ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

金と地位と名誉と権力によって邪魔されているもの。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2020年09月05日 00時10分11秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
      あなたはどこにいるのか。

        (創世記 第3章 第9節 )



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 この主イエス・キリストの呼びかけにあなたはどのように答えるだろうか?
 「あなたはどこにいるのか」。
 この呼びかけは、有名な100匹の羊と失われた1匹の羊のたとえ話に通じていると思う。主イエス・キリストは探す必要のない99匹を安全な場所に置いておき、迷った1匹を探す牧者である。
 「迷える羊」というように日本人でもよく使う慣用句になっている。
 この迷った1匹とはわたしのことであり、この拙文を読んで下さっているあなたのことである。人もそのほかの生き物も、みんな「迷える羊」なのだ。あるいは迷える羊になる可能性を持った存在なのだ。
 「迷っている」から「牧者」たる主イエス・キリストに祈ることによって導いていただく必要がある。
 あなたは何に迷っている状態だろうか?
 恋愛か、受検か、親との関係か、友人との関係か?
 人間はみんなお互いにどのようにして愛しあったらよいのか分からない状態なのだ。主イエス・キリストによって「愛し合うために」創造された人間同士なのに。
 わたしは主イエス・キリストに祈ることによって「愛し合う」とは「理解し合う」ことだという結論に達した。
 「愛されること」とは「理解し理解されること」だと思う。このたったひとつの大切なことがナイガシロにされ、人間はすぐ「金と地位と名誉と権力」に飛びつく。「金と地位と名誉と権力」そのものが「神さま」とでも思っているのだ。
 わたしは「金と地位と名誉と権力」にキュウキュウとなっている人間の存在そのものが「原罪」に陥るのだと思っている。つまり「愛」のかわりに「金と地位と名誉と権力」が神なのだ。
 主イエス・キリストに朝晩お祈りすると、主イエス・キリストは私に対して「金と地位と名誉と権力」にだけにはよくよく気をつけるようにと導いてくださる。
 
 一度ざっとこの世の中を見渡してごらん。人間が愛し合うのにいかに「金と地位と名誉と権力」が邪魔になっているかを……。




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