近事変々

思いつくまま、気の向くまま綴る「おとりん」のサイトです。
※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

北区のさんぽみち(4)・・・「赤羽・十条エリア」【後編】

2012-03-29 16:42:23 | 近事変々
香取神社の右隣りには  ③ 法真寺(ほうしんじ=赤羽西 2-23-3)があるのだが、参道の階段を下りないと行かれない。 
ご覧の通りの急階段なので、手すりにつかまりながら、おっかなびっくりの体で下り切った。



階段を下りたすぐ右手に法真寺の山門がある。
法真寺は日蓮宗の寺院で稲附山法眞寺と号し、御本尊は十界曼荼羅である。
慶安2年(1649)に徳川家光より13石2斗の御朱印を拝領しており、現在でも、京都では門跡寺院の格式で処遇されている。
岩槻街道から法真寺に向かう入口には題目塔が建っており、境内の鐘楼堂には宝暦7年(1757)に造られた梵鐘が吊られている。

 

法真寺(北区赤羽西)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/housinji/hondou.htm

次は、法真寺から稲付公園に行って一休みしようと思ったのだが、手前の道で右折してしまい、予定になかった 鳳生寺(ほうしょうじ=赤羽西3-21-18)の前まで行ってしまった。

鳳生寺は岩淵山鳳生寺と号し、御本尊は釈迦如来三像である。
太田道灌の開基と伝えられ、放生寺として岩淵宿にあったが、当地に移転し鳳生寺と改称したとのことである。
鳳生寺門前から西へ上る坂は 「鳳生寺坂」 と呼ばれている。
せっかく来たので境内に入ってみたが、予備知識が無いので本堂に拝礼だけして、すぐに出てしまった。

 

鳳生寺(北区赤羽)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/houshouji/hondou.htm

元の曲がり角まで戻って  ④ 稲付公園 (赤羽西 3-19-5)に行く。
少し先、右手の坂をちょと上った所に稲付公園がある。
講談社の創立者野間清治氏の別宅跡に造られた公園で、割と広い感じだったが、小休止しただけだったので、全体の様子は分からない。
公園の前には 「野間坂」 という標柱が建っていたが、野間邸にちなんでつけられた名称とのことである。

 

 

北区の坂道 野間坂/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da114.htm

元の道を少し戻って、赤羽西3-14の角を右折して路地を進むと、三差路になり、目の前の崖沿いに階段が見える。
こんな所を上るのかなと思っていたら、地元の人が上って行ったので後をついて上ることにした。

 

けっこうきつい階段だったが、上り切ってすぐに ⑤ 清水坂公園 (十条仲原 4-2-1) があった。
だがしかし、園庭はずっと下の方に広がっているのである。
しかたがないので、また階段を下りて下まで行ってみた。

 

園内にある 「自然ふれあい情報館では、北区で見られる昆虫、植物、魚類などを展示・飼育しているほか、各種の講習会も定期的に開かれている。
「正岡子規赤羽根土筆摘み歌句碑」 なるものもあったが、文字が達筆すぎて読めないし、解説文は消えかかっていて判読もできなかった。

 

公園の全景を見るため埼京線側まで行ってから坂道を上って、公園の上端まで出てから ⑥ 十条富士見銀座商店街・十条銀座商店街(十条仲原1~ 上十条3丁目)に行こうと、右手の路地に入ったまではいいが、そこから先で完璧に道を間違えてしまった。

一つ目の角を左折すればすぐに環七通りに出られたものを、そのまま直進してしまったために、行き止まりで階段を下りたり、急坂を下ったりしていたら、上十条5丁目の標識が目に着くようになってきた。
慌てて取って返したが、今度は公園の方まで戻る道の分岐点が分からなくなってしまった。
ようやくにして、 十条富士見銀座商店街に渡る交差点の所に出られたが、もう、戦意喪失という感じになってきていた。

 

十条富士見銀座商店街
www.fujimiginza.com/acces/syoutengaichizu.htm

十条銀座商店街振興組合
www.jujo-ginza.com/

折しも、雲行きが怪しくなって、予想もしなかった雨粒が落ちてきた。
たいしたことはなかったのだが、急いで十条富士見銀座商店街の方に進んだ。
幸いにして、アーケードの商店街が続いていたので助かったが、昼時だったこともあり、人混みをかき分けながら十条駅まで脇目も振らずに直進した。

