一杯のコーヒーを味わいに山道を走る。
カーナビに頼りながら、風を切って、緑を縫って。
別世界的名店は、不便な場所にあることも少なくない。
それにより道行きは非日常的な体験となる。
わざわざ足を運ぶ価値が伴えば、人里離れていても商いは成立すると思うのである。
美麻珈琲もそんな一軒。
美麻(みあさ)とは麻作りに由来する地名で、その文字面や響きも心地いい。
道路標識の方向に記された「長野 美麻」は、アイドルの名前のようだと感じながら、
いざ到着してみるとコーヒーマイスターは全員女性という偶然の一致があった。
渋いマスター像は裏切られた格好だ。
店は山間の31号線から折れて、未舗装の坂道を進んだ先にある。
登り切って少しだけ下った左手にストローベイル(藁のブロックを積み上げる工法)の一軒家、
反対側の斜面には蕎麦畑の明るいグリーン、
その隣には大きな池と、絵になる風景が連なっている。
池は長雨の影響でこの時期には珍しく姿を現しているのだとか。
店内の席が空くのを待ったのだが、結局は森林の香りも届くテラス席で、
珍しい南インド産の爽やかな一杯を味わった。
http://www.miasacoffee.com/
北欧好きやリフォームに関心のある方に、ぜひお薦めしたい宿である。
周辺は昔ながらのスキー客用の民宿や古民家が立ち並ぶエリア。
デンマークにも拠点を持つハルタが目を付けた一軒は、白を基調に改装され、
部屋にも共用スペースにも同社が取り扱うヴィンテージの家具などがふんだんに投入されている。
滞在中は特に照明に目が行った。
エントランスを入って右手のものは、まるで眼底検査で撮影されたかのようなデザイン。
コペンハーゲンの空港で実際に使用されていたものだという。
温浴エリアの壁を照らすのは、襞のあるベージュのシェードから漏れる灯り。
角笛のような支柱とともにシャーマニズム的な妖しさを醸し出す。
R. I. 一番のお気に入りは、ダイニングの窓際のものだった。
コードが滑車を伝って、その先に小さな裸電球が吊り下がっている。
いずれもブラケット(壁掛け)タイプなので、真似てすぐには取り付けられないのが難点である。
ところで、朝食のパンは自家製で、これもhalutaが力を入れている分野。
ナッツ類やドライフルーツが練り込まれた特大サイズは、ハイキングのお供にもなった。
白馬の夏は太陽との近さを感じさせる暑さでありながら、
石を溶かした断熱材とエコな冷房システムにより、館内はひんやりと心地いい。
馬毛を使用しているという寝具は、入眠までのひととき極上の幸せを与えてくれた。
https://haluta-hotels.com
カフェなどであまりにも目にするようになったので別のものを追い求めたくなった。
ショールームに足を運んでもデジタルのカタログを読み漁っても
ついつい目が行くのは色鮮やかなタイルである。
なかでも「ブルーマーレ」というイタリア製の青いタイルにはすっかり魅せられた。
有元葉子氏お薦めのオリーブ色もさすがは料理の雰囲気とフィットしていた。
しかしながら、キッチンは清潔感も大事です、というリフォーム会社のアドバイスに賛同して、
色味は結局ホワイトに落ち着いた。
名古屋モザイク工業社のディフミーナ。
ダイヤ形で縦の寸法は約26cm、これを若葉マークのように並べてもらうことにした。
大ぶりなので、細密とは反対の大らかな雰囲気につながることを期待したのだが、
主張するデザイン故に内覧の際はどきどきしたものだ。
光の反射といい、コンケーブ(凹み)が生み出す陰影といい、
コンタクトを外しても分かるほどに表情豊かである。
ピース自体は同じ形状であっても、配置のパターンで異なる雰囲気にできるのはタイルの面白いところ。
目地の色でも印象を変えられるという。
海辺を散歩していたある日の夕方、これぞブルー・グレイという色彩に出合った。
ブルーでグレイ、要はグラデーションということになるのだが、これがなかなか奥深い。
ブルーが先に来ているからには、基調はブルーであることが求められよう。
思うにグレイを帯びるには、雲の存在が不可欠である。
海の湿り気から派生した洋上の雲が、ブルーにグレイのニュアンスを与えていく。
突然のようにブルー・グレイがひらめいたのは、
松田聖子の♪「マイアミ午前5時」を記憶していたからにほかならない。
十代に出合った松本隆の詩は、例えば入道雲を見ると “雲の帆船” といった具合に
半ば反射的に刷り込まれている。
この作品におけるブルー・グレイという曖昧な色彩の効果は絶大だ。
煙るような夜明けのなか、対照的に明確なのはもう覆すことのできない男女の別れである。
夏至の頃の日は長くとも、空模様はどんよりとしていることが多い。
夕暮れ時にも様々なブルー・グレイが現れては包み込まれる。
8月は2つの買い物が余計と言えば余計だった。
セールで割引きになっていたところに、フィーリングの合う店員さんから押されてしまった。
1つは淡いグリーンのフラワーベース。
数日前に剪定したアイビーを挿すのにぴったりのサイズだった。
アンティークでイギリスから届いたばかりだという。
もう一つは濃紺のスニーカー。
縁取りと靴底がホワイトで、夏向きである。
足を入れた瞬間のシュポッという音にイタリアを感じる。
なぜか左足だけなのだが。
生命の発生はときに夥しい。
今年は数え切れないほどの蕾をつけて次から次へと花を咲かせた。
権勢を誇った何かが消えていく、その経過が凝縮されているかのようである。
注がれたのは1969年産のブルゴーニュ。
