TONALITY OF LIFE

作曲家デビュー間近のR. I. が出会った
お気に入りの時間、空間、モノ・・・
その余韻を楽しむためのブログ

夏のニセコ滞在でまず最初にすべきこと

2018-08-22 00:19:49 | 旅行
それは羊蹄山の湧き水を汲むこと。
汲むと言っても湧水池には蛇口が設けられ、豊富な水が常時溢れ出している。
ただで手に入るとあって訪れる人は後を絶たない。
お米を炊いたのも、鮟鱇の切り身を茹でたのもニセコの水。
コンドミニアムの水道水がイマイチだったので、名水は余計に美味しく感じられた。
非常時用のタンクを持参するのがお勧めである。

夏の滞在はレンタカーのおかげで行動範囲がぐんと広がった。
改めて観光ガイドを見ると湧泉はいくつかあるのだが、
専ら立ち寄ったのは細川たかしのふる里・真狩(まっかり)にある横内観光農園の湧き水。
隣接する豆腐店の賑わいもさることながら、
名水がもたらす驚愕の味はほかにもあった。

初めて弾くショパン 〜 ピアノ・ソナタ第3番第3楽章

2018-07-15 12:38:55 | 音楽

物語は「ドウロ河流域の小さな町」の夜景からスタートする。
カメラは雨の降りしきる或る通りへとフォーカスしていき、
そのあいだバックに流れていたのがショパンの「ピアノ・ソナタ第3番第3楽章」。
ポルトガルの巨匠、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の映画『アンジェリカの微笑み』である。

実はエンドロールのクレジットで確かめるまでショパンと気付かなかった。
さらにマリア・ジョアン・ピリスの名前を捉えたとき、2度目の衝撃を受けた。
まるでこの映画のために作られたのではないかと思わせる巧みな選曲は、
ポルトガル出身のピアニストによって奏でられていたのである。
テロワールの一致は心の土壌にも深く沁み込んだ。

緩徐楽章ならばなんとかなるかと思い、譜読みを開始したのは今年の1月。
この曲は以前にも耳にしたことがあるはずだが、この映画と出会うまで素通りしていた。
家にあったCDを聴くと、かなりゆったりめに奏でるピアニストが多い。
前後の楽章とのコントラストを意識してのことと思われる。
この楽章のみを弾くので、一番早いミロシュ・マギンの演奏をお手本にした。

中間部分には海を感じる。
より低い音域の鍵盤へ移ると海の底に潜っていく。波間に揺れる光が遠ざかる。
再現部の左手の動きには水面を撫でるような心地よさがある。
ところどころ現れる定型のトリルは意外に難しい。
締めの2段は大事に弾きたい。
最終小節の前の休符には何か想いを凝縮させる。
H-durは黒鍵が5つ。白鍵に比べて幅が狭い分、指先の焦点が研ぎ澄まされる感覚になる。

https://www.youtube.com/watch?v=US7C_XnQeM8


風になる、鳥になる

2018-05-05 23:05:19 | 旅行
5年前にカナダ・バンクーバ―島でスキーをしたとき、
風と一体化して、このまま鳥のように浮揚できるのではないかと感じさせる斜面があった。
上昇するスピードになんとか耐えることのできる、初心者にとって絶妙な勾配だったのだろう。
もう一つ覚えているのはそこの幅が狭かったこと。

この春人生5度目のスキーが北海道・ニセコで実現し、あのときとまさに同じ感覚が蘇るコースに出合った。
横2列で滑れるほどの幅で、下った先は右にカーブしている。
最後は傾斜が無くなるのを分かっているから、スキーを平行にしたまま加速に身を任せる。
前傾のままスネに力を掛け続けると、スピードの計測針を振り切ったかのようだ。

シアトルあたりから日本へ飛び立つ航路では、カナダ沿岸部を北上し、眼下に大小さまざまな島を望むことがあった。
それらはアラスカ半島からアリューシャン列島へ、やがては千島から日本列島へと首飾りのように連なっていく。
静謐な空気を切り裂いて風になった体験から、
バンクーバー島と北海道は同じパズルのピースのように思えてならない。