十条駅から赤羽駅へ戻る途中、埼京線の車中から清水坂公園が手に取るように見え、ちょっと複雑な感じがした。
このコースを歩いてみて、距離的には一駅間にもかかわらず、やたら路地や階段、坂道の多いのに閉口した。
いつものことだが、こうした観光コースを設定しているのならば、要所、要所には案内標識を備えるべきではないかと思う。
Webからダウンロードしたコースマップだけが頼りでは、迷子になるのは私だけではないと思う次第である。

北区のさんぽみち(4)・・・「赤羽・十条エリア」【前編】

2012-03-29 11:18:41 | 近事変々
去る25日の日曜日は、朝から晴天で真っ青な空が広がっていた。
そうなると、暇があれば外歩きしてみたくなる性分なので、取るものも取り敢えずバスに飛び乗った。

行き先はいうまでもなく「北区のさんぽみち」なのだが、4回目となる今回は「赤羽・十条エリア」である。
モデルコースでは約37分とのことだが、多少は土地勘がある場所なので、他のスポットにも寄り道をしてみ
ることにした。

「北区のさんぽみち」・・・「赤羽・十条エリア」
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/d/index.html

「赤羽・十条エリア」・・・「観光スポット」
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/d/list.html



最初に向かったのは、赤羽駅西口のバス降車場から少し戻って、パルロード3のループ館前の交差点を渡ったった弁天通りという商店街である。
タグチビル前の右手、路地の奥に ⑦ 亀ヶ池弁天(赤羽西 1-29)がマンションの手前にひっそりと祀られている。
右端を歩いていたので最初は気がつかなかったのだが、赤塗りのアーチに「亀ヶ池弁財天」という商店会の看板が架かっていた。

 

この辺一帯は、これから行く静勝寺の西側になり、かつては『江戸名所図会』にも描かれた「亀ヶ池」という大きな池があり、明治まで灌漑用溜池として利用されていたとのことである。
弁天堂は小さな名残りの池の中島にあり、池の中には亀に乗った弁財天らしき石像があった。
毎年4月の第1日曜日には、「弁天例大祭」が執り行われている。

 

亀ヶ池弁天/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/inatuke/benten.htm

本来なら、 ① 静勝寺(じょうしょうじ=赤羽西 1-21-17)には、赤羽駅西口のパルロード1と3の間を抜けて、旧岩槻街道(都道460号線)側から急な階段を上ることになるのだが、亀ヶ池弁天からは反対側の路地に入って階段を上ることになる。
階段を上って右側の路地を進んでいくと、今度は左手に上るつづら折りの長い階段が現れる。
ふうふういいながら上り終え、路地を少し先に行くと静勝寺駐車場の前に出る。

 

 

静勝寺は曹洞宗の寺院で、自得山と号し、御本尊は釈迦如来三像である。
境内にある道灌堂には太田道灌の坐像が納められており、命日の7月26日に開扉される。
また、この日には、ささやかながら「道灌まつり」も開かれている。

 

静勝寺/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/inatuke/jyoshoji.htm

木造太田道灌坐像附厨子/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da22.htm

静勝寺一帯は、太田道灌が砦として使用したといわれる稲付城があった所であり、道灌の死後に稲付城を寺にしたもので、発掘調査により城の空堀などが確認されている。

 

稲付城跡/北区の歴史と文化財(飛鳥山博物館)

www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da15.htm

静勝寺から  ⑨ 道観山稲荷社(赤羽西 2-14-20)に行くのだが、稲荷社は普門院というお寺の山門右手にある。
そのため、普門院の墓地側から境内を抜けて、山門をくぐることになる。
静勝寺の南門前の道をまっすぐ進み、突き当りの階段を下りて左折すると、マンションの手前左側奥に普門院墓地の入口があるので、そこから境内に進むのである。

 

普門院(赤羽西2-14-20)は真言宗智山派の寺院で、妙覚山蓮華寺と号し、御本尊は聖観音菩薩である。
ここの山門は、石の門の上に楼閣を乗せた台湾風の鐘楼門である。

