◆ 推薦のことば
根津公子著『自分で考え判断する教育を求めて
「日の丸・君が代」をめぐる私の現場闘争史』(影書房)
「君が代」起立・伴奏を拒否した教員を処分し、上意下達を徹底したことで、東京の教育は良くなったでしょうか?民主的だった教育がどのように壊されていったのか。中学校家庭科教員による不屈の記録。
◆ 斉加尚代(映画『教育と愛国』監督)
生徒「来年も停職か!でも、そのとき来て」
根津「あなたたち、卒業しちゃうじゃない」
生徒「そうしたら、ぼくたちが門の前に来るから。(会いに)すぐ来れるもん」
1971年から40年にわたり東京都内の公立中学校等で家庭科を教えつづけた根津公子先生。卒業式で「君が代」の不起立を貫いて停職6か月など11回に及んだその処分をめぐる闘いの記録を読了し、強く印象に残るのは、根津さんがありったけの愛情を注いでかかわる生徒たちが、生き生きと学んでゆく姿だ。
「自分の頭で考えて行動する人になってほしい」、根津さんが考える教育は、世界共通の普遍性を持っている。イデオロギーに染まるものではない。
なのに、生徒の尊厳を傷つける体罰よリ、「君が代」を歌わないことに「重い罰」が与えられる学校とはなんだろう。
罰する理由をつくるために校長が家庭科のテスト日を突然変更したり、「慰安婦の授業は、家庭科ではない」と不当な理由で責めたてたり。根津さんは、ただタブーをつくらず、生徒たちと学びあうことを優先しているだけなのに。
停職中も学校の門の前で生徒たちと会話し「授業する」根津さんに対し、「処分されて当然」と非難した同僚の教員の授業を生徒たちはボイコットする。生徒たちは、深く考え、行動できるのだ。
一緒に裁判を闘ってきた佐藤美和子さんが昨年、根津さんに届けたメールの内容に涙ぐんでしまった。「いま、とても幸せ」「わたしも、そう」、ふたりはおたがいの教育理念に背くことなく、教員をまっとうでぎた幸せを語ったのだった。
教える側が「人格的なふれあいを生徒と重ねて学びつづける」ことこそ教育である。それゆえ教員の精神の自由は守られるべきだと本著は語りかける。教員の人間性すら奪いかねない硬直した今の教育行政のありかたを問いかける、根津先生と成長する生徒たちの教育実践の貴重な記録である。
◆ 田中伸尚(ノンフィクション作家)
「一人ひとりの人間が批判的にものを見る能力を身につけ、与えられたものでない別の視点をもつこと。そうした批判的な思考からしか未来の希望は生まれない」。
支配的な正史に抗する少数者の語りの必要性を主張したパレスチナ人の批評家故エドワード・サイードのことばだ。本書からはサイードのこのことばがこだまのように響く。
根津公子さんは、子どもたちに批判的思考の大切さを全身で伝えつづけた希少な教員だったから。
◆ 高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)
「東京から日本を変える」と豪語した石原慎太郎都知事に迎合する教育委員会官僚らによる長期間の権力乱用に抵抗しつづけ、都教委幹部に「根津をクビにできなかった」と悔しがらせた中学校家庭科担当教員が、生徒に自分で考える力を持とうと呼びかける信念を貫きとおした闘いの記録。
姿勢を改めない都教委の実態を法廷で示すことで裁判官をもめざめさせ、裁判所をもゆるがした事実をもって、裁判に否定的であった人びとへの反論の書でもある。
◆ 石川逸子(詩人・元公立中学校教師)
つねに、真摯に生徒にむきあい、家庭科でいちはやく男女共学を自主教科書でおこない、時流に流されることなく、しっかり物事を判断し行動する人に育つよう、(自らの行為=「君が代」不起立を含めて)実践しつづけ、生徒たちを育てていった教師、根津さん。
教育委員会が正常なら彼女を顕彰することこそ妥当というべきでしょうに、なんと処分処分と免職寸前まで追いこみ、懲罰にひとしい配置転換、転勤前の悪宣伝、停職処分、これが仮にも教育行政という分野でなされる行為なのかと、その非常識、かつ執拗さにあきれてしまいます。
「君が代不起立」は、「君が代」斉唱の妨げにはなっていないので、いわば最小限の抵抗といえるでしょう。それなのに職務命令を出して許さないというのであれば、もうファッショというべきではないでしょうか。
大日本帝国が行った侵略戦争時、占領地に、はためいた「日の丸」、鳴り響いた「君が代」、その侵略を侵略と認めたくない勢力が政権を維持しており、またの機会をねらっているからこそのしめつけでありましょう。
中立であるべき教育委員会が、ときの権力に忖度し、へつらい、校長をおどし、職員会議での民主的話しあいまでつぶす。ゆゆしぎ事態といえます。
そのなかで、ゆるぐことなく、権力の恐喝にも屈せず、長く長く立ち向かわれた根津さんの厳しい闘いに頭をたれずにはいられません。希望は、その根津さんの苦しい闘いが、なによりも生きた教育となって生徒たちを育てていっていることです。本書でもその一部が紹介されていてうれしくなります。
真実とは何か、どう生きるべきか、根津さんが投げかけた問いが、美しい種となって、あちこちで花開いているすばらしさ。ただ、喜んでいられないのは、ますますファッショ化しつつある現在の状況です。みずからは戦闘に行くわけではないのに、仮想敵をつくって若者たちを戦争へ駆り立てようとする新たな《戦前》が牙をむいて始まっていますから。
こんなとき、自分の頭・心で考え、判断することこそ真の教育と、あるときはまったくの四面楚歌のなか、現場で、みずからをはげましつつ、折れることのなかった根津さんの闘い。支えたひとたち。ねじ曲げられた歴史が、一教師の小さな血を吐くような歩みによって正しく糺されていくことを願いつつ……。
◆ 北村小夜(「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人)
いま日本の教育は子どもに教育勅語を教えようという人たちが政権を握り、平和憲法を持ちながら戦争をする国になってしまいました。それでもここに歯止めをかけとどまっているのは、「自分で考え判断する教育を求めて」このような闘いがあったからです。
◆ 辛淑玉(反ヘイト団体「のりこえネット」共同代表)
一読して、これは見事な「男社会のクズっぷり図鑑」だな、と思った。
根津公子に対する処分の根底には「女が男(力あるもの)に逆らうこと」に対する力の誇示がある。つまり、見せしめだ。しかも教育現場でそれをやっている。
だからこそ、これは記録に残すべき歴史の一頁なのだ。
根津公子が提訴した「日の丸・君が代」不起立裁判は公益裁判そのもので、戦後日本が血を代価として手にした「人間として考え、発言し、生きる権利」を、教育現場で守りとおした訴訟なのだ。
一人になることを恐れない大人の背中がそこにはある。「脅えてはいても、自身に嘘をついたり逃げだしては、この先、生きていけない」という著者の言葉は、まさに教師という職業人の言葉であり、過酷な裁判をつづけられたのは「(権力側による)処分を絶対に許さないという強い意思を示しつづけるため」だと語る根津の生きかたが裁判」の流れを変え、戦争への道に待ったをがけるだけでなく、「いじめ」に抗う勇気をも見せてくれた。
次世代への応援歌として、多くの若者に届けたい一冊だ。
影書房 http://www.kageshobo.com
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四六判並製336頁
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