9・父も量りなく、子も量りなく、聖霊も量りなし。
神さまのことは、全宇宙のどのような生命体にも
思慮することはできません。
すべては神よりの啓示、全宇宙も量りなし。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
たとえどのような高潔なことを言う生命体(人間も含まれる)が
いたとしても、神さまのことは頭の中で正しく考え出すことはで . . . 本文を読む
こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を
与えられた。
(歴代誌Ⅰ 第18章 6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
ダビデがなぜこうも主に重んじられたかと言ったら
ダビデはいつも主と話していたからである。
つまり主にお祈りをしていたのである。
ダビデは主と話し合ってこれから先することを決めた。
ダビデは . . . 本文を読む
主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
(ヨナ書 第1章 17節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
有名な「ヨナのしるし」である。
主イエス・キリストが十字架上で死んでくださり三日三晩
墓の中にいたことを預言している。
主はほんとうに三日三晩墓の中にいたのである。
そして三日たった朝 . . . 本文を読む
こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデが
そのために張った天幕の真ん中に安置した。
(歴代誌Ⅰ 第16章 1節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
現代ではこの上記引用聖句で言っているところの「神の箱」は
「聖書」を指すものだと思う。
「天幕の真ん中に安置した」とあるが、ひとりひとりのクリスチャンの
生活の中心に「聖 . . . 本文を読む
ペリシテ人は、ダビデが油そそがれて全イスラエルの王
となったことを聞いた。
そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。
ダビデはそれと聞き、彼らを迎え撃ちに出た。
ペリシテ人は来て、レファイムの谷間に突入した。
そこで、ダビデは神に伺って言った。
「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に
渡してくださるでしょうか」。 . . . 本文を読む
『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、
あなたがわたしの民イスラエルの君主となる』。
(歴代誌Ⅰ 第11章2節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
文字通りにはここで主なる神がおっしゃっているあなたとは
ダビデのことであるが、これは主イエス・キリストご自身を指す
遠い預言である。
今現代では主イエス・キリストはすべてのク . . . 本文を読む
断食はそれに伴う肉体的苦痛を通して
深い罪の自覚と恐れをもって神に近づく者の
熱心な祈りと悔い改めを表現しているのである。
(「新約聖書辞典」 いのちのことば社)
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
ここを読んで断食をしたくてもできない自分がちょっと
情けなくなった。しかし上記引用文にある「深い罪の自覚」というのは
なんとか祈 . . . 本文を読む
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。
きょうは、あなたの家に泊まることにしているから」。
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
(ルカによる福音書第19章 5・6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
ザアカイは取税人で大金持ちであった。
しかしいくら大金持ちでも人々からさげすまれていたのを
. . . 本文を読む
天、それはどこか。
皆さんはどういうふうにお答えになるでしょう。
ひとつの答えはこうです。
天、それを私どもが仰ぐことはできないかもしれないが、
主イエスは、そこから来て、私どもと同じ人間になって
くださった。
私どものこの地上の労苦を知り、大工の子として育ち、
働き、肉体の飢えと渇きをお知りになった。
(加藤常昭説教全集2 マ . . . 本文を読む
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって造られたのである。
(エペソ人への手紙 第2章 10節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
わたしたちはみんなどのような者でも「主の創造」である。
神の作品とはそういうことである。神が作ったのであるから、
たとえどのように見えようとも駄作はただのひと . . . 本文を読む