坂本貯水池の北側奥にある東ノ川小中学校に別れを告げて、尾鷲へ向かう。学校の先には、集落跡地もあるが、あまりのんびりしていると、日が暮れてしまう。さあ、シニゴー線へ戻ろう。
R425の道路沿いにも廃屋が何件かある。住居だったのか、それとも何かの作業小屋だったのか、今となっては知る由もない。ただし、かつてはこの辺りに集落があって、人が暮らしていたことは紛れもない事実だ。
昭和30年ごろまでは、400人弱がこの辺りで暮らしていたと言われている。ダム湖の下に集落が沈むことになると、多くの人は尾鷲へ転出したという。坂本ダムが完成したのは昭和36年なので、今から56年以上も前のことになる。
美しくも哀愁の漂う道を東へ進むにつれて、ダム湖はいつしか姿を消し、道路は深い山の中に入っていく。道路の下には、古川という清流が並走している。危なげなく走行し、隠れ滝のポイントまで無事にたどり着く。ここでオートバイを停めて、少し休憩する。
この辺りは前回走ったばかりなので、もう安心だ。ここまでのところ、対向車も後続車も一台たりとも現れることはなかった。再び、尾鷲へ向けて走り出す。ようやく、道路標識の青看板が現れる。尾鷲までは21キロメートルあり、まだまだ先は長い。
とは言え、信号機も交通量もゼロの21キロメートルは、意外とあっという間の内に走り切ってしまう。路面状況は良好で、適度なコーナーを軽快に駆け抜けていく。新緑の緑が、とても気持ちのいい酷道だった。
R425を走り抜けると、緩い直線の下り坂を進むだけで、ものの数分で尾鷲港の海へたどり着く。尾鷲は交通量が多く、市街地やコンビニなどがあり、とても賑やかだ。シニゴー線は、日常と非日常との境界線なのかもしれない。尾鷲港はいつもと違って、波止場の釣り人たちの数がとても少なかった。
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