ちょっと旧聞に属する話になるが、1週間ほど前に北区の上中里にある平塚城址を訪ねてみた。
バスで赤羽まで行き、JRの上中里駅で降りると、「蝉坂」という坂道を少し登った所に平塚神社があり、ここが「平塚城址」ということだが、ご多分に漏れず、ただ広い境内の神社があるだけで、説明板がなければ城跡という感じはまったくない。
平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙(ぐんが=役所)のあった場所だと推定されており、豊島太郎近義(ちかよし)という人物が平塚城という城館をつくったといわれている。
境内の裏手には源義家(みなもとのよしいえ)が納めた鎧を埋めた甲冑塚があるとのことだが、非公開となっている。
その平塚神社の西側一帯が先土器時代から近世にわたる複合する「御殿前遺跡」で、現在は消防署・体育館・防災センターといった施設が立ち並んでおり、一部が区立滝野川公園となっている。
ここの入口際に「御殿前遺跡」のモニュメントがある。
「北区教育委員会」による説明文が埋め込まれているが、以下のように記載されていた。
東京都北区指定史跡「御殿前遺跡」
御殿前(ごてんまえ)遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合する遺跡です。
なかでも奈良・平安時代に造られた建物の跡は、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんが=地方役所)と推定されています。
古代の武蔵国には21の郡が置かれ、現在の東京都は豊島郡・荏原(えはら)郡・多麻(たま)郡にあたります。この豊島郡衙の中心部分がこの一帯です。
「北区教育委員会」
滝野川公園には乙女の立像モニュメントや滝を模した所もあり、池と水路のある広場では小学生たちが社会科見学(?)でおおぜい戯れていた。
※関連ホームページ※
平塚城/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御殿前遺跡/北区の歴史と文化財
御殿前遺跡祭祀遺構出土土器/北区の歴史と文化財
滝野川公園/東京散歩
バスで赤羽まで行き、JRの上中里駅で降りると、「蝉坂」という坂道を少し登った所に平塚神社があり、ここが「平塚城址」ということだが、ご多分に漏れず、ただ広い境内の神社があるだけで、説明板がなければ城跡という感じはまったくない。
平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙(ぐんが=役所)のあった場所だと推定されており、豊島太郎近義(ちかよし)という人物が平塚城という城館をつくったといわれている。
境内の裏手には源義家(みなもとのよしいえ)が納めた鎧を埋めた甲冑塚があるとのことだが、非公開となっている。
その平塚神社の西側一帯が先土器時代から近世にわたる複合する「御殿前遺跡」で、現在は消防署・体育館・防災センターといった施設が立ち並んでおり、一部が区立滝野川公園となっている。
ここの入口際に「御殿前遺跡」のモニュメントがある。
「北区教育委員会」による説明文が埋め込まれているが、以下のように記載されていた。
東京都北区指定史跡「御殿前遺跡」
御殿前(ごてんまえ)遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合する遺跡です。
なかでも奈良・平安時代に造られた建物の跡は、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんが=地方役所)と推定されています。
古代の武蔵国には21の郡が置かれ、現在の東京都は豊島郡・荏原(えはら)郡・多麻(たま)郡にあたります。この豊島郡衙の中心部分がこの一帯です。
「北区教育委員会」
滝野川公園には乙女の立像モニュメントや滝を模した所もあり、池と水路のある広場では小学生たちが社会科見学(?)でおおぜい戯れていた。
※関連ホームページ※
平塚城/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御殿前遺跡/北区の歴史と文化財
御殿前遺跡祭祀遺構出土土器/北区の歴史と文化財
滝野川公園/東京散歩