あなたがたはキリストのからだであって、
一人ひとりはその部分です。
神は教会の中に第一に使徒たち、第二に預言者たち、
第三に教師たちそして力あるわざ、そして癒しの賜物
管理、種々の異言を備えてくださいました。
皆が使徒でしょうか、皆が預言者でしょうか、皆が教師
でしょうか、すべてが力あるわざでしょうか、皆が癒しの
賜物を持っているでしょうか。皆 . . . 本文を読む
私は主から受けたことをあなたがたに伝えました。
すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、
感謝の祈りをささげた後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。
わたしを覚えて、これを行ないなさい」。
食事の後、同じように杯を取って言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約です。
飲むたび . . . 本文を読む
『わたしは主である。
わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。
あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた
腕と大いなるさばきによって贖う。……』
(出エジプト記第6章 6節 )
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「わたしは主である」とは神は創造主であり、王であり、預言者であり、
祭司であり、民に対 . . . 本文を読む
あなたがたは彼らのうちにある人たちのように、偶像崇拝者
になってはいけません。
(コリント人への第一の手紙第10章 7節 )
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イスラエルが荒野で試練にあっている時、彼らのうちの
ある者は真の神から離れて偶像崇拝に陥ってしまったのである。
試練のうちにあるときにはよくこのようなことがあるものである . . . 本文を読む
神はモーセに仰せられた。
「わたしは『わたしはある』という者である」。
また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、
こう言わなければならない。『わたしはある』と
いう方が私をあなたがたのところに遣わされた、と」。
(出エジプト記第4章 12から14節 )
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モーセにあらわれた神の . . . 本文を読む
わたしは神に生きるために、律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に十字架につけられた。
生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストがわたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、
わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰に
よって生きているのである。
. . . 本文を読む
しかし、私たちを神の御前に立たせるのは食物では
ありません。食べなくても損にならないし、食べても
得になりません。
(コリント人への第一の手紙 第8章8節 )
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偶像にそなえられたとされる食べ物についてである。
もちろん偶像なるものはないのであるからどのように
うやうやしく食べ物をささげられ . . . 本文を読む
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主よ
ゆるしていただきたいことが
頭のてっぺんからつま先までたまりました
たまりにたまりました
だから少しでも
「ゆるす」ということばが
読みかけの本に出てくるとハッとします
主よ
あなたのゆるしに飢えています
主よ
でもこう祈るしかないのですね
主よ
ゆるしてく . . . 本文を読む
私が今書いたのは、兄弟と呼ばれる者で、淫らな者、貪欲な者、
偶像を拝むもの、人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者が
いたらなら、そのような者とは付き合ってはいけない、一緒に
食事をしてもいけない、ということです。
外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。
あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
外部の人たちは神 . . . 本文を読む
パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、
また世界であれ、いのちであれ、死であれ、
また現在のものであれ、未来のものであれ、
すべてはあなたがたのもの、
あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの
です。
(コリント人への第一の手紙第3章 22・23節 )
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わたしたちの . . . 本文を読む