働き人が、その報酬を受けるのは当然である。
(マタイによる福音書第10章10節・テモテへの第一の手紙第5章18節)
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主イエス・キリストのみことばである。
牧師、司祭、神父すべての伝道者も「一労働者」である。
司祭としてのあるいは牧師としての報酬をいただくのはごく自然なことごくフツーの事だと主はおっしゃりたいのである。
もちろん「病気をいやしてやったから○×千万円よこせ」というのは論外である。
あくまでもその宗教団体で、その教派の教会で決めた「牧師としての司祭としての給料」である。
わたし少女ジーザスとしては、パウロのように「労働司祭」という在り方が理想である。
「労働司祭」であったパウロでさえ、お金のことではヘンチクリンな誤解を受けたからである。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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【牧師あるいは司祭の報酬について(新約聖書)】13・09・19
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