さて・・・・・。今日を選挙後一日目と呼んでみる。
なんだか重々しい朝だった。
身体もだるかった。要するに選挙ってことに頼り過ぎていた様子。
誰かが何とかしてくれるわけではないと白日の元にさらされた事実で知る。
目の前の風景は何も変わらないし、
いつもと同じように帰りにコーヒーを飲んだ。
でも、きっとゆっくりと変化して行くんだろう。
その中で、自分は大切にしたいなと思うものだけは変わらないでいようと思った。
昨日読んだ浦賀和宏さん「彼女は存在しない」。
大きく宣伝されていたので、新しいのかと思ったら、かなり古い本の文庫版だった。
しかもあまり好きにはなれない感じだった・・・残念。
もちろん、たかが私個人の感想だけど。。。
たとえどんなにグロテスクな描写があろうとも、
それに耐えられるような何かがゴン!と文章に奥深くにあればいい。
例えば、学生の時に読んだ花村萬月さんの「ゲルマニウムの夜」っていう話は、
グロテスクな表現もかなりあったような記憶があるけど、
今の時点で心に残っているのは、疾走感を伴う『悲しみ』のようなもの。
キラキラした何かが残っている。まあ、人それぞれ好みはあるだろうけど・・・。
そういう小説はきっと、ドロドロした表現の向こう側に、
本当に伝えたいことを一生懸命に伝えようとする作者の真心があって、
それに、読者が感電?して感動してしまうのだろう。
そういうのは、多くの古今東西の書籍の中で宝石のように光って、色あせない。
だけど、作者の方には大変申し訳ないけど、
今回読んだ本は、それには当たらないなあと思った。
表現のグロテスクさの向こう側に何も見出せない。ただグロテスクなだけだった。
しかもいろんな意味でグロテスクだったから辟易した。
作者がそういう表現自体に興味があるのでは?と思われた。
だから気持ち悪かった。人物描写もなんだか薄っぺらかった。
ただ、それが妙に現代的にも感じられた。
いろんな本をそれこそ「ジャケ買い」のように手当たり次第読むと、
いい時もあるし、そうでない時もある。
今回は残念ながら後者だったようだった。
古典と言われている本はやっぱりいいな、と思ってしまう。
少し前に読んだ遠藤周作さんの本は、心に迫った。
我知らず、涙がこぼれた。
魂を込めて叫ぶ者を、きちんと見分けること。
ふと、選挙を振り返った。
魂を込めて叫ぶ人々を、私たちは選べたのか。
濁りの向こう側にあるものを見極めることができたのか。
それは世の中にも、そして何より自分自身にも問いたいところだ。
たとえ世間が間違った方向に走り始めても、
見極める力が自分の中に育っていれば、
何も動揺することなんてないのだろう。
まずはしっかりしろ、私。
なんだか重々しい朝だった。
身体もだるかった。要するに選挙ってことに頼り過ぎていた様子。
誰かが何とかしてくれるわけではないと白日の元にさらされた事実で知る。
目の前の風景は何も変わらないし、
いつもと同じように帰りにコーヒーを飲んだ。
でも、きっとゆっくりと変化して行くんだろう。
その中で、自分は大切にしたいなと思うものだけは変わらないでいようと思った。
昨日読んだ浦賀和宏さん「彼女は存在しない」。
大きく宣伝されていたので、新しいのかと思ったら、かなり古い本の文庫版だった。
しかもあまり好きにはなれない感じだった・・・残念。
もちろん、たかが私個人の感想だけど。。。
たとえどんなにグロテスクな描写があろうとも、
それに耐えられるような何かがゴン!と文章に奥深くにあればいい。
例えば、学生の時に読んだ花村萬月さんの「ゲルマニウムの夜」っていう話は、
グロテスクな表現もかなりあったような記憶があるけど、
今の時点で心に残っているのは、疾走感を伴う『悲しみ』のようなもの。
キラキラした何かが残っている。まあ、人それぞれ好みはあるだろうけど・・・。
そういう小説はきっと、ドロドロした表現の向こう側に、
本当に伝えたいことを一生懸命に伝えようとする作者の真心があって、
それに、読者が感電?して感動してしまうのだろう。
そういうのは、多くの古今東西の書籍の中で宝石のように光って、色あせない。
だけど、作者の方には大変申し訳ないけど、
今回読んだ本は、それには当たらないなあと思った。
表現のグロテスクさの向こう側に何も見出せない。ただグロテスクなだけだった。
しかもいろんな意味でグロテスクだったから辟易した。
作者がそういう表現自体に興味があるのでは?と思われた。
だから気持ち悪かった。人物描写もなんだか薄っぺらかった。
ただ、それが妙に現代的にも感じられた。
いろんな本をそれこそ「ジャケ買い」のように手当たり次第読むと、
いい時もあるし、そうでない時もある。
今回は残念ながら後者だったようだった。
古典と言われている本はやっぱりいいな、と思ってしまう。
少し前に読んだ遠藤周作さんの本は、心に迫った。
我知らず、涙がこぼれた。
魂を込めて叫ぶ者を、きちんと見分けること。
ふと、選挙を振り返った。
魂を込めて叫ぶ人々を、私たちは選べたのか。
濁りの向こう側にあるものを見極めることができたのか。
それは世の中にも、そして何より自分自身にも問いたいところだ。
たとえ世間が間違った方向に走り始めても、
見極める力が自分の中に育っていれば、
何も動揺することなんてないのだろう。
まずはしっかりしろ、私。