【目次 : 八鬼山越え】①序章, ②七曲がり, ③桜茶屋一里塚~九木峠, ④荒神堂~八鬼山峠, ⑤さくらの森広場, ⑥江戸道,十五朗茶屋まで, ⑦終章, ⑧エンドロール
八鬼山峠の頂上からさくらの森広場へ行き,昼食も含めて30分ほど休憩した後は,三木里町の海を目指して下って行くことになる.尾鷲側の石畳の道と違って,峠から南側の江戸道には落ち葉がどっさり堆積している.
写真では伝わらないと思うけれど,斜度が結構あるので足腰に負担がかかる.そして,この積もり積もった落ち葉が足元を滑りやすくするので,踏ん張ろうとするごとに下半身へさらに負荷が加わる.行けども行けども同じような道の連続で,いよいよ体から悲鳴があがる.
足の付け根から腰にかけて,足を動かす度に鈍痛のような違和感を覚える.立ち止まって写真を撮ろうとすると,膝が笑いだす.登りの時のように息が上がることはないけれど,下半身にかかる負担がとにかく辛い.山登りで下りがきついと言われる理由が,何となく分かるような気がした.
1時間以上歩いただろうか,十五朗茶屋跡という場所にある東屋までたどり着く.さすがに,東屋の中のベンチに腰掛けて,しばらくの間,休憩することにした.さすがに,ちょっとぐったりと言う感じだ.それでも,何か楽しんでいる気持ちがないではない.
ところで,この場所は江戸時代に重五郎という人が商う杉皮屋根を石で固定した平屋の茶屋があって,餅などを売って繁盛したと言う.この茶屋から先は,上り・下りともに急坂の難所で,「槍かたげ」と呼ばれているそうだ.紀州の殿様がこの道を行くとき,この場所だけお供の者に槍を担ぐことが許されたという.
休憩しても,下半身の疲れは取れそうにないので,東屋を早々に去り,槍かたげを下って行く.途中で,足を踏み外したり,滑って転びそうになることが何度かあったが,なんとか堪えることができた.ダメージが下半身に相当蓄積しているようだ.下りでこんなことになるなんて,想定外だった.
それにしても,この辺りから,峠道の雰囲気がまた変わっていることに気付く.若いシダの葉が,風に吹かれてゆらゆらと揺れている.こんなに明るいシダの葉を見るのは初めてだと思う.うつくしいシダの葉が,疲れを忘れさせてくれた.
十五朗茶屋跡から400メートルほど下ってきたが,終点になる名柄一里塚はまだ1.5キロメートルも先だ.少し先が思いやられるが,美しいシダの世界を楽しみながら,進んでいくことにした.
八鬼山峠の頂上からさくらの森広場へ行き,昼食も含めて30分ほど休憩した後は,三木里町の海を目指して下って行くことになる.尾鷲側の石畳の道と違って,峠から南側の江戸道には落ち葉がどっさり堆積している.
写真では伝わらないと思うけれど,斜度が結構あるので足腰に負担がかかる.そして,この積もり積もった落ち葉が足元を滑りやすくするので,踏ん張ろうとするごとに下半身へさらに負荷が加わる.行けども行けども同じような道の連続で,いよいよ体から悲鳴があがる.
足の付け根から腰にかけて,足を動かす度に鈍痛のような違和感を覚える.立ち止まって写真を撮ろうとすると,膝が笑いだす.登りの時のように息が上がることはないけれど,下半身にかかる負担がとにかく辛い.山登りで下りがきついと言われる理由が,何となく分かるような気がした.
1時間以上歩いただろうか,十五朗茶屋跡という場所にある東屋までたどり着く.さすがに,東屋の中のベンチに腰掛けて,しばらくの間,休憩することにした.さすがに,ちょっとぐったりと言う感じだ.それでも,何か楽しんでいる気持ちがないではない.
ところで,この場所は江戸時代に重五郎という人が商う杉皮屋根を石で固定した平屋の茶屋があって,餅などを売って繁盛したと言う.この茶屋から先は,上り・下りともに急坂の難所で,「槍かたげ」と呼ばれているそうだ.紀州の殿様がこの道を行くとき,この場所だけお供の者に槍を担ぐことが許されたという.
休憩しても,下半身の疲れは取れそうにないので,東屋を早々に去り,槍かたげを下って行く.途中で,足を踏み外したり,滑って転びそうになることが何度かあったが,なんとか堪えることができた.ダメージが下半身に相当蓄積しているようだ.下りでこんなことになるなんて,想定外だった.
それにしても,この辺りから,峠道の雰囲気がまた変わっていることに気付く.若いシダの葉が,風に吹かれてゆらゆらと揺れている.こんなに明るいシダの葉を見るのは初めてだと思う.うつくしいシダの葉が,疲れを忘れさせてくれた.
十五朗茶屋跡から400メートルほど下ってきたが,終点になる名柄一里塚はまだ1.5キロメートルも先だ.少し先が思いやられるが,美しいシダの世界を楽しみながら,進んでいくことにした.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます