▼ 原子力緊急事熊宣言のまま5年 (週刊新社会)
何も罰せられぬ加害者と分断される被害者
▼ 5年も続く「緊急事態」
福島第一原子力発電所事故は東北地方・関東地方の約1万4000平万キロメートルの土地を放射線管理区域にしなければいけない汚染を生じさせました。
その主犯人であるセシウム137は総量で2・4ペタベクレルです。それを重量に換算すれば、750gにしかなりません。
「放射能は五感で感じられない」とよく言われます。「放射能」とはもともとは放射線を放出する能力を意味する言葉ですが、日本ではその言葉を「放射性物質」を表すためにも使ってきました。放射性物質はそれが物質であるため、重さもあれば、形もあります。触ることもできるはずだし、場合によっては匂いだってあります。
なぜ「放射能は五感に感じられない」と言われるかといえば、五感に感じられるほど放射能があれば、人間は簡単に死んでしまうからです。
2011年3月11日に発令された原子力緊急事熊宣言は5年近く経とうとしている今も解除されていません。
法令を守るなら、普通の人々に年間1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはなりませんが、今は緊急事態だからという理由で、年間20ミリシーベルトまでは被曝せよということにされてしまっています。
緊急事態が1週間続く、あるいはやむを得ず1月続くというのであれば、まだありえるかもしれません。
しかし、この国は緊急事態をすでに5年も続け、今後何十年も緊急事態だと言い続けるつもりなのです。
▼ 「中間」ならぬ「最終」
汚染地に棄てられた人々のうち、自力で逃げられる人はわずかです。ほとんどの人は、そこで生活せざるを得ません。
今、「除染」なる作業が行われていますが、除染とは汚れを除くという意味です。しかし、汚れの正体は放射性物質であり、人間には放射能を消す力はありません。
つまり、言葉の本釆の意味で言えば、「除染」はできません。
できることは、どこかにある放射性物質を別の場に移すこと、すなわち「移染」と呼ぷべき作業です。
人々は、住居の周り、学校の校庭、通学路などの表土をはぎ取り、フレコンバッグに詰めてきました。
もともと山にある汚染を「移染」することはできませんし、田畑の表土を剥ぐこともできません。
できる「移染」は全体の汚染のうちごくごくわずかでしかありませんが、集めたフレコンバッグはすでに1000万袋近くになり、汚染地のそこかしこに山積みになっています。
フレコンバッグは簡単に破れてしまうし、そうなれば、一度袋に詰めた放射性物質がまた環境に出てきてしまいます。
そうした放射能のゴミを、国は住民から借り上げた土地を中間貯蔵施設として、そこに保管すると言っています。
しかし、一度そこに受け入れてしまえぱ、2度と外部に運びだすことなどできません。つまり、中間貯蔵とは名ばかりで、最終貯蔵施設になってしまいます。
▼ 放射能ゴミは福島第2原発へ
本来、問題は単純です。
汚染の正体である放射性物質はもともと東京電力福島第一原子力発電所の炉心にあったウランが核分裂して生じたものです。
ウランは東京電力の所有物ですし、それが核分裂してできた放射性物質も東京電力のれっきとした所有物です。
東京電力の所有物は東京電力に返せばいいのです。
その東京電力は、自分がまき散らした放射性物質はすでにそれぞれの土地に固着してしまっているため、自分のものではなく、「無主物」だと主張するでたらめな会社です。
私の本心を言えば、集めた放射能のゴミは東京電力の本社ビルを埋め尽くすのがいいと思います。
それができないのであれば、福島第二原子力発電所の広大な敷地を放射能のゴミ捨て場にするのがよいでしょう。
東京電力は福島第二原子力発電所の4基の原子炉を再稼働させようとしていますが、冗談はいい加減にすべきです。
言葉で尽くせぬ苦難を負わせた住民たちに、さらに放射能のゴミ捨て場を提供させ、自分は無傷で生き延びるなど到底認めてはいけません。
▼ 何も罰せられぬ加害者と分断される被害者
汚染地の人々は何とか自分の住んでいる場所を復興させたいと願います。
でも、人は恐怖を抱えながら生きることはできません。