 

普門院/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/humonin/hondou.htm

陀枳尼天を祀る道観山稲荷社自体は小さなお社だが、ここでは、住民が昔から餅を搗くときに歌った作業唄が、毎年2月の初午祭の時に歌い継がれており、「稲付の餅搗唄」として北区の無形民俗文化財に指定されている。

 

陀枳尼天社(だきにてん=道灌山稲荷社)/浮間わいわいネット

www.ukima.info/meisho/kaiwai/humonin/dakiniten.htm

稲付の餅搗唄/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da34.htm

先ほどの階段の所まで戻り、少し先の消防用ポンプ格納庫があるところで左折、うねうねした路地を進んでいくと  ⑥ 香取神社(かとりじんじゃ=赤羽西 2-22-7)の前に出る。

 

香取神社は創建時期は不明だが、旧稲付村の鎮守で御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である。
伝説によれば奥殿の中に安置されている朱塗りの本殿は、かって上野東照宮の内陣だったものを移築したものだそうである。

 

香取神社(赤羽)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/katorijn/honden.htm

境内に奉納されている7個の丸石は、「稲付村の力石」といわれるもので、江戸時代後期から明治時代にかけて、稲付村での力くらべに使われていたものである。
軽いものでも十九貫目(約71kg)、重いものでは五十五貫目(約206kg)もあるとのことである。

 

稲付村の力石/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da222.htm

「りんりんGO」が「新高島平駅」まで延伸。

2012-03-24 10:45:30 | 近事変々
板橋区初のコミニュテイバスとして、赤塚地区を中心に実験運行されている「りんりんGO」が、4月1日(日)から都営三田線の「新高島平駅」まで延伸されることになった。
赤塚高速下の高島大門交差点から新高島平駅までの間に、 「高島平三丁目」 「新高島平駅」 「板橋市場」 というバス停が新設されるので、高島平団地周辺からの利便性は向上することだろう。

実験運行開始から2年を経て、ようやく多くの利用者・近隣住民が望んでいた都営三田線への接続が実現し、喜ばしいことには違いないのだが、これで1便当たり10人にも満たない利用者の低迷を改善できるのであろうか。
都営三田線への接続がなかったことと併せて、運賃が既存バス路線と同じ(1回210円)で高いということも利用者が低迷している大きな原因であることは否めない。

他区のコミニュテイバスでは低料金の所が多いが、自治体の財政負担が大きいことがネックとなっているため、低料金化はそう簡単にはできそうもないが、有料利用者には切実な願いでもある。
かくいう私も、よほどのことが無い限り利用することはない(歩けない距離ではない)ので、大きなことをいえた義理ではないのだが、延伸を機会に利用者が増えることを願うものである、


なお、運行経路、時刻表などの詳細はこちらを参照されたい。

広報いたばしPDF版 3月24日号 5面(PDFファイル 643キロバイト)
www.city.itabashi.tokyo.jp/kouhou/midika/ki_pdf/20120324/0324-5.pdf

北区のさんぽみち(3)・・・「赤羽・西が丘エリア」【後編】

2012-03-17 08:20:35 | 近事変々
大恩寺を後に元の道を信号一つ先まで戻って右折、突き当りの「レストヴィラ赤羽」という有料老人ホーム前の交差点を左折してすぐ右側に、 ④ 赤羽自然観察公園 (赤羽西5-2-34) の入口がある。
陸上自衛隊十条駐屯地の跡に自然の回復とふれあいをテーマに開設された公園で、湧水を活用した池や田んぼ、古民家、デイキャンプ設備などがある。

 

だが、植生保護ということで、バードサンクチュアリを兼ねた池の周りは、ご覧のような金網に囲まれているし、東京都の湧水57選になっている湧水の流れている所も金網の奥である。
私見ではあるが、こうした無粋な金網などは、自然観察公園に馴染まない代物なのではないだろうか。
折しも、金網の中に背伸びするかのような猫柳の枝があり、すっくと青空に映えていたのが印象的であった。

 

赤羽自然観察公園/北区公式サイト
www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/079/007980.htm

