2022年3月25日
大阪府知事 吉村 洋文様大阪府教育長 橋本 正司様
「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット(略称)
共同代表;寺本勉、井前弘幸
連絡先;間苧谷(まおたに)学
共同代表;寺本勉、井前弘幸
連絡先;間苧谷(まおたに)学
◎ 2021年度大阪府の中学生チャレンジテストの
「一休のとんち話」出題の部落差別性を糺す
―「けものの皮寺に入るべからず」をめぐる抗議と要求と質問状―
「一休のとんち話」出題の部落差別性を糺す
―「けものの皮寺に入るべからず」をめぐる抗議と要求と質問状―
大阪府の中学生チャレンジテスト3年国語の古文「一休のとんち話」は部落差別を内包したもので、部落産業といわれる原皮のための屠殺や皮を鞣(なめ)す皮革業や太鼓生産に従事する人々への忌避や差別意識を助長させる人権侵害である。
その意識の因となる、何らの科学的根拠も、何らのいわれもない、非合理な「けがれ」観念への呪縛を強めるもので大阪府教育庁は糾弾されるべきである。
1 仮名草子の「一休ばなし」の時代性と今日性
出題原本の仮名草子集は、16世紀中頃の織豊政権時代から江戸時代初期にかけて庶民に読まれた、漢字には仮名でルビがふられた短編小説を集めたものである。
一休宗純(1394~1481)は室町時代の禅僧だが、件の出題された文章は1688(寛文8)年刊の巻之一から四までの46話の「一休ばなし」の冒頭の一文である。当時の皮革づくりを生業とする人々への賤視観が反映されている。
第1話は、やりこめられた旦那が仕掛けた「このはしわたるべからず」の高札に「端でなく真ん中真中を渡ってきた」という頓智話が続くのである。
2 「皮寺に入るべからず」の禁制を使った「とんち話」ですまされない
① 出題の文章は、「此寺の内へかわのたぐひ固く禁制なり、若(もし)かわの物入る時は、その身に必ずばち当たるべし。」この掟に反し入ってきた皮袴をはいた旦那は「皮のたぐひにばち当たるならば、此お寺の太鼓は何し給ふぞ」と反論をした。一休は「だから夜昼三度づつ撥(ばち)を当て、たたかれている。」あなたも皮の袴を着ているので「太鼓の撥を当て申さん」と切り返した、という内容である。「撥(ばち)に罰の意味を重ねている」と注釈を書いている。
② 単純に読めば「禁制」というお寺の禁止事項を守らないで皮の袴で入っていったのだから罰せられるのは当然だという生徒も出てくる可能性はある。
また皮で出来たものをお寺に入れてはならない。入れた者を罰するというなら罰せられるべきは師の養叟(ようそう)和尚だと考える生徒も出てくるかもしれない。
皮がなぜ悪いのか。皮でできている鎧(よろい)を着て、皮でできた鞍にのり、皮を巻いた弓を使う武士は罰せられなくてはならないのに尊敬されていたではないか。この疑問をもつ生徒も出てくることも予想できる。すなわち部落差別性に気づかない生徒も出てくると考えられるということである。
③ だが出題責任者の大阪府教育庁は「皮そのものや皮を扱う仕事に従事している人への忌避意識や差別意識をもつことや不安を抱く」ことがあると認識したからこそ、「そのようなことがないよう、生徒への丁寧な説明や指導が必要」との指示を発し、「指導資料を作成し、後日送付します」としたのだろう。
問題は皮の類のものを寺に入れない禁制が成り立つ根拠としての皮の為の牛馬の屠殺が、仏教の殺生するなの戒めに反する死の穢れの思想にあることである。
④ この非合理なケガレ(穢)思想を前提としてしか成り立たない話であることを示す、原文を敷衍(ふえん)した「一休のとんち話」の童話がある。
寺村輝夫・文/ヒサクニヒコ画の「一休さん」(1976年7月あかね書房刊)では「ちくさいさん、門のはり紙をよみましたか」ちくさいさんもとぼけたかおで「よみましたとも」「なんてかいてありましたか」「けもののかわ寺へはいるべからずとありましたね、たしか」「そうです、寺はほとけさまをおまもりする、けがれのないところです。おしょうさまは、けものはけがれのものといわれます。わたしたちは、だからけものを食べません」(22~23頁)と記述されている。
⑤ 皮自体が忌み嫌われるものでないことは、寺社の舞楽の太鼓や鼓、村祭りの太鼓など皮製品が用いられていることからも明らかである。現在でも皮の財布やバッグ・靴に皮への禁忌(タブー)意識はない。
問題は皮をつくり出す為の牛馬等の屠殺に伴う死の穢(ケガ)れに触れたとされる人間への忌避意識である。近世に被差別部落を「皮多」としたり、墓碑に「革門・革男・革女」「畜門・畜男・畜女」「屠女」等の差別戒名がつけられたのはその証拠である。
3 「ケガレ」の思想で、皮革製造をする被差別部落への差別・偏見を助長する
①古代において、生贄(いけにえ、犠牲)をささげる為の屠殺は神聖な行為・神事であり、「祝う、屠う、葬う」が「ともらう」と共通の言葉で表現されていた。だが仏教の殺生を禁じる不殺生戒が広まるにつれ、穢れが悪とされたのである。仏教の浄穢観念により不浄とされた。
② 「ケガレ」は気離れ・気枯れとされ、元気がなくなる病気や死の原因とされ、また毛枯れとして農作物の不作の原因ともされたと民俗学では述べられている。穢れには死穢(しえ)・血穢(けつえ)・産穢(さんえ)があるとされた。