ニセコでスノーシュー 〜 雪の上の自由を手に入れる

2018-04-27 12:49:10 | 旅行
羊蹄山の麓にある半月湖まで、往復約2時間のスノーシューネイチャーツアーに参加した。
ゲレンデを離れてニセコの大自然に触れたいと思ったのである。

スノーシューを初めて履くと、甲の部分を固定して、踵は浮かせる仕組みになっていた。
巨大な草履のような形状が体重を分散させて、雪に沈まない。
いざ歩き始めると、分厚い雪に覆われた森の中は、好きなように歩き回れるという発見があった。
面白い模様の木の幹や、フリーズした植物が目に入ると、近づいてはシャッターを押す。
夏だとクマザサの茂みに邪魔されてこうはいかないだろう。
雪の上は自由に移動ができるんです、とガイドさん。
積もった雪の分、高い位置から眺められるのもスノーシューツアーならでは。

目的地の半月湖へ降りる頃、雪が舞い始めた。
パウダースノーの時期はとっくに過ぎているそうだが、それでも細かな美しい粒だった。
フードに落ちる雪の音を聞きながら、用意してもらった紅茶を湖面の端ですする。
湖は凍っているのではなく、雪が積もっている状態なのだとか。
あまり進むと保証はできませんよ、と言われてミンモは引き返してきた。
家族3人とガイドさん以外には誰もいない。

星野道夫はアラスカでの体験や古老の話を聞くうちに、
アラスカの原野に対するイメージが徐々に変わっていったという。
「人間の手つかずに残された、どこまでも広がる未踏の原野は、実はさまざまな人間が通り過ぎた、物語に満ちた原野だったのだ。」
星野道夫著『ノーザンライツ』(新潮社、2000年)
テニスのラケットのようなイヌイットのスノーシューを見たことがある。
雪に閉ざされる季節が長いからこそ、逆に自由な行き来が手に入ったのかもしれない。

今年もシャーリー

2018-04-14 21:42:20 | ガーデニング
今年は桜の開花もケヤキの芽吹きも早かった。
3月中旬から気温が上昇して、春は加速するばかりである。
北海道へ出掛ける前は蕾だったチューリップも、5日後に帰宅すると咲いていた。
花びらの縁から徐々に色づくシャーリーを今朝も眺めている。

サウダージの影を踏む

2018-01-08 20:42:37 | 音楽
11th(イレブンス)のコードから第5音を抜く。
答えはコレだった。

イヴァン・リンスの♪「ヴェラス」をピアノで耳コピしながら、
最初のコードがDm7とは若干異なっているのが以前から気になっていた。
どうやって音を重ねているのか、遂にギターのコード譜から読み解くと、
なんと引き算という結果だったのである。
D-F-A-C-E-GからAを抜いて、D-F-C-E-Gと重ねることで手に入るその響き。
3度ずつ重ねられた梯子の一段が消えるとほんの少しだけ不安定になる。
それが心の襞に引っ掛かる。
サウダージの正体はこんなところにあるのかもしれない。
いや、些細な発見なのだからサウダージの影の端っこを踏んだ、ということにしておこう。

Songbook IVAN LINS - Volume 1
Idealizado por Almir Chediak
Irmaos Vitale S. A. Industria e Comercio, Sao Paulo, Brazil

2017年秋の寄せ植え

2017-10-16 00:13:39 | ガーデニング
横長のテラコッタはここ2、3年多肉の指定席にしていたが、
今年はゼラニウムを中心にあさぎり草、ワイルドストロベリー、そしてシクラメンを寄せ植えすることにした。
このゼラニウムは何度か挿し木をしているうちに花の色が2色になった。
枝ぶりが左右に広がったので、このテラコッタへ移すことを思いついたのである。
あさぎり草(右端)は葉が小さいものを探し、ワイルドストロベリー(中央)は少し紅葉していたものを選んだ。
逆サイドのシクラメンは夏を乗り越えて、先月くらいに新しい葉が出てきたもの。
振り返ってみると、このシクラメンとは3年、ゼラニウムとはかれこれ10年の付き合いになる。
そして長方形のテラコッタはワンダーデコールでの記念すべき初の買い物で、遡ること15年前。
春と秋年2回の寄せ植えを続けるうちに、ちょっとした歴史が積み重なっていた。

