おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

…この波に乗るしかない…?。

2013-03-03 10:03:48 | おじたん。的便宜耳机評論。
…もう2月も終わっちゃうんだなぁ…。あ、終わっちゃったなぁ…。

なにやら、AMがFMに変わる…なんてニュース記事が流れていたが…これはちょっと驚き。

まぁ、もっともらしい事は書いてあり、AMが都市部では聴きづらくなってきた事と、聴取者が減り続けていて、広告収入も極めてよろしくない…って事であった。

そもそもラジオ業界はだいぶ前からラジオのデジタル化って事を目指してはいたのであるが…こうもよろしくないご時世だと、莫大な資金のかかるデジタル化するよりはFM化して当面しのごう…って事に向かっているみたい…。

加えて…防災面でも有利なFMを国として推す…みたいな話も出ていた。

さてと…果たしてFMへと生まれ変わることで、何かとよろしくなり、景気のいい話になるのかどうか?

FMだって苦しい事に変わりなく、聴取者とてAMと同じ様に減り続けているワケだし、防災に有利かどうかなんて実際にはAMだろうがFMだろうがSWだろうが関係ない。比較的限定された範囲なら開局が簡単だし、市中に出回っている安価なラジオでも聴取が可能な点でFMが手っ取り早い…ってだけの話。非常にローカルなFMであっても正規に申請して開局にこぎつけるなんてのはえらい時間が掛かるが、震災なので特例措置として簡易に開局出来る様にしただけである…。

そうした規模の小さな放送局とは違って、広域をカバーするAM局がFM局に移行する…ってのは実はかなり面倒くさい事になる。ローカルな小さなFM局へ転進するのなら簡単だが…今までどおりのエリアをカバーするにはあれこれと面倒になっている。設備的な問題もあれば、ラジコで判るとおりに、エリアによる制限なんてのも当然出て来るので、単純に出力を上げれば済むとか、中継局を増やせば済む…って話でもない。

そんなこんなはともかく…FM化したところで聴取者が増えて、それが広告収入に繋がるのかどうなのか?

これは甚だ疑問である…。とても良い番組であってもスポンサーがコロコロ変わる、たまに無くなる…なんて番組だってあるし、かつてはスポンサーを読み上げるのにさえ時間が結構掛かっていた有名な番組でさえ、1社の他は各社…って事で端折られていたりする。

まぁ、聴きづらいよりは良好に聴けた方が、聴取者にとってはありがたい事だけれど、単にそうなったからと言ってラジオを聴く時間が増えるかどうかは別の問題だ。どんなに聴きづらくても、耳を澄ませて雑音の中から番組を拾って聴く…なんてのは当たり前になっている。そうした意味ではラジコの登場は福音にも似たありがたさを持って迎えられたワケだけれども、この話ではネット経由のこうしたコンテンツの送信はさておかれる…。

あくまでも、放送局の送信所から送られた電波を比較的安価に所有できるラジオで直接受信して…って所が肝なのである…。

こうした仕組みが、災害時には最強の情報伝達手段に変わらないからね。一方的な情報の伝達ではあっても、ラジオ放送に勝る仕組みがまだ出来上がっていないのだ。

そうした事を含んで考えたら…短波放送が実は最強なのかもしれない。AMやFMとは比較にならないエリアをカバーできるし、そこそこの電力で日本はすっぽりカバー出来ている。まぁ、AMやFMとは比較にならないほど音質が悪い…ってオチはあるのだけれど、単に言葉の伝達だけならさほど問題にもならいないだろうし…。

とまぁ…懸念はいろいろあるので、おいそれと一気に進むとは考えられそうも無いのだけれど…本質的には聴取者の減少が著しいことに尽きるのではないかと思うんである…。

でもね、結構ラジオ聴いている人はいるんだよね…そこがまた不思議なのだが…聴いている人がいるにも関わらず、聴取者が減り続けているのも変な話だが、実際にはそうなんだと言う。おかげで、ラジオでの宣伝広告の効果すら疑わしくなってしまい…スポンサー離れに繋がってもいると言われている。これはTVでも同じだろうな…見たいのはCMではなくて、番組のほうなんだから。見たいと思われるCMが無いわけではないが、数少ないだろうしね…。

どうも、通り一遍ラジオを聴いてみると…番組に付いて回る聴取者の影が極めて薄い事に気づく。

昔の人気番組にはマスと言う単位で聴取者がそこに付いて回っている感じが聞き取れた。またそうしたマスを相手に行う特別なイベントでも、外しは無かったのも事実だ。今、同じタイトルの人気番組を聴いていても、そこにマスの影がちらつくことすら感じない…。

…コンテンツの陳腐化…。

要は、面白くなくなった…と言うことか…。

先日、ニッポン放送の看板番組「オールナイトニッポン」が45周年を迎えての45時間特番が行われ、ほぼ全部聴いていた。総じて…面白かったのではあるが、かつての面白さはやはりそこになく、何か空々しい感じが付いて回っていた。

45年と言う歴史を裏付けるだけの膨大なアーカイブはあるのだろうけれど、現在では放送に出来ないとの理由で、かなり限られたモノしか再披露されなかったのである。いわゆる、コンプライアンスに抵触する恐れ…ってのと、著作権の改定によって…放送に値できないアーカイブとなってしまったからだと、少しだけの説明がやんわりとあった。

そんなこんななので…目新しい事も少なければ、過去すらも存分に振り返ることも出来ないままに終わってしまった感じが否めない。現状で、これが精一杯って事なら、惨憺たる結果の末じゃなかろうかな…。

聴取者の求める面白さと、放送局の作り出す面白さがひどく乖離し過ぎてしまっているのかもしれない。ニッポン放送に限った話ではない。どこの局でも同じだろう。どこで何を作っても均一化が著しく、聴取者がそこに面白みを感じる事が出来なくなってしまっているのではないか。

昔なら…どの局でもマスと言う聴取者が付いて回る番組が1つはあったもんだ。得てして、若者を主体としたマスが築き上げられ、それらが動けば金も動く…。そうした一連の動きがどこで終わってしまったのか?

ライフスタイルの変化に伴う…なんて言い訳は免罪符のようでイヤなのだが、確かにそうした面での変化はあるかもしれない。中には、マスを対象とせずに、限られた人達を対象にする事で人気を得ている番組もある。オタクならオタクに向けて特化することでコミュニティーすら形成し、一定の評価と人気を得ている番組もあったりする。そうした努力がそこに成功を導いている事は間違いないが、商業的に大きく成功していると言えるまでになってもいないんだろう。

単純に、ラジオ聴く方の身としてみれば、ラジコでエリア制限が外れてくれたらハッピー! ってだけ。どこの放送局もクリアに聴ければ、こんなに良い事は無いんである。電波だろうがネットだろうが、コンテンツに差が無ければどっちだって良い話しだし、それらを受信できるツールは既に手元にあるんだから…。

さぁ、何してどうしたらラジオがさらに強まって、面白くなって、景気が良くなって、みんなが幸せになれるのか? それとも、もうラジオは一定の役割を終えてしまったのか? 電波の電気代もったいないからラジコ専門局なんて放送局が現れるのか? 

誰にも判らないんである…。ただ、その他いろいろの制限のおかげで、昔よりつまらなくなった事だけは確かな事だと思うよ…。

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