愚かな娘たちはともしびは持っていたが、
油を用意しておかなかった。
(マタイによる福音書第25章 3節 )
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ここで言っている愚かな娘たちはともしびは持っていたのである。
つまり主に対する信仰は持っていたのである。
しかし「油は用意しておかなかった」とある。つまり「お祈り」が
なかったのである。
現代のクリスチャンにもこれは言える。
教会に行って公同でお祈りをするのがやっとで、普段の生活の中での
お祈りがないのである。細かいことを言えば、クリスチャンは家族の
中で自分だけなので食前の感謝をしないで平気で食べるとかやって
しまうわけである。その他病気になった時などに、すぐに主ご自身に
「治してください」とお祈りがない。わたしもそうだったが今現在は
家族が全員クリスチャンなので、昔の苦労が報われている。
主にある小さな3人の家族でみんな仲良くお祈りをしている。
信仰だけ持っていてもお祈りがないのは信仰がないのと同じである。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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