安藤忠雄展@国立新美術館

2017-10-10 00:25:25 | 展覧会
絵画や彫刻とは比べ物にならない大きさの作品を地球上の様々な場所に残していく、
建築家という職業のスケールの大きさに圧倒された展覧会であった。
とりわけ安藤の代表作である「光の教会」が、屋外スペースに原寸大で複製されていたのはすばらしい。
精緻な図面や模型も貴重ながら、実際に足を踏み入れた時の感覚こそが建築の醍醐味である。
コンクリートの屋内に差し込む十字のスリットからの光。
十字の向こうには樹木や雲が見えて、夕刻にはオレンジ色の光線が届く。
根底にあるのは自然に神が宿ると考える日本人の感性そのものに思われた。
大阪・茨木にある実物はスリットにガラスが入っているそうだが、展示には無い。
これを取り除きたいと切望する安藤の意志が忠実に反映されているとのこと。
外気や自然音との一体化まで目指していたということか。
右手上部に三角形の空(天)が見えるのも祈りの空間に相応しい。

「Water Temple」は、かみさんが教えてくれなければ混雑のなか見落とすところだった。
兵庫県淡路市にある本福寺(ほんぷくじ)。
「水御堂(みずみどう)」とよばれる本堂へは階段を下る。
その階段はなんと蓮が浮かんだ楕円の池の中央に設えられている。
「光の教会」に加えて「Water Temple」も再現して欲しかった、というのは贅沢だろうか。

建築家の個展に集う熱心な人々の多さに驚きながら、
途中からは安藤の超人ぶりに比して自分自身がどんどん小さくなっていく感覚に襲われた。
例えばモーツァルトの200枚近いCDセットや文豪の大全集を前にしても
ここまでの落差を感じたことは無かったように思う。
その理由は、建築の場合、本棚や収蔵庫を飛び越えた
実際のランドスケープのなかで作品が残り続けるところにありそうだ。
それも安藤のような売れっ子であれば世界の都市で同時多発的にである。
様々なクライアントの住宅に始まった展示は、徐々に大掛かりとなり、模型のサイズも迫力を増していった。
間仕切りが取り払われた最後のスペースでは、札幌郊外の大霊園(頭大仏殿)や、
ヨーロッパの歴史ある建造物を美術館に改修するプロジェクトなどが壁にも映し出され、
一流建築家の存在がいかに巨大であるかを見せつけられたのであった。

安藤忠雄展—挑戦—@国立新美術館
2017.9.27-12.18

上目遣いの訳は 〜 アーティチョークのオーナメント

2017-09-19 00:16:57 | ガーデニング
「あっ、花びらだ」と上目遣いの表情が語り出す。
アーティチョーク君の頭上には満開のゼラニウム。
ガーデンオーナメントがあることで、落花という自然現象が短篇になる。
いつだったか、少女が広げたエプロンに乗っかっていた落ち葉は、秋の深まりを教えてくれた。
馬の頭像に積もった雪をブリンカー(遮眼革)に喩えてみせたのはワンダーデコールのブログ。
それにしても石なのに頬が紅潮してない?

ムーンライト バビロンに耽って

2017-06-17 15:20:41 | ガーデニング
小さな挿し木には「ムーンライト バビロン」という札が添えられていた。
バックヤードで偶然目にした瞬間、一体どんな花が咲くのだろうとイマジネーションが止まらなくなった。
月に照らされた神殿の一隅で秘めやかに咲く様、
はたまた空中庭園のアーチに咲き誇る様、
その名に相応しい色を考えるだけでも想像は尽きない。

家に帰って花の姿を突き止めると、勢いよく溢れていた噴水は弱まった。
バラの苗木には花の写真が表示されていることが多い。
ベルベティ トワイライトも、プリンセス ドゥ モナコも、先に花を知ったせいで
その見事なネーミングからイマジネーションを膨らませる贅沢を手放していたことになる。
ムーンライト バビロンの検索はもう少し我慢してもよかった。