帰省する日を知らせるために母にメールしたら、
即座に電話がかかってきた。
電車の中だったし、夕飯の買い物もしなくちゃだし、
ご飯も炊きたいしで、後でかけなおすよ、って言って、
やろうとしてることを全部やってから1時間半以上たってからかけなおした。
最初はいつもと同じように、
「何か買っといて欲しいものとかないの~?」と明るく話していた母だけど、
40年ほど仲の良かった友人が頑固かつ惚けてきて、
もう一人の教員時代からの仲良しも山登りに夢中で話が合わなくなった、
寂しくてしょうがない、カウンセラーさんにかかろうと思う、という話になった。
非常勤だから、収入も少なくなってるしなんだか先行き不安で・・・と。
あと、良くなったり悪くなったりで不安定な祖母の体調も、
母の気持ちに大きな影を落としている。
どうも、少し鬱状態らしい。
年齢的にも、そういう時ってあるのだそうだ。
来年度、このまま非常勤を続けるか、それともすっぱり辞めるか、
母は迷っている。
惚けてきているという友人は、60歳過ぎても教員の職を続けている母をなじるのだという。
自分の世界を持ちなさい!と。
自分の趣味のお店を持った人のところに連れていかれたりもしたらしいけど、
ちっとも羨ましくなかった、と言っていた。
私は母の子どもだからよくわかるのだけど、
母はきっと、自分の趣味の小さな世界の中で満足できない人だ。
社会の中で、どんな小さな役割でもいいから、
必要とされている、役に立っているという実感を持ちたいのだ。
要するに、人と接していないとダメな寂しがりやさんなのだ・・・。
定年まで学年主任をやっていて、激烈に忙しかったから、
今まではその寂しがりやさんが外に出てくることはなかった。
時間ができて、母は自分の一番芯の部分と向き合うことになったのだろう。
自分の趣味の世界に没頭できる人は、根本が上品な人だと私は思う。
でも私や母は残念ながら、そうではないみたい。
現役時代、エッセイを書いて賞をもらったこともある母だから、
また書いて出してみたら?と言ってみたけど、
最近出したのは落選してしまったから、しばらく書く気がしないという。
短歌も趣味でやっているから、それを究めてみるのは?
と言ってみたけど、
知り合いの人はもっと昔からやっていて、
国語力に雲泥の差がついてしまってるから、
今からでは遅いわ、という。
昔からやっている卓球はとりあえず続けるけど、週1だしねえ、と。
元気づけたいけど、なかなか難しい。
ああいえば、こう言う・・。
母はいつもどんなときでも前向きな人、だった。
歳を重ねると変わるのだろうか、それとも一時的なのか。
何とか母には元気になって欲しくて、電話を切った後もメールで励ました。
母は、私がアヒルに似てると言って、
アヒルのぬいぐるみが好きなので、
うちにある黄色いトリっぽいものたちを総動員して面白い写真を撮って送信した。
そしたら母の方からも、
お風呂上がりのようにタオルを頭に巻いたアヒルの画像がきた。
小さい頃、私が泣いているときは、
必ず小さなぬいぐるみを出してきて、
私を励ましてくれたのを思い出した。
ちょこまか動くぬいぐるみが可愛くて面白くて、
いつの間にか私は笑っていたのだった。
時がたって、今度は私が母におんなじことをしている。
数度やり取りをした。ちょっとは元気が出たかなあ。。。。
最後、母が「ああ、笑った!おやすみ☆」と締めくくった。
スカイプとかで、うちの母と連絡を密に取ろうかなあと思った。
機械が圧倒的に弱い母でも、なんとかやれるだろうか。
寂しがりやの母を変えることはできない。
寂しくないようにすることしかできない。
親が寂しそうにしてるって、何より、子どもである私が一番さみしい。
ちょっとでも母が明るい気持ちになってくれたのなら、
それが私にとって何より、一番のクリスマスプレゼントだ。