自然観察公園の隣りには、人工芝のグランドを持つ 赤羽スポーツの森公園(赤羽西5-2-27)があり、少年たちがサッカーの練習をしていた。
グランドの外は芝生広場のある公園となっており、緊急用であろうカマド型のベンチがいくつか設えてあった。

 

赤羽スポーツの森公園競技場/北区公式サイト
www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/542/054223.htm

公園前の道(都道455号線)を南に進むと、稲赤歩道橋のある交差点に至るが、その先の右側が  ⑤ 国立スポーツ科学センター (国立西が丘サッカー場=西が丘3-15-1) である。
施設の利用や見学には所定の手続きが必要とのことである。

 

国立スポーツ科学センター公式サイト
naash.go.jp/jiss/home/tabid/36/Default.aspx

ここから少し先の左手には 都立産業技術研究センター・西が丘本部 (西が丘3-13-10) があるが、そのまま歩を進めていくと、環七通りの姥ヶ橋(うばがばし)交差点に至る。
歩道橋を渡ったすぐ先に、リサイクルに関する情報提供や講座を行っている  ⑥ 北ノ台エコー広場館 (上十条5-14-4) がある。
毎月第2日曜日にはフリーマーケットが開かれ、群馬県甘楽町の有機野菜販売なども行われている。

 

北ノ台エコー広場館/北区公式サイト
www.city.kita.tokyo.jp/docs/facility/052/005218.htm

交差点を渡ったすぐ左手に、立派なお堂に祀られている  ⑦ 姥ヶ橋延命地蔵 (上十条4-12-4) がある。
姥ヶ橋は、かつてこの地を流れていた稲付川に架かっていた橋であり、地蔵菩薩像は石材を丸彫りしたもので台座には享保9年の銘が刻まれている。
毎年8月には縁日が開かれ、大変にぎわうとのことである。

 

姥ヶ橋延命地蔵/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/ubagabrg/ubagabasi.htm

延命地蔵から先は都道455号線沿いに埼京線の十条駅まで行くのだが、少し先に帝京大学病院入口の交差点があった。
ここで、はたと、環七通りを西に行けば地下鉄の板橋本町駅が近いこと気がついた。
どうやら歩き疲れて腿のあたりが痛くなりつつあったので、ここから帰ってしまおうかと一瞬思ったのだが、思い直してコース通りに十条駅まで歩くことにした。

 

「まだかな」と思いつつ十条駅にたどりついいたが、環七からはけっこう長い距離だったので、足腰にかなりの疲労を覚えた。
念のため歩数計を見てみたら1万3千歩ほどになっていたが、運動不足の割にはよく歩いたほうではないかと自己満足に浸りながら帰宅した。


北区のさんぽみち(3)・・・「赤羽・西が丘エリア」【前編】

2012-03-17 08:13:46 | 近事変々
「北区のさんぽみち」シリーズの3回目は「赤羽・西が丘エリア」を歩いてみることにした。
例によって、去る13日の火曜日に唐突に実行に移したのだが、お天気も予想以上によかったので無事に歩き通すことができた。
事前の情報では、「北区のさんぽみち」の中では最長のコースだということだったが、距離は別として、さしたる起伏もなく歩きやすいコースであった。

北区のさんぽみち/赤羽・西が丘エリア
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/i/index.html

赤羽・西が丘エリア内観光スポット
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/i/list.html



このエリアにはあまりめぼしいスポットが無いのだが、モデルコースを頼りに赤羽駅から西が丘を経て十条駅方面へと歩を進めた。

 ① の 赤羽八幡神社 (赤羽台4-1-6) は、赤羽駅西口から埼京線に沿って北上したところにある。
わが家からは赤羽駅西口へ行くバス路線の「八幡小学校北」というバス停からが便利なので、そこからスタートすることにした。

バス停の前方に陸橋の見える交差点があるが、その手前左側の路地に入って赤羽台公園に沿ってしばらく進んで行き、バス通りに出る直前を左折して間もなく、正面に埼京線のトンネルと八幡神社の鳥居が見える交差点に出る。

 