皆の期待が最高潮に達したその瞬間がスローモーションで蘇る。
両親の金婚式のために押さえてもらったとっておきの一本は、
まず電話でブルゴーニュの赤と告げられ、追ってメールで詳細が送られてきた。
Pommard Les Arvelets
Remoissenet Pere et Fils
検索すると情報は次から次に現れて、
「ポマール」はブルゴーニュ地方、コート・ド・ボーヌ地区にあるワイン生産地、
「ルモワスネ・ペール・エ・フィス」は生産者の名前であることが分かった。
何よりも1969年は「第二次世界大戦以降で最も素晴らしい年の1つと言われています」というコメントに胸が躍らされた。
ソムリエと言えば、ワインのアドバイザーとしての印象が強かったのだが、
ヴィンテージワインが相手となれば開栓こそ腕の見せどころとなる。
コルクの様子が見えるようにキャップシールはすべて剥がされた。
顔を覗かせた部分は50年の歳月を証明するかのように黒ずんでいた。
灯されたキャンドルのもと、プロの道具を使って開栓は進む。
軟化していて一度は折れたものの、やがて銀のトレイには、まるでオペで取り出された臓器のようにコルクが横たわった。
果たして1969年産ブルゴーニュ赤の味は、一言で形容するならば、紹興酒に似ていた。
状態の保証は致しかねます、と言われていたのはエクスキューズで、大切に保管されてきたことが窺われた。
「種を噛み砕いてリコリスの味がしたら収穫時」というセリフにときめいたのは、映画『ブルゴーニュで会いましょう』。
50年前そんな風に摘まれたであろうブドウがワインに変わって、
2019年、東京の高層ビルのとあるレストランで再び空気に触れたという奇遇。
祝宴のハイライトをさらったヴィンテージの存在は偉大である。
これまで断然ボルドー派だったのが、この出逢いを機にブルゴーニュを知りたいと思うようになった。
ワインの王と呼ばれるのも、あのロマネコンティも、ブルゴーニュだったとは。
瓶コーラの自販機の扉は思ったより低く、背を屈めなくてはならない。
その先には一間の待ち合いスペース。
吹雪を除けたり、コートを脱ぎ着するための部屋でもありながら、店内への期待をさらに膨らませる。
そんな仕掛けに感心しながら通されると、視界の先にライトアップされた木立が入ってきた。
カウンター越しの大きな窓の向こうに雪景色が広がっているのである。
ニセコのひらふエリアを歩くと高級で洗練された造りの宿泊施設や店舗が立ち並ぶ。
名だたる外資系ホテルのオープンもこのあと控えているという。
それらに比べるとバーギュータスの佇まいは簡素に見えるかもしれない。
しかしながら店内に流れるアナログレコードの質感そのままに、手作りの温もりと創意工夫に溢れている。
バブル的な狂騒が始まる以前から根っこを張っていたこの店で余市を味わうと、
北海道のニセコへはるばるやって来た実感に包まれる。
4月の一週目を過ぎる頃、このバーは長い休業に入る。
ニセコに世界中から観光客が押し寄せるのは冬。
春先には雪が溶けるかの如く賑わいが去って行く。
初めて訪ねたのはそんな時期だったが、自販機の扉を出ると街灯に名残雪が激しく舞っていた。
https://www.gyubar.com
美しい二等辺三角形は、白いパテをへらで仕上げたかのよう。
モンブランに引けを取らないケーキのモチーフになり得ると思う。
ニセコで2度目となるスキーはヒルトンに滞在し、ホテル直結のニセコビレッジスキー場を満喫した。
プランに含まれていたリフト券がカバーするのはニセコビレッジのみ。
全山共通のリフト券だと前回滑ったニセコグラン・ヒラフスキー場やニセコHANAZONOスキー場まで足を延ばせるのだが、
ニセコビレッジのコースだけでも初心者には申し分ない。
ゴンドラに乗っては、だべさ〜エンチャンメント〜メイク・センス〜アンフォゲッダブルという初心者コースを滑り降りた。
その先はホテル方面へ戻る“ばんざい”か、スキー場の一番端を周る“クルーザー”というコースに分かれる。
クルーザーはすぐ隣に森が広がっていて落ち着いた雰囲気がいい。
人も少なめで積もったばかりの雪に最初の跡を残せる。
ニセコへはこの一年で3度リピートすることになった。
最初は昨年4月のスキー、夏もいいと言われて8月に再訪、
その後移住願望まで芽生えたのとパウダースノーを体験したくて元旦に飛んだ。
“パウダー”は今やニセコの代名詞。
「powder life」というフリーマガジンがあったり、コーヒースタンドの出口に「THIS WAY OUT TO THE POWDER」と書かれていたり。
しかしながら30年来ニセコへ通い詰めているというスキーヤーから、ここ5年で雪が重くなっているという話を聞いた。
オーストラリア訛りの英語、中国語が飛び交う以前のニセコはどんなところだったのか。
それを彷彿とさせるバーがある。
新聞から顔を上げてこう云ったのは貞之助と記憶していたが、
読み返すと幸子が貞之助に投げかけた言葉だった。
細雪で印象に残っている次女夫婦の会話は、
関西方面も一夜のうちに秋の空気が感じられる爽かさに変っていた、という朝の食卓の一コマ。
谷崎潤一郎著『細雪』(新潮文庫、1955年、上巻 185頁)
強烈な夏との対比であったり、その深まり具合であったり、秋を感じる瞬間は様々である。
先週末ワンダーデコールのコテージで紅茶を味わったときのこと。
細雪の珈琲ほどに香りは届かなかったものの、
ティーカップからくっきりと立ち昇る湯気に秋の深まりを感じた。
見上げた窓の向こうにほとんど落葉した樹木と雲の多い青空を見た。