ご覧の通りの急階段なので、手すりにつかまりながら、おっかなびっくりの体で下り切った。
階段を下りたすぐ右手に法真寺の山門がある。
法真寺は日蓮宗の寺院で稲附山法眞寺と号し、御本尊は十界曼荼羅である。
慶安2年(1649)に徳川家光より13石2斗の御朱印を拝領しており、現在でも、京都では門跡寺院の格式で処遇されている。
岩槻街道から法真寺に向かう入口には題目塔が建っており、境内の鐘楼堂には宝暦7年(1757)に造られた梵鐘が吊られている。
法真寺(北区赤羽西)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/housinji/hondou.htm
次は、法真寺から稲付公園に行って一休みしようと思ったのだが、手前の道で右折してしまい、予定になかった 鳳生寺(ほうしょうじ=赤羽西3-21-18)の前まで行ってしまった。
鳳生寺は岩淵山鳳生寺と号し、御本尊は釈迦如来三像である。
太田道灌の開基と伝えられ、放生寺として岩淵宿にあったが、当地に移転し鳳生寺と改称したとのことである。
鳳生寺門前から西へ上る坂は 「鳳生寺坂」 と呼ばれている。
せっかく来たので境内に入ってみたが、予備知識が無いので本堂に拝礼だけして、すぐに出てしまった。
鳳生寺(北区赤羽)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/houshouji/hondou.htm
元の曲がり角まで戻って ④ 稲付公園 (赤羽西 3-19-5)に行く。
少し先、右手の坂をちょと上った所に稲付公園がある。
講談社の創立者野間清治氏の別宅跡に造られた公園で、割と広い感じだったが、小休止しただけだったので、全体の様子は分からない。
公園の前には 「野間坂」 という標柱が建っていたが、野間邸にちなんでつけられた名称とのことである。
北区の坂道 野間坂/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da114.htm
元の道を少し戻って、赤羽西3-14の角を右折して路地を進むと、三差路になり、目の前の崖沿いに階段が見える。
こんな所を上るのかなと思っていたら、地元の人が上って行ったので後をついて上ることにした。
けっこうきつい階段だったが、上り切ってすぐに ⑤ 清水坂公園 (十条仲原 4-2-1) があった。
だがしかし、園庭はずっと下の方に広がっているのである。
しかたがないので、また階段を下りて下まで行ってみた。
園内にある 「自然ふれあい情報館」 では、北区で見られる昆虫、植物、魚類などを展示・飼育しているほか、各種の講習会も定期的に開かれている。
「正岡子規赤羽根土筆摘み歌句碑」 なるものもあったが、文字が達筆すぎて読めないし、解説文は消えかかっていて判読もできなかった。
公園の全景を見るため埼京線側まで行ってから坂道を上って、公園の上端まで出てから ⑥ 十条富士見銀座商店街・十条銀座商店街(十条仲原1~ 上十条3丁目)に行こうと、右手の路地に入ったまではいいが、そこから先で完璧に道を間違えてしまった。
一つ目の角を左折すればすぐに環七通りに出られたものを、そのまま直進してしまったために、行き止まりで階段を下りたり、急坂を下ったりしていたら、上十条5丁目の標識が目に着くようになってきた。
慌てて取って返したが、今度は公園の方まで戻る道の分岐点が分からなくなってしまった。
ようやくにして、 十条富士見銀座商店街に渡る交差点の所に出られたが、もう、戦意喪失という感じになってきていた。
十条富士見銀座商店街
www.fujimiginza.com/acces/syoutengaichizu.htm
十条銀座商店街振興組合
www.jujo-ginza.com/
折しも、雲行きが怪しくなって、予想もしなかった雨粒が落ちてきた。
たいしたことはなかったのだが、急いで十条富士見銀座商店街の方に進んだ。
幸いにして、アーケードの商店街が続いていたので助かったが、昼時だったこともあり、人混みをかき分けながら十条駅まで脇目も振らずに直進した。
十条駅から赤羽駅へ戻る途中、埼京線の車中から清水坂公園が手に取るように見え、ちょっと複雑な感じがした。
このコースを歩いてみて、距離的には一駅間にもかかわらず、やたら路地や階段、坂道の多いのに閉口した。
いつものことだが、こうした観光コースを設定しているのならば、要所、要所には案内標識を備えるべきではないかと思う。
Webからダウンロードしたコースマップだけが頼りでは、迷子になるのは私だけではないと思う次第である。