埼京線のガードをくぐると八幡神社の参道があり、すぐ左手に割と急な階段があるので、そこを上ると拝殿の前に出る。
境内の端からは埼京線と京浜東北線の線路を見渡すことができる。

 

当社は赤羽八幡神社と俗称され、御祭神は品陀和氣命(ぼんだわけのみこと=応神天皇)、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)である。
岩淵、赤羽、志茂、稲付(現赤羽西)、袋(現赤羽北)地区の総鎮守。本殿は勝負事の神様を祀り、その他にも学問の神様・北野天満宮、稲荷神社、大黒主神社など境内神社がある。
北野天満宮は意外と大きな境内神社で、小さいながら「なで牛」の像もあり、合格祈願の絵馬も並んでいた。

 

赤羽八幡神社/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/hatiman/hatiman0.htm 

赤羽八幡神社から元の道の方に戻ると、右側に  ② 赤羽緑道公園 (赤羽台3-8 ~ 赤羽西5-8) の入口がある。
かつて、赤羽駅西側から陸軍板橋兵器支廠(現・国立スポーツ科学センターおよび西が丘サッカー場)に至る軍用貨物線があったのだが、その線路跡を公園にしたものでおよそ1kmほどの長さがある。
遊歩道には線路をイメージしたデザインが施されており、花壇なども設えられている。

 

緑道を進んだちょうど中ほど、道路を挟んだ右手には東京オリンピックを記念して建てられた  ③ 桐ヶ丘体育館 (赤羽台3-17-57) があり、その隣は桐ヶ丘中央公園になっているが、行っても仕方が無いと思って素通り。
さらに進んで時計台のモニュメントを過ぎると、桐ヶ丘赤羽台歩道橋のある交差点に出る。

 

反対側にもまだ赤羽緑道公園が続いているのだが、ここで右折して桐ヶ丘団地の商店街沿いに西へ進み、 ⑨ 善徳寺 (赤羽西6-15-21) に向かう。
都道455号線の交差点の角に善徳寺の屋根が見えるが、山門は右手の富士見坂沿いにある。

西に緩やかに下る富士見坂というのは、山門前にある東京都の標柱によれば、「このあたり、昔は人家のない台地で、富士山の眺望がよかったところからこの名がついた」とのことだが、その面影はまったくないといっていいほど都市化してしまっている。

 

富士見坂/北区の歴史と文化財(東京都設置坂道標柱)
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da123.htm

善徳寺は獅子吼山専稱院と号する浄土宗の寺院で、御本尊は阿弥陀如来である。
境内は思ったより狭く、左手に「お竹如来」という石像が祀られ、染め抜きの赤い幟がたなびいていた。
これは、「日本橋の豪商に勤めていたお竹というお手伝いさんが、あまりにも働き者なので大日如来の化身だった」といういわれがあるとのことである。

善徳寺の墓域内には、江戸時代、大伝馬町の御伝馬役(ごてんまやく)名主として活躍した馬込家の墓があるとの説明板があったので、墓地の間を行きつ戻りつ探してみたが、案内板が無かったので見つからなかった。


 

善徳寺/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/zentokuj/hondou.htm

馬込家墓/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da223.htm

善徳寺の隣りには ⑩ 大恩寺 (赤羽西6-15-21) があり、山門は仁王像に守られているが、修復工事中であった。
威徳山大恩寺と称する日蓮宗の寺院で、御本尊は日蓮上人像である。
写真でわかるように、コンクリート地下1階、地上3階建ての都市型寺院である。
境内には中国の自然石で作られた三十三観音や、水子堂内には日本最大といわれる木彫の水子観音が祀られている。

 

大恩寺/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/daionji/hondou.htm

北区のさんぽみち(2)・・・「赤羽・志茂エリア」【後編】

2012-02-24 15:15:05 | 近事変々

荒川岩淵関緑地の右手、赤水門のそばには「荒川水上バス」の船着場である ⑤ 岩淵リバーステーション(志茂5-41先) があるはずなのだが、うっかり見過ごしてしまったので写真は無い。
(現在、「荒川水上バス」は運行を休止 している)

 