即座に電話がかかってきた。
電車の中だったし、夕飯の買い物もしなくちゃだし、
ご飯も炊きたいしで、後でかけなおすよ、って言って、
やろうとしてることを全部やってから1時間半以上たってからかけなおした。
最初はいつもと同じように、
「何か買っといて欲しいものとかないの~?」と明るく話していた母だけど、
40年ほど仲の良かった友人が頑固かつ惚けてきて、
もう一人の教員時代からの仲良しも山登りに夢中で話が合わなくなった、
寂しくてしょうがない、カウンセラーさんにかかろうと思う、という話になった。
非常勤だから、収入も少なくなってるしなんだか先行き不安で・・・と。
あと、良くなったり悪くなったりで不安定な祖母の体調も、
母の気持ちに大きな影を落としている。
どうも、少し鬱状態らしい。
年齢的にも、そういう時ってあるのだそうだ。
来年度、このまま非常勤を続けるか、それともすっぱり辞めるか、
母は迷っている。
惚けてきているという友人は、60歳過ぎても教員の職を続けている母をなじるのだという。
自分の世界を持ちなさい!と。
自分の趣味のお店を持った人のところに連れていかれたりもしたらしいけど、
ちっとも羨ましくなかった、と言っていた。
私は母の子どもだからよくわかるのだけど、
母はきっと、自分の趣味の小さな世界の中で満足できない人だ。
社会の中で、どんな小さな役割でもいいから、
必要とされている、役に立っているという実感を持ちたいのだ。
要するに、人と接していないとダメな寂しがりやさんなのだ・・・。
定年まで学年主任をやっていて、激烈に忙しかったから、
今まではその寂しがりやさんが外に出てくることはなかった。
時間ができて、母は自分の一番芯の部分と向き合うことになったのだろう。
自分の趣味の世界に没頭できる人は、根本が上品な人だと私は思う。
でも私や母は残念ながら、そうではないみたい。
現役時代、エッセイを書いて賞をもらったこともある母だから、
また書いて出してみたら?と言ってみたけど、
最近出したのは落選してしまったから、しばらく書く気がしないという。
短歌も趣味でやっているから、それを究めてみるのは?
と言ってみたけど、
知り合いの人はもっと昔からやっていて、
国語力に雲泥の差がついてしまってるから、
今からでは遅いわ、という。
昔からやっている卓球はとりあえず続けるけど、週1だしねえ、と。
元気づけたいけど、なかなか難しい。
ああいえば、こう言う・・。
母はいつもどんなときでも前向きな人、だった。
歳を重ねると変わるのだろうか、それとも一時的なのか。
何とか母には元気になって欲しくて、電話を切った後もメールで励ました。
母は、私がアヒルに似てると言って、
アヒルのぬいぐるみが好きなので、
うちにある黄色いトリっぽいものたちを総動員して面白い写真を撮って送信した。
そしたら母の方からも、
お風呂上がりのようにタオルを頭に巻いたアヒルの画像がきた。
小さい頃、私が泣いているときは、
必ず小さなぬいぐるみを出してきて、
私を励ましてくれたのを思い出した。
ちょこまか動くぬいぐるみが可愛くて面白くて、
いつの間にか私は笑っていたのだった。
時がたって、今度は私が母におんなじことをしている。
数度やり取りをした。ちょっとは元気が出たかなあ。。。。
最後、母が「ああ、笑った!おやすみ☆」と締めくくった。
スカイプとかで、うちの母と連絡を密に取ろうかなあと思った。
機械が圧倒的に弱い母でも、なんとかやれるだろうか。
寂しがりやの母を変えることはできない。
寂しくないようにすることしかできない。
親が寂しそうにしてるって、何より、子どもである私が一番さみしい。
ちょっとでも母が明るい気持ちになってくれたのなら、
それが私にとって何より、一番のクリスマスプレゼントだ。