しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

師走、全力疾走。

2012-12-04 21:01:05 | 日記
内申が発表された昨日。
一人ひとり廊下に呼んで、併願校を確認しながら成績を手渡す。

希望していた併願校に出願できることが確認できた生徒は、
教室に戻ると大喜びしているけど、
逆に出願できないことが判明した生徒は、ショックで泣き出す。
うちのクラスにもそういう子がいて、周囲の生徒がもらい泣き。
毎年の風景なんだけど、心が痛い風景だ。

たった1点で出願すらできない現実、厳しい。

とはいえ、進路担当の先生と相談して基準に足りてない生徒もなんとかならないか、
高校側に確認してもらう作業中。
使えるもの(検定や賞、部活の役職など、果ては謎の『担任推薦』まで・・・)は全て使う!

陰日向のない推薦できる人物なのに、
推薦基準にあと1ポイント足らないとか~!!
しかも9科では+2ポイントもあるのに、3科で1足りないとか、悔し過ぎるじゃん。

教科の先生に「できなかったんだから◯◯さんは評定が『3』で仕方ないですよねえ・・。」
と言われて、「そ、そうですよね~。」と返答しつつも、
ココロの中では、
「あともう一声、なんとかならないかなあ。・・・ほんとにもう一声!」というのが本音。
なんとか希望の高校に行ってもらいたい、というのが、
やっぱり私の、というか、
関わった先生たち全員の願いでもある。


というわけで、高校との折衝には力が入るのだ!!!


そんな中、同じ学年の先生が偽facebook的なものをイントラネットの中に作ってくれた。
職員室内で参加したい人だけが参加できるコミュニティー。
学年の中に一人でもパソコンに強い人がいるとありがたい。
私は早速参加。アイコンをインコにした。
今のところ、まだ数人しか参加してないけど、すごく便利だ。

学校の先生にはこういうのに否定的な人がわりといて、
職員室にいるんだったら互いにしゃべればいいじゃん、という。
たぶん、新聞やテレビなどでTwitterやfacebookでの発言が問題になって、
失職した教員の記事を見かけるからだろう。

でも私みたいに特別教室とクラスルームの行き来で一日を過ごしていると、
朝の打ち合わせ以外では職員室での滞在時間がひどく短くて、
他の先生と話をする暇もないことが多い。
そのため様々な情報を聴きそびれてしまう。

だから、こういうコミュニティーにちょっとしたメモを残しておいてくれるとすごく助かるのだ。
例えば「2時間目に〇〇さんが遅刻してきて今は保健室にいます。」とか、
「体育の時間に△△が怪我。養護の先生と●●病院に行ってます。」とか、
「12月4日午後、××高校の基準が-1でもOK、の確認がとれました。」とか。
メモ用紙だと、そのメモをもらった先生しかその情報を知ることができないけど、
これだとみんなにわかる。
願わくば、これが美術室にも欲しい。
そしたら職員室に戻らなくなるかな・・・・。


明日から最終面談。3年は明日からはほぼ午前授業のみのスケジュール。
調査書も集まり始め、いよいよ本格的な受験シーズンの到来。

師走。
もうすでに全力疾走。














身近な人をおもうこと

2012-12-02 18:20:55 | 日記
土曜の未明、
母からメールがあった。夜中にメールなんて、珍しかった。


「おばあちゃんが倒れて、意識がない。
 喪服を用意しておいて。」


動揺を隠すように、文章はそっけなかった。
驚いてすぐに母の携帯に電話をかけると、震える声で電話口に出た。
もしかしたら、このまま植物状態で何年も生きるかもしれないし、
明日、命が絶えるかもしれない、全くわからないという。


実家の、父方の祖母は5年前に亡くなったけど、
母方の祖母は健在だ。
昨年、会いに行ったら、最初は誰だか分からなかった様子だったけど、
次第に思い出してくれた。認知症ではあるけど、元気だった。
もう80歳は越えている。そして急なこの寒さ。

土曜日の朝、私は熱を出した。
朝、起きることができなかった。
しばらく眠って、昼過ぎに起きようとしたけど、
まだ辛い。熱もある。のどがカラカラだった。
外出するのは控えて、一日中、横になってようと思った。
来週からは最終の進路面談が始まる。
それにもし祖母に何かあったら、面談中でも日帰りで行くためには、
元気でないといけないから。


横になっていると、半分起きていて半分眠っているような状態で、
いろんなことを思い出したり考えたりする。
優しい明るいおばあちゃんのこと、頑固で無口なおじいちゃんのこと。
善良だった人の人生の最後は、
苦しまず穏やかであたたかなものであって欲しいということを一番思った。

しかし、祖母や祖父にとって今は、
あまりいい境遇ではないらしいのが腹立たしかった。
母の弟夫婦とともに住む祖父母は、あまりいい待遇を受けていないという。
母が行けるときには行って、2人の身の回りのことをやっている。
そんな母も60歳を越えた。
どうせなら、母の住む家に2人を呼んでしまえばいいのに、と思うけど、
2人は住み慣れたところがいいらしい。それはそうかもしれない。


遠く離れて暮らす孫である私が何かできないか、いろいろ考えてみた。

地域や国の介護のサービスをちゃんと受けているんだろうかとか、
それでも足りないなら私費でなんとかフォローできないだろうか、とか。


とか考えていたら眠っていた。飲まず食わず数時間。
朝になって、部活があるので何とか起きて出勤、一段と寒い。
日曜日は部活に来る子も少なく、のんびりやっていたら少しずつ体調も復活してきた。
学校の職員ロッカーに置いていた喪服を確認しにいく。着たくはない。

鬱々と仕事をしていたら、母からメールがあった。緊張した。


「大丈夫だったよ!目を覚ましたよ!今、おばあちゃんは椅子に座ってます!」
と写真まで添付されていた。妹が撮影したらしい。
笑顔のおばあちゃんがいた。
いつも思うのだけど、おばあちゃんは母にそっくりだ。


ほっとして、涙が出た。

とりあえず事なきを得た様子で、
「今からきしめん食べます!」と、続けて母からメールがきた。
何も食べてなかったんだろう。


しかし、祖父母の環境をなんとか良くするために動かないといけない。
そこらへんは母と今後、相談である。


社会の様々なシステムに無関心だったけど、
まずは身近な人たちをなんとか助けるためには、様々なことを知る必要がある。
知れば知るほど不条理なこともあり、
大人になればなるほど、勉強って必要だなと思う。

政治についても無関心な若い人も多い様子だけど、
難しい議論ではなく、
身近な人をまずは大切におもうことから、社会への関心は深まるのだろう。