土手際を歩いて ⑥ 旧岩淵水門(赤水門・志茂5-42-6先) の所まで行ってみた。
荒川と隅田川が分かれる場所に大正時代に造られた水門で、昭和57年まで使われていたが、老朽化に伴い新水門(青水門)にその役割を移したものである。
旧岩淵水門は「日本の近代土木遺産」、「東京都選定歴史的建造物」、「北区景観百選」にも認定されている。

 



岩淵水門と荒川/北区景観百選
www.city.kita.tokyo.jp/misc/100select/01/01_07.htm

赤水門を渡った先は 「荒川赤水門緑地」 となっており、荒川リバーアートコンテスト特賞を受賞した青野正さん作の 『月を射る』 という、やや奇怪なオブジェが建っている。
赤錆びたこのオブジェをはじめて見る人は、一体なんだろうと思わされるに違いない。

 

また、この広場の木立の右端には、昭和13年から昭和19年にかけて荒川の土手で行われていた 「全日本草刈選手権の記念碑である 「草刈の碑」 もあり、碑文には「農民魂は 先ず草刈から」と記されている。

 

赤水門から少し先にあり、現在使われている 「岩淵水門(青水門) の所にも行ってみた。

 

赤水門の所まで戻って志茂橋に至る階段を下りると、橋のたもとに ⑦ 荒川治水資料館 amoa(あらかわちすいしりょうかん・志茂5-41-1) がある。
荒川知水資料館は荒川流域の人と情報の交流、また北区における河川公園管理の拠点としてこれらの機能を集結させる形で平成10年3月に開館したものである。

 

資料館の前には、荒川放水路と旧岩淵水門の完成を記念した 「治水大成碑」や、荒川放水路完成後、水位の異なる中川との船の通航のために建てられた閘門の遺構である 「船堀閘門頭頂部」 が置かれている。

 

荒川治水資料館
www.ara.go.jp/amoa/index.html

志茂橋を渡って左折し、土手沿いの道をしばらく進むと、志茂小学校の跡地に整備された 「志茂ゆりの木公園 (志茂5-18) に至る。
 
 

公園と道路を挟んだ右側には ⑧ 熊野神社(志茂4-19-1) がある。

紀州熊野三社権現を勧請した下村(現在の志茂)の鎮守であり、御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)である。
毎年2月7日に行われている白酒祭(オビシャ行事)は、北区の無形民俗文化財に指定されている。

 

熊野神社(北区志茂)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/kumano/honden.htm

熊野神社の白酒祭/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da46.htm

白酒祭(オビシャ行事)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/kumano/sirozake.htm

このコースの最後は、熊野神社から5分ほど先にある 西蓮寺(さいれんじ・志茂4-30-4)である。
帰命山阿弥陀院と号する真言宗智山派の寺院で、御本尊は阿弥陀如来坐像である。

 

西蓮寺(北区志茂)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/seirenji/hondo.htm

木造阿弥陀如来坐像/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da44.htm

境内には弘安九年(1286)の年号銘だけのものなど十余基の板碑があり、北区の有形文化財(歴史資料)に指定されている。
また、納骨堂だそうだが、 「寂光堂」 と銘する珍しい建物もあった。
   
 

西蓮寺板碑群/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da33.htm

西蓮寺からは、さして広くない志茂銀座商店街を南北線の志茂駅まで歩く。
途中、「志茂3-21」の表示がある電柱の所で右折すると北本通りに出るが、右角にあるコンビニの左側に2番の出入口がある。
 
 

さて、ここから家に帰るにはJR赤羽駅まで戻らなければならないのだが、志茂駅付近の詳細な地図を持っていなかったので、北本通りの信号を渡って路地に入った所で道を間違えてしまった。
志茂一丁目辺りをうろうろしていたら、幸いにも赤羽岩淵中学校の前に出た。
そこからなら赤羽駅まではさほど遠くないし、いくらか土地勘もあったので、どうにか迷わず到着することができた。


北区のさんぽみち(2)・・・「赤羽・志茂エリア」【前編】

2012-02-24 13:50:11 | 近事変々
「北区のさんぽみち」の2回目は「赤羽・志茂エリア」で、志茂・熊野神社の白酒祭の日にしようと計画していたのだが、あいにくと2月7日は朝から雨模様のお天気だったので、その日以来断念していた。
ここにきて、先日の火曜日(22日)は晴天で気温も高くなるというし、カミさんも研修会でいないというので、これ幸いとばかりに実行に移したところである。

