先生何許人=
② 我不〔知(先生何許人)〕⇒
② 我〔(先生何許人)知〕不=
② 我、先生の何許の人なるかを知らず=
② 私は先生が何処の人であるのかを知らない。
cf.
が[一](格助詞)
① 連体修飾語 ・・・の。
② 主語 ・・・が。・・・の。
の (格助詞)
④ 体言の代用 ・・・のもの。・・・のこと。
(旺文社、全訳学習 古語辞典、2006年、190・644頁)
cf.
② 私は(係助詞)先生が(格助詞、連体修飾語)何処の(格助詞、連体修飾語)人である(連体形)の(形式名詞、体言の代用)かを知らない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
であるならば、
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
である。
然るに、
(06)
言ふまでもなく、
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
従って、
(04)(05)により、
(07)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
② 我不知先生何許人=私は先生が何処の人であるのかを知らない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
①=② であるが、
②=③ ではない。
従って、
(07)により、
(08)
① 先生不知何許人 =先生は、どこの人かわからない。
③ 先生不知我何許人=先生は私が何処の人であるのかを知らない。
に於いて、
②=③ ではない。
然るに、
(09)
近年になって言語学や外国語としての日本語の分野では「主題」(あるいは「題目」)をマークするものとして「は」を捉えることが常識となっている(金谷武洋、日本語に主語はいらない、2002年、101頁)。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 先生不知何許人=先生は、どこの人かわからない。
に於いて、
① 先生=先生は
は、左辺も、右辺も、両方とも、「主題(題目)」なのかも、知れない。
然るに、
(11)
② 我不知先生何許人。
に於いて、
② 我
を「省略」すると、
② _不知先生何許人。
(12)
② _不知先生何許人。
に於ける、
② _
の位置に、
② 先生
を、「移動」すると、
① 先生不知何許人。
といふ「語順」になる。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 先生不知何許人=先生は、どこの人かわからない。
② 不知先生何許人=先生がどこの人であるのかは、わからない。
に於いて、
① の「先生」は、「主題(題目)」であって、
② の「先生」は、「主題(題目)」ではないのかも、知れない。が、
その辺のところが、私には、よくわからない。
(14)
固より、「主題(題目)」といふ「言葉の意味」が、何となく、わかるやうで、よくは、わからない。