妄想の貴公子と映画を観た帰りに、少し話したのだが…。
ここのところ、満遍なくあらゆる情報に「疎い」コトで盛上がった…。
ジャンルを問わず、全く時代について行けてない…って部分が多々あったりするワケで、それでいて生きているのはリアルに現代だったりする。
まぁ、知らないでいても生きては行ける…ってコトだから、取り立てて悩んだり、苦しんだりはしなくても良いのだが、貴公子の話を聞いていると、自分より深刻な様子がうかがえるのである…。
「若貴なんじゃないの?」
相撲と言えば、朝青龍と白鵬である…。若貴となると若の方はずいぶんと前に廃業しているので、かなりのブランクに違いないが、詳しくは知らん…。
「ボルグとかマッケンローとかさぁ…」
とんと詳しくないが、どちらもかなり前にピークを過ぎている…。
「ジャンボとか中島じゃないの?」
そろそろぽっちゃり王子とかなぁ…。
と、まぁスポーツに限った事では無いが、かなり浮世離れした感覚が最新の状態で記憶に残ってしまっており、それ以降の情報の更新がなされていない。
ま、記憶に残っている情報が過去のモノだとは認識しているのだが、最新の情報に更新するには、その「穴」を埋めなければならず、単純に最新の情報だけ入れれば良いというモノでもない…。
いったい、いつからそんなアタマになってしまったんだろうと…あれこれ悩むのだが、いつ頃なのか定かでもなく、おそらくはジャンルごとに違いがハッキリはするのだと思う。
例えば、貴公子はカメラマンもしているので、当然と言えば当然だが、そうした分野の情報は最新のモノだし、過去のモノとの繋がりが大きく欠落しているコトも無い。
若い時には興味のあるなしに関わらず、多くのジャンルの情報が雑多に入ってきて、それが不思議な事にしっかりと残っていたり、それぞれが連携していたりもするのだけれど、これがいつの間にか入らなくなるし、欠落するし、連携も遮断されてしまうのである…。
おじたんで言えば、コミックの分野。週刊誌を買わなくなったせいもあるが、「名探偵コナン」との出会いは衝撃でもあり、ショッキングでもあった。
別にそれが個人的におもしろいとか、そうした興味に基づくコトでは無いのだが、巷ではとっくの昔から大人気であり、すでに映画化もされて、コミックもバカ売れ…ってコトを全く知らなかったのである。「ハガレン」もそうだし、「エヴァンゲリオン」もそうだった。
普通に生活していれば、なんとなくそうした情報も今までは入って来ていたハズなのに、ばっさり、ずっぽり「欠落」していたコトに驚くし、ショックだったんである。
なぜにどーして、いつに「欠落」してしまっていたのかさえも定かな記憶が無い。
音楽で言えば、これは好みがあるので仕方ないのだが、X-JAPANの存在は知っていても、その登場と盛り上がりを全く記憶に探せ出せないでいる…。
「イカ天とかあったよねぇ…。」
深夜番組でやっていたのは知っているが、詳しくは観ておらず判らない。まぁ、ビジュアル系なんてのぼちぼち出ていたし…って程度の理解で「終わって」いるのだな…。
学生から社会人になっただけで、こうも情報の欠落が起きてしまうのかどうか?