北区のさんぽみち/赤羽・志茂エリア
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/c/index.html

赤羽・志茂エリア内観光スポット
www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/c/list.html



まずはJR赤羽駅東口に出て線路沿いに北上、 都道445号線の交差点に至ると、目の前に ① 宝幢院(ほうどういん・赤羽3-4-2) が見える。
宝幢院は医王山東光字と合し、真言宗智山派に属する寺院で、御本尊は薬師如来である。
豊島八十八ヶ所の第45番札所でもあり、弘法大師像や六地蔵が祀られている。

 

 

宝憧院(赤羽)/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/houdouin/hondou.htm

宝幢院の門前には、江戸時代中期に建てられた岩槻道(日光御成道)の道標があり、北区の有形文化財に指定されている。

 

宝幢院(ほうどういん)前の道標(みちしるべ)/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da219.htm

宝幢院をあとに赤羽岩淵駅方面に進む。
北本通りの赤羽交差点を渡り、右手の大満寺裏手にある ⑫ 正光寺(しょうこうじ・岩淵町32-11) を訪ねる。

 

正光寺は天王山淵富院と号し、浄土宗本派の寺院であり、御本尊は阿弥陀如来である。
境内には10mほどある聖観世音菩薩の立像が鎮座している。

 
 
昭和53年(1978) ホームレスの失火により本堂を焼失、以来33年もの間再建されないまま境内は駐車場と化し荒廃状態だった。
2010年、浄土宗開祖法然上人八百年大遠忌を記念して本堂建立が決まり、2011年7月に完成したとのことだが、境内も整然と整備されていた。



正光寺/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/shokoji/kannonzo.htm

正光寺の山門前から路地を抜けて北本通りに出る。
右折して間もなく新荒川大橋が見えてくるが、そのすぐ手前に、23区内唯一の蔵元、「丸眞正宗」で名高い  ② 小山酒造(こやましゅぞう・岩淵町26-10) がある。

 

建物右手の生垣の中に、 「史蹟 岩槻街道岩淵宿問屋場後之碑」 という石柱が建っているが、岩淵宿に関する説明板などは見当たらない。
建物に沿って路地を入ると、 「愛酒報国」 という古びた看板のある工場があった。
現在は、ここで酒造りが行われているらしい。

 


小山酒造/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/shokoji/koyama.htm

路地をさらに進んでいたところ、なんと、 ③ 八雲神社(やくもじんじゃ・岩淵町22-21) の参道正面に出た。
日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社であり、御祭神は須佐之男尊(すさのうのみこと)である。

 

八雲神社/浮間わいわいネット
www.ukima.info/meisho/kaiwai/yakumo/honden.htm

二の鳥居脇に 「岩渕町 町名存続之碑」 があるが、これは、昭和37年5月に「住居表示に関する法律」が公布され、北区も住居表示の変更を進めたが、岩淵一丁目の住民は由緒ある岩渕町の名を守るため町名存続運動を展開した。そのことを記念したものである。

 

八雲神社/北区の歴史と文化財
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da80.htm

八雲神社の参道を出て右に行くと、すぐに新河岸川に架かる岩淵橋である。
岩淵橋を渡った先に、赤水門を眺めながらバーベキューが楽しめる ④ 荒川岩淵関緑地(あらかわいわぶちぜきりょくち・岩淵町23-45先) がある。

 

 

積った雪が凍っていた。

2012-01-24 11:17:22 | 近事変々

きのうの夜半からの雪は、明け方には止んだようだが、思いのほか積っていた。
新聞を取りに行ったら門扉の蛇腹が凍っており、開けるのに一苦労、ポストの屋根には3cmくらいの雪が残っていた。
朝食前に歩道の雪かきでもと思ったのだが、凍り付いていて歯が立たないので諦めた。

空を見上げたら、雲ひとつない晴天なので昼ごろには融けるだろうが、どうも雪の後は始末が悪い。
凍った雪道の上を自転車を押しながら歩いている人がいたが、転ばなければいいなと願いながら見送った。

