毎年、お正月にご開帳となる七福神をお参りするようになってから、ことしで5回目になる訳なのだが、今回は家から近い場所ということで日本橋七福神の八社に参拝してきた。
日本橋七福神は地下鉄人形町駅の周辺にあり、すべてが神社であることと、弁天様と恵比寿様が二社に祀られており、神社は八社あるのである。
それではお参りした順を追って七福神を紹介しようと思うのだが、ご開帳されている七福神のお姿には全くといっていいほどお目にかかれなかった。
それに、日本橋という土地柄のせいなのか、境内のほとんど無い神社ばかりで、写真もいまいちといったあんばいになってしまった。
【巡拝記念の色紙】
これが巡拝記念の色紙である。
ちなみに、色紙の代金は朱印料共で二千円であった。
【小網神社・・・福禄寿と弁財天】
まずは福禄寿と弁財天の小網神社である。
福禄寿は金運長寿の神、弁財天は金運学芸の神であり、東京銭洗い弁天としても有名である。
11月に行われる「どぶろく祭り」は、奇祭として知られている。
【茶ノ木神社・・・布袋尊】
次は布袋尊の茶ノ木神社である。
その昔、神社の周囲には茶の木が巡らされていたので、この名がついたと伝えられている。
また、佐倉城主の屋敷があり、町方にも火事が無かったので火伏せの神ともいわれている。
布袋尊は福徳円満の神として信仰されている。
【水天宮・・・弁財天】
茶ノ木神社を出るとすぐ近くに安産の神として賑わう水天宮がある。
ここの弁天様は、有馬頼徳公が加賀百万石の前田公と能の芸を競うにあたって願をかけたところ、満願の日に
めでたく勝つことができたので、宝生弁財天ともいわれている。
【松島神社・・・大黒天】
水天宮を後に、大黒天を祀る松島神社へと向かう。
松島神社は大鳥神社ともいわれ、人形細工の職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の芸妓傾城などの盛んであった。11月には酉の市が開かれている。
ここの神社は、なんと松島ビルというビルの一階に鎮座しているのだが、唯一、かろうじて大黒天の尊像を拝むことができた。
【末廣神社・・・毘沙門天】
松島神社から人形町駅の方に戻ると毘沙門天の末廣神社がある。
末廣神社は勝運を授け、災難をよける神様として400年以上前から信仰されており、この地にあった葭原(吉原)の守り神でもあった。
【笠間稲荷神社・・・寿老人】
末廣神社から清州通りに向かう道筋に寿老人の笠間稲荷神社がある。
日本三大稲荷の一つ笠間稲荷神社の東京別社であり、紋三郎稲荷と呼ばれ親しまれている。
寿老人は長寿、幸運の神様として運命を良い方向に切り開いてくださる福徳長寿の神様である。
【椙森(すぎもり)神社・・・恵比寿神】
笠間稲荷神社からは人形町駅前に戻り、さらに小伝馬町駅の方に向かうと恵比寿神の椙森(すぎもり)神社がある。
恵比寿神は商売の神、福徳の神として崇められている。
当社は創建一千年余を数え、江戸名所詰図絵にも掲載されており、境内には江戸時代の富興行を記念した富塚がある。
【寳田恵比壽神社・・・恵比寿神】
ここまでで七社を巡り、七福神に参拝したわけなのだが、もう一社、恵比寿神を祀る寳田恵比壽神社が残っているのである。
椙森(すぎもり)神社から5分ほどで到着したが、寳田恵比壽神社は宝田村の鎮守で、もとは皇居前にあったのだそうである。
1月20日に初恵比寿、10月19・20日に商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれる。
恵比寿講の時には500軒もの露店が軒を並べる「べったら市」が立ち、おおいに賑わうことでも有名である。
【おことわり】
記事中の各社についての記述は、日本橋三越本店が奉納した「日本橋 七福神めぐり」のパンフレットの解説を引用したうえで、文脈を変えたものである。