どうも、その頃がひとつの境界線な感じが思い浮かぶのである…。
まぁ、貴公子よりは少しばかり早く社会人になっているので、そう考えるとこの限りでは無いと思うのだが、貴公子の欠落振りには驚嘆すべき事例が多い。
「オリンピックどーよ? ええっ?」
あー。それについては今回は意図的に全く観ないコトにしているので、どんな案配なのかもサッパリ知らないのだけれど、私の場合はTVを消せば大方の情報は絶たれるので割と簡単だし、紙という媒体はいっさいをやめてしまっているので、新聞で目にするコトも無いのだが、貴公子はフツーにそんなコトの無い生活を送っているハズである…。
意図的に観ないとしていても、それなりに情報は入ってしまうので…
「愛ちゃんとか頑張るんだろ? 卓球。柔道のヤワラちゃんもなぁ…」
と、振ってみると…
「愛ちゃん? ちょっと判らないな…」
ってコトだった…。卓球に全く興味など無くても、愛ちゃんくらいは脳みそに入っていておかしくはないハズなのだが、おぼろげでしか無いらしい…。
うむぅ…。総じて言えるのは…
「昔の俺たちはこんなんじゃなかった…」
と、言うコトだな…。
情報の欠落をもって、オヤジ化が加速度的に進むワケでも無いだろうと思うが、いわゆる「オヤジ化」に示される模範的な「症状」は呈されていると考えて差し支えない…。
それでいても、生きては行けるのだが、何か途方もない損失を続けているかの様な不安はうっすらとつきまとうのだ。それが言葉を変えて「時代遅れ…」とか「取り残された…」と、改めて認知した時、してしまった時に、大きな不安が顔を出す。
トレンドの先を行く…とか、流行に敏感…なんてのは、部分的には残っていたりもするのだけれど、残っていない方の種々雑多さを改めて考えると確実に「ヤバイ…」雰囲気が漂ってしまう…。
まぁ、遅れているのではなく、進みすぎて、あともうちょっとで追い越す…って点にいたりすると考えれば気も楽だが…そんなワケないな…。また、本当は欠落していても、最初から接しなくても全然問題のない情報の海の中に暮らしているとも考えられるのだから、それこそ生きてるんだろう。
欠落した部分を補う事はこれからも出来るのだから、別に大きな問題ではないが、それが起こった理由なりを全く考え出せない…ってのはホントにヤバイんじゃないかと思ったりする。
情報を遮った覚えもなく、身の回りから消し去ったワケでもないのに、アタマに入っていなかった事実。目にしたり、耳にしたり、またはそれらの方法も若い頃とは比較にならないほど多様化して、それが手に取れる状態にあったにも関わらず、記憶に残っていない事実…。
なぜだかとても不思議なのだが、時代に取り残された部分が増えていくんである。
「俺たちさぁ…オヤジじゃね?」
そうなんだ。オヤジなんだ…。ああオヤジ! されどオヤジ…。
誰しもが…
「よぉ! 明日から、おれ、オヤジ。よろしくね!」
なんてコトは無いので、恐れおののくコトも無いのだが、どーしてなんだろ?
まぁ、そんな話をオヤジ2人で盛上がったんである…。夕暮れに霞んで行く遠い富士山の頂を眺めながら…。
ここのところ、満遍なくあらゆる情報に「疎い」コトで盛上がった…。
ジャンルを問わず、全く時代について行けてない…って部分が多々あったりするワケで、それでいて生きているのはリアルに現代だったりする。
まぁ、知らないでいても生きては行ける…ってコトだから、取り立てて悩んだり、苦しんだりはしなくても良いのだが、貴公子の話を聞いていると、自分より深刻な様子がうかがえるのである…。
「若貴なんじゃないの?」
相撲と言えば、朝青龍と白鵬である…。若貴となると若の方はずいぶんと前に廃業しているので、かなりのブランクに違いないが、詳しくは知らん…。
「ボルグとかマッケンローとかさぁ…」
とんと詳しくないが、どちらもかなり前にピークを過ぎている…。
「ジャンボとか中島じゃないの?」
そろそろぽっちゃり王子とかなぁ…。
と、まぁスポーツに限った事では無いが、かなり浮世離れした感覚が最新の状態で記憶に残ってしまっており、それ以降の情報の更新がなされていない。
ま、記憶に残っている情報が過去のモノだとは認識しているのだが、最新の情報に更新するには、その「穴」を埋めなければならず、単純に最新の情報だけ入れれば良いというモノでもない…。
いったい、いつからそんなアタマになってしまったんだろうと…あれこれ悩むのだが、いつ頃なのか定かでもなく、おそらくはジャンルごとに違いがハッキリはするのだと思う。
例えば、貴公子はカメラマンもしているので、当然と言えば当然だが、そうした分野の情報は最新のモノだし、過去のモノとの繋がりが大きく欠落しているコトも無い。
若い時には興味のあるなしに関わらず、多くのジャンルの情報が雑多に入ってきて、それが不思議な事にしっかりと残っていたり、それぞれが連携していたりもするのだけれど、これがいつの間にか入らなくなるし、欠落するし、連携も遮断されてしまうのである…。
おじたんで言えば、コミックの分野。週刊誌を買わなくなったせいもあるが、「名探偵コナン」との出会いは衝撃でもあり、ショッキングでもあった。
別にそれが個人的におもしろいとか、そうした興味に基づくコトでは無いのだが、巷ではとっくの昔から大人気であり、すでに映画化もされて、コミックもバカ売れ…ってコトを全く知らなかったのである。「ハガレン」もそうだし、「エヴァンゲリオン」もそうだった。
普通に生活していれば、なんとなくそうした情報も今までは入って来ていたハズなのに、ばっさり、ずっぽり「欠落」していたコトに驚くし、ショックだったんである。
なぜにどーして、いつに「欠落」してしまっていたのかさえも定かな記憶が無い。
音楽で言えば、これは好みがあるので仕方ないのだが、X-JAPANの存在は知っていても、その登場と盛り上がりを全く記憶に探せ出せないでいる…。
「イカ天とかあったよねぇ…。」
深夜番組でやっていたのは知っているが、詳しくは観ておらず判らない。まぁ、ビジュアル系なんてのぼちぼち出ていたし…って程度の理解で「終わって」いるのだな…。
学生から社会人になっただけで、こうも情報の欠落が起きてしまうのかどうか?
