あのとき、神のともしびが私の頭を照らし、
その光によって私はやみを歩いた。
私がまだ壮年であったころ、
神は天幕の私に語りかけてくださった。
全能者がまだ私とともにおられたとき、
私の子どもたちは、私の回りにいた。
あのとき、私の足跡は乳で洗われ、
岩は私に油の流れを注ぎ出してくれたのに。
(ヨブ記第29章 3から6節 )
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神を敬わない者の望みはどうなるであろうか。
神が彼を断ち切り、
そのいのちを取り去るときは。
苦しみが彼にふりかかるとき、
神は彼の叫びを聞かれるであろうか。
(ヨブ記第27章 8・9節 )
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神がわたしたちのいのちを取り去りわたしたちが苦しみの
声をあげる時でさえ神はわた . . . 本文を読む
主権と恐れとは神のもの。
神はその高き所で平和をつくる。
その軍勢の数ほどのものがほかにあろうか。
その光に照らされないものがだれかいようか。
人はどうして神の前に正しくありえようか。
女から生まれた者が、
どうしてきよくありえようか。
ああ、神の目には
月さえも輝きがなく、星もきよくない。
虫けらの人の子はなおさらである。
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ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、
うしろに行っても、神を認めることができない。
左に向かって行っても、私は神を見ず、
右に向きを変えても、私は会うことができない。
しかし、神は、私の行く道を知っておられる。
(ヨブ記第23章 8から10節 )
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ヨブのように苦しみに会ってもヨブは . . . 本文を読む
すると、会堂管理者のひとりでヤイロという者が来て、
イエスを見て、その足もとにひれ伏し、いっしょうけんめい願って
こう言った。「私の小さい娘が死にかけています。どうかおいで
くださって娘の上に御手を置いてやってください。
娘が直って助かるようにしてください」。
そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆が
イエスについて来てイエ . . . 本文を読む
さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家に
おられると、ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを
持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。
「何のために、こんなむだなことをするのか。
この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに」。
するとイエ . . . 本文を読む
「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているように、
すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」
(ヨハネによる第三の手紙 第1章2節 )
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上記引用聖句で使徒ヨハネ」は「愛する者よ」と呼びかけている。
なんと幸いなことであろうか。
わたしたちに「愛する者よ」と呼びかけていらっ . . . 本文を読む
神はそのような者の子らのために、
彼のわざわいをたくわえておられるのか。
彼自身が報いを受けて
思い知らなければならない。
(ヨブ記第21章 19節 )
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罪は犯した本人自身がつぐなわなければならない。
けっしてその人の子供、親、親せきがその人の犯した罪のために
とやかく言われてイ . . . 本文を読む
私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、
後の日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮がこのようにはぎとられて後、
私は、私の肉から神を見る。
この方を私は自分自身で見る。
私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。
私の内なる思いは私のうちで
絶え入るばかりだ。
(ヨブ記第19章 25から26節 )
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それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちを
みな追い出し、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛を倒された。
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と
書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
(マタイによる福音書第21章 12・13節 )
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