今朝の風景から・・・

  






初雪ですね。

2012-01-20 10:57:26 | 近事変々

天気予報通り、雪がさんさんと降っているが、平年より17日遅い初雪なのだそうである。
東京都心では明け方からの雨が雪に変わり、きょうの夕方まで降り続くとのことである。

そういえば、明日21日は二十四節気にいうところの大寒であり、まだまだ寒さも続くことであろう。

東京では、年々、雪を見ることも少なくなってきたが、豪雪地帯のニュースを目にする度に、喜んでばかりでは
いられない。

朝方の数ショットから・・・







北区のさんぽみち(1)・・・「浮間エリア」【後編】

2012-01-16 13:24:02 | 近事変々

青面金剛庚申を後に、北浮間郵便局に沿って埼京線の方に進むと、ガード手前の十字路左手に、 ④子育て地蔵(浮間3-34-26)が祀られている。



子育て地蔵/北区のさんぽみち・浮間エリア
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/j/4.html

そのままガードをくぐって埼京線の反対側に出る。
信号を渡って左折し、線路沿いの広い道(都道447号線)を西に進む。

浮間4丁目の信号を越えた先、バス停のそばの石垣の上に古い蔵が建てられている。
これが、 ⑤水塚の蔵のなごり(みづかのくらのなごり・浮間2-13-1)であり、荒川の洪水から家を守るために盛り土をしたものを「水塚」というのだそうである。



水塚の蔵のなごり/北区のさんぽみち・浮間エリア
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/j/5.html

少し先のマンション手前を右折して、一方通行へ入ってすぐの所に、 ⑥かさや地(浮間2-24-28)と呼ばれる庚申塔のお堂がある。
「傘屋庚申」ともいわれ、庚申講の村人たちが守り続けてきたものである。



かさや地蔵/北区の歴史と文化財
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/j/6.html

この道をさらに進み、駐車場とマンションのある十字路を右折する。
そのまま行くと、㈱スリーエス前の広い交差点に出るので、ここを左折する。

桜並木の道を進んで行くと、荒川の土手の手前に十字路があるので、ここを右折する。
この道も荒川の土手にぶつかるのだが、その手前右側に ⑦北向地蔵堂(浮間2-4先)がある。
もともとは荒川の河川敷にあったもので、堂の中央に地蔵菩薩、左右に庚申待供養塔が安置されている。

 

北向地蔵堂/北区の歴史と文化財
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da230.htm

地蔵堂前の道を、先ほどの十字路を通り越して西に進むと、変則三差路の先に、 ⑧氷川神社(浮間2-19-6) があり、境内の右隅には浮間不動尊が祀られている。
浮間周辺は昔、荒川の氾濫に悩まされていたため、氷川神社の社殿は水塚(みづか)とよばれる盛り土の上に建てられている。

  

浮間不動尊/浮間わいわいねっと
http://www.ukima.info/meisho/form/ukihudou.htm

氷川神社/浮間わいわいねっと
http://www.ukima.info/meisho/hikawa/hikajn0.htm

氷川神社のすぐ左手には、 ⑨浮間ケ原桜草圃場(うきまがはらさくらそうほじょう)があり、かつては浮間ヶ原に群生していたものの、荒川の改修による環境の変化で激減してしまった桜草の保存・育成を行っている。

  

浮間ヶ原の桜草/北区の歴史と文化財
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da231.htm

桜草圃場の左手一帯は、このコースのゴールでもある ⑩都立浮間公園(浮間2,板橋区舟渡2)である。
埼京線の浮間舟渡駅前にある自然公園で、四季折々の憩いの場となっている。



都立浮間公園/北区のさんぽみち・浮間エリア
http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/kanko/data/j/10.html

以上が北区のさんぽみち「浮間エリア」だが、こちらも板橋区と同じくコースの目印が何もないので、けっこう道に迷った所があった。
モデルコースの所要時間は約62分とあるが、とてもその時間では回れないのが実情ではなかろうか。
私は13あるスポットをすべて回ったので、休憩したり道に迷ったりで2時間半ほどを要した。