ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主イエス・キリストのみ言葉。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年09月14日 00時09分14秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
     一同が旅を続けているうちに、イエスがある村にはいられた。
     するとマルタという女がイエスを家に迎え入れた。
     この女にマリヤという名の妹がいたが、主の足元に座って、
     み言葉に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで
     忙しくて心をとりみだし、イエスのところに来て言った、
     「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんとも
      お思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹に
      おっしゃってください」。
     主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くの
     ことに心を配って思い煩っている。しかしなくてはならぬものは
     多くはない。いやひとつだけである。マリアはその良い方を選んだ
     のだ。そして、それは彼女から取り去ってはならないものである」。


        (ルカによる福音書 第10章 38節~42節)



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 上記の聖書のエピソードでは、主イエス・キリストがフツーのクリスチャンに何を望んでいるのかが簡潔に書かれている。
 主イエス・キリストという神さまは、ただ「自分のことば(み言葉)」を聴いて欲しいだけなのである。み言葉は何も聖書の言葉だけとは限らない。
 ひとりのフツーのクリスチャンが「主よ、み言葉を聴かせてください」といつも主イエス・キリストに向かって祈っていれば、「すべてのこと、すべての本、すべてのもの」は主イエス・キリストのみ言葉となる。
 主イエス・キリストの足元に座っているものとされる。
 わたしは何度もこのブログで書かせていただいたが、ここにも「主イエス・キリストを信じてお祈りする」ことがいかに大切かがおわかりいただけると思う。
 だからわたしは「神のみ言葉」「主イエス・キリスト」を信じて、お祈りするのだ。



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