どうも、その頃がひとつの境界線な感じが思い浮かぶのである…。
まぁ、貴公子よりは少しばかり早く社会人になっているので、そう考えるとこの限りでは無いと思うのだが、貴公子の欠落振りには驚嘆すべき事例が多い。
「オリンピックどーよ? ええっ?」
あー。それについては今回は意図的に全く観ないコトにしているので、どんな案配なのかもサッパリ知らないのだけれど、私の場合はTVを消せば大方の情報は絶たれるので割と簡単だし、紙という媒体はいっさいをやめてしまっているので、新聞で目にするコトも無いのだが、貴公子はフツーにそんなコトの無い生活を送っているハズである…。
意図的に観ないとしていても、それなりに情報は入ってしまうので…
「愛ちゃんとか頑張るんだろ? 卓球。柔道のヤワラちゃんもなぁ…」
と、振ってみると…
「愛ちゃん? ちょっと判らないな…」
ってコトだった…。卓球に全く興味など無くても、愛ちゃんくらいは脳みそに入っていておかしくはないハズなのだが、おぼろげでしか無いらしい…。
うむぅ…。総じて言えるのは…
「昔の俺たちはこんなんじゃなかった…」
と、言うコトだな…。
情報の欠落をもって、オヤジ化が加速度的に進むワケでも無いだろうと思うが、いわゆる「オヤジ化」に示される模範的な「症状」は呈されていると考えて差し支えない…。
それでいても、生きては行けるのだが、何か途方もない損失を続けているかの様な不安はうっすらとつきまとうのだ。それが言葉を変えて「時代遅れ…」とか「取り残された…」と、改めて認知した時、してしまった時に、大きな不安が顔を出す。
トレンドの先を行く…とか、流行に敏感…なんてのは、部分的には残っていたりもするのだけれど、残っていない方の種々雑多さを改めて考えると確実に「ヤバイ…」雰囲気が漂ってしまう…。
まぁ、遅れているのではなく、進みすぎて、あともうちょっとで追い越す…って点にいたりすると考えれば気も楽だが…そんなワケないな…。また、本当は欠落していても、最初から接しなくても全然問題のない情報の海の中に暮らしているとも考えられるのだから、それこそ生きてるんだろう。
欠落した部分を補う事はこれからも出来るのだから、別に大きな問題ではないが、それが起こった理由なりを全く考え出せない…ってのはホントにヤバイんじゃないかと思ったりする。
情報を遮った覚えもなく、身の回りから消し去ったワケでもないのに、アタマに入っていなかった事実。目にしたり、耳にしたり、またはそれらの方法も若い頃とは比較にならないほど多様化して、それが手に取れる状態にあったにも関わらず、記憶に残っていない事実…。
なぜだかとても不思議なのだが、時代に取り残された部分が増えていくんである。
「俺たちさぁ…オヤジじゃね?」
そうなんだ。オヤジなんだ…。ああオヤジ! されどオヤジ…。
誰しもが…
「よぉ! 明日から、おれ、オヤジ。よろしくね!」
なんてコトは無いので、恐れおののくコトも無いのだが、どーしてなんだろ?
まぁ、そんな話をオヤジ2人で盛上がったんである…。夕暮れに霞んで行く遠い富士山の頂を眺めながら…。