《リベルテから》連載⑩ 今夜も・・・てんテン点。
★ 自分のことは自分で決める・・・。
大能清子(葛西南高校定時制勤務)
孫子の兵法に言う。「百戦百勝は善の善なるにあらざるなり」。
普通、百回戦って百回勝てば最高だが、それは「最善ではない」。その理由がいい。
“どんなに勝ち戦でも、いくばくかの兵士は死ぬから”。
だから、人のいない所へ行け、つまり“逃げろ”。
いいなあ。だって、もし私が春秋戦国時代の中国にいたら、意味もわからずに徴兵されて、何してるかわかんないうちに死んじやいそうだから。
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この7年、私は進路指導を任されているが、生徒のほとんどは就職する。
カサナンに異動して、最寄の葛西駅から学校に行く道すがら目に入ったのは、環七を走るトラックだった。
“上海なんちゃら”とか、“CHINA SHIPPING”とか、中国から来たんだなっという感じ満載のコンテナを曳いている。それはコロナで武漢が閉鎖されていた時期も変わらなかった。
“なるほど、この辺は物流が地場産業で、うちの生徒が就職しやすいのはそれか!”と、観念した。
実際、生徒の就職先には、なんとかロジスティクスという会社がある。
この logistics は、通常「物流」と和訳されるが、原義は「兵站」。言わば後方支援だ。
で、孫子は遠征を勧めない。
自分の土地を離れて戦えば兵糧が問題になり、補給路を確保できなければ飢餓街道になるからだ。
リーズナブルだ。大日本帝国の参謀本部に言ってやりたい!
去年の今頃、進路のための三者面談で、前畑君(仮名)のお父さんから言われた。「倉庫みたいな、つまんない就職先をもってきたら、俺がぶっ潰してやる!」。
では、どんな仕事ならいいかというと“Webデザイナー”!
高卒にそんな求人があるとは思えなかったし、日頃から前畑君は何を問いかけても拒絶的な返事しか返ってこなかつた。担任のポニョと私は言葉がなかった。
合同企業説明会に誘っても、彼は参加しなかった。
(この子、進路未定で卒業かなあ?)と思いながらも、私はWebデザイナーの求人を見つけることができた。
それで、とにかく職場見学に行かせると、彼は「自分には難しい」と漏らした。印刷のデザインの求人も見つけておいたが、どうも気乗りしない様子。
そこで、「自分で求人票を見て探してごらん」と言ったところ、なんと倉庫内作業の求人票を持ってきた。「なんでこの求人票なの?」と訊くと、「これならできそうだし、家から近いから」と言う。
私の知っている会社だったが、就業場所は千葉県になることが多いので、確実に近所で働ける企業を紹介した。大手企業だし、採用担当者がとてもいい人なので、この子のことも懇切に面倒を見てくれるかもしれない。
とりあえず職場見学に行ったところ、就職したいと言う。私は、恐る恐る「お父さんはどうかな?」と訊いた。
すると、「大丈夫です」と言う。彼にしては珍しい反応だったが、力強い返事だった。
ここでひるんでは一巻の終わりである。お父さんを無視して、一気に採用試験まで進め、内定を勝ち取った。
今もって、お父さんに彼の就職先についての諾否は訊いていない。もうこうなったら、クレームがなければ結果オーライである。
驚いたのは、その後の前畑君の変化だ。
いつもあんなに不機嫌だった彼が、私たちに冗談を言い、文化祭の準備をしているときに身体をぶつけてふざけたりするようになった。まるで別人のようなその様子に、ポニョと私は目を見張った。
それは、彼自身が自分で選び、自分で自分の生き.方を決断できたからだと思う。
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3月、卒業式の後のホームルームで、恒例の連絡先交換をした。卒業学年の担任は、次年度は異動となって別の学校に行くのが恒例だが、定時制の生徒は進路先に適応できないことが珍しくない。
困ったときに相談できるように、あるいはうまく続けられたときには翌年の進路行事で体験談を話してもらうために、私と連絡できるように、「よかったら私のスマホに連絡先を入れてください」と呼びかけている。
前畑君も笑顔で応じてくれた。そうだ、この原稿を書き終えたら、S運輸の人事のMさんに電話して、彼の近況を聞いてみよう。
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース リベルテ 第70号』(2023年4月27日)
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