③ 江戸時代、えた身分の人々に対し、役負担として怪我や病気で死んだ斃(へい)牛馬の処理や死刑執行や捕吏・皮革の仕事が課せられていた。これらは死と結びつき、死穢に触れるため穢(けがれ)多しと穢多と呼称され、遠ざけられ、疎外されたのである。
神社の入口に「不許汚穢不浄之輩入境内」(けがれて不浄な者は境内に入ることを許さず)(岐阜県飛騨一之宮水無神社)や奈良県の寺の「不浄之禁跡」という結界石があった。一休のとんち話の出題文中の「この寺の内へのかわのたぐひ固く禁制なり」の「へぎ」への書付けは、この不浄思想によるものである。
④ 古来、穢れのため神社参詣の禁止が規定されていた。葬式を出すと死穢で黒不浄といわれ、30日の参詣禁止。出産は産穢で白不浄といわれ、7日の禁止。女性は生理の時、血穢の赤不浄とされ7日の禁止であった。
出産は、おめでたい事とされているのに、出血した母親は不浄とされる。生理(月経)は、受胎と関係するのに不浄とされる等は極めて不合理なもので、それを「悪」とするのは迷信にすぎない。すなわち穢れは、迷信である。
1872(明治5)年2月25日付太政官布告で「自今産穢不及憚候事」と、それまでの「産の穢れ」は廃止され、6月13日付で「神社参詣ノ輩自今葬ニ預リ候モノト雖モ当日ノミ可相憚事」とされ、それまで30日の穢れを1日のみと改められたのである。
4 忌引きや喪中葉書など触穢に無関係でない子どもたちへ「ケガレ」の迷信性を説明せよ。
① けがれは伝播すると考えられていて「触穢」といわれる。967年に施行された延喜式の規定によれば、死者を出した役人は、死穢のため甲穢として30日間蟄居謹慎(家にとじこもり外出してはいけない)し、甲をたずねた人は乙穢とし、半減して15日、乙をたずねた人は又半減して7日の蟄居謹慎すべきものとされた。
この服忌令(ぶっき令)は現在でも忌引き(きびき)の制度となっており、普通両親死亡の時は7日、祖父母は3日等特別休暇とされている。子どもたちの指導要録には、忌引として記入されている。
② 葬儀時の「清めの塩」、元旦からの「ケガレ」を持ち込まない為の年賀状欠礼の喪中葉書、病気を人形に移して川に流す「流し雛」の行事、女性は血穢のため相撲の土俵に上がれないことなど、子どもたちは学校生活や社会生活の中で、「ケガレ」の思想と無縁ではない。
だからこそ一休さんの「禁制」の文言の根拠となっている「ケガレ」の思想が非科学的、非合理的な迷信であることを認識させるべきである。
5 聖と賤の対立意識―天皇制の身分差別の根源に連なる
① 被差別部落の賤視感の因となっている「ケガレ意識」を認めることは、その対極にある聖なるケガレなき身分として天皇一族が意識される。
松本治一郎(元部落解放同盟中央本部委員長)は、「貴族あれば賤族あり」とのべた。上があるから下がある、二階があるから一階という概念が生まれてくるというものである。
天皇明仁即位の翌年の1990年1月に東洋大学図書館地下食堂のトイレに差別落書きがあった。「天は高く地は低い。そこに何の疑問があるだろう。(一行不明)天皇は限りなく尊く、特殊部落民は際限なく卑しくけがらわしい。そこには何の疑問があろうか。俺は正義と天皇の名において穢多・非人を根絶させる。」(解放新聞1990年1月23日号)という文言である。聖と賤の対立意識は生きているのである。
② 世襲により万世一系とされる聖なる血の連続性を尊いとする観念が、天皇のカリスマ性を生み、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法第1条)の根拠となっている。それ故、卒・入学式での「日の丸・君が代」の起立斉唱の強要は、天皇への崇敬の念を通じて、国家への忠誠表明なのである。これは、天皇を現人神とする国家神道は「宗教にあらず、国民の道徳である」とする考えを引きずった宗教儀式である。
日本国憲法第20条(2項)「何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」条項に反した憲法違反であるといえるのである。これは、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット(略称)が抗議する所以でもある。
③ 部落解放同盟綱領(1997年改訂)の前文には「部落差別を支えるイエ意識や貴賤・ケガレ意識と闘い…」とあり、基本目標には「イエ意識や貴賤・ケガレ意識など差別文化を克服し、身分意識の強化につながる天皇制、戸籍制度に反対する」とある。
ケガレ意識が身分意識としての天皇制を支えているとの認識を示し、その打破が部落差別をなくす運動の課題としているのである。
以上の観点から、今年度の「中学生チャレンジテスト」の国語大問五の「一休ばなし」の設問の部落差別性に抗議すると共に、次の要求と質問に真摯な回答を求めるものである
【要求事項】
1、本出題によって部落差別を助長・拡大したことについて、大阪府教育庁の責任者たる教育長名で自己批判文を公開すること。
2、「問題の作成にあたっては、複数回、複数の人数でのチェック体制システムを構築している。特に人権的な問題がないか確認している」(「令和3年度中学生チャレンジテスト(第3学年国語)における設問について」。以下、「依頼」)、「府としては、すべての問題を人権的配慮のもと作成しております」(「チャレンジテストの国語の設問(大問五『仮名草子集』)についての指導資料」。以下、「指導資料」)と記しながら、人権上問題のある出題がなされた。府・府教育庁職員の人権意識、部落差別に関する意識が再度問われなければならない。
府・府教育庁職員全体に対する人権・部落差別に関する研修を行うこと、その後教職員に対する研修を行うこと。しかる後に、教職員に対して生徒に対する指導の「お願い」がなされるのが本来の姿だ。
3、府教育庁が問責を受けるべき聴聞の場を設定すること。その際、本出題に対して抗議を寄せている諸団体、個人にも参加を呼びかけること。
4、部落差別をなくす認識を高める国語教材の開発を、研究者や学校教員等の実践事例を集め、研究・協議する場を作ること。
5、チャレンジテストは、その点数をもって各学校の内申の「評定平均」の「目安」を決定するなど、それ自身きわめて差別的な性格のものである。さらにそのテストに今回のような差別的な問題が出題された。チャレンジテストを即刻廃止すること。
【質問事項―「指導資料」に関して―】
1、「②この作品の別の見方を知る」として、部落差別性の学習を提起しているが、これは「別の見方」ではなく、本質的な見方であると考える。「別の見方」というのは、「そういう見方をしなくても良い。本質ではないのだから」という意味になる。①の一休のとんち・機知・機転からくる笑いに終わって良いのか。回答を求める。
2、同じく②に「○とんちの内容が差別につながるとの見方もあることを示す」とあるが、「見方がある」ではなく、「見方が本質である」とすべきである。その鍵は「禁制」の根拠にある。それは、室町時代から江戸時代へも続く賤民層の生業に対する差別の社会意識であり、その社会意識を形成したのは仏教の死穢(死のケガレ)をめぐる浄・穢の観念であった。貴賤は儒教的観念である。
だが「指導資料」では②で「『寺内への皮の禁制』については、物語上の話であることをおさえる」と注記している。「物語上の話」とは、現実性のない「架空の作り話」という意味に使われる用語である。「禁制」が、物語を面白くするために作られたものであるのか否か見解を問う。
3、③で「死・出血・病気など、自分の理解や力の及ばないできごとをおそれていた」として、死穢、血穢という「ケガレ」観念を「おそれ」と捉えさせようと、「ケガレ」という用語を避けている。仏教では「死」は必然として「おそれ」るものではないともされる。本来ここでは「ケガレ観念、ケガレ意識」と書くべきところを、なぜ一般的な「おそれ」という言葉を使用したのか、回答を求める。
4、同じく③で「○皮革についての認識を深めさせる」として、「皮革にかかわっての偏見や差別は不合理なもの」と学習を提起、さらに「厳しい差別に苦しんでいた人々は、差別をなくし、平等な社会の実現のために自ら立ち上がった」として、「全国水平社の結成、水平社宣言」の学習を提起している。この2つをつなぐ教材が「水平社宣言」であり、就中次の一文である。「ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。・・・(中略)・・・吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。」
この一文は、被差別部落を「悲惨と貧困」というマイナスイメージのみで捉えるのではなく、「指導資料」にあるように「動物の皮を加工し、皮革製品にするためには高い技術力が必要で、他の伝統産業と同様に、専門の職人によって受け継がれている」と指摘しているごとく、生産労働や技術、芸術、芸能、文化の担い手としてのプラスイメージで被差別部落を捉えさせる、校長会人権教育部の声明でいう、いわゆる「新部落史観」の原点となる思想を表明している。
2022年は、この全国水平社宣言100年の節目の年である。教育庁として自ら提起した学習指導案に則った授業実践報告集会を開くことを検討されたい。回答を求む。
5、添付されている資料「『4 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律』施行」では、1961年の高知県の「小中学校教科書をタダにする会」の活動が「無償化」を決定づけた、と説明されている。
だが、大阪の子どもたちが同時に学ぶべき事は、憲法26条の「義務教育無償化」の条項に則り、1959年9月、日の出、加島、矢田、西成の4支部の子どもたち250人が市役所に座り込み、大阪市内の部落解放同盟12支部の子どもたちの教科書無償化を勝ち取った先駆的な闘いである。
1995年3月に製作されたアニメビデオ「天気になあれ」(大阪市、大阪市教育委員会企画、(株)電通ブロックス大阪支社製作)の後半は、日の出支部をモデルにしたこの劇化である。教育庁はこのような実践的な教材を提示すべきであるが、見解を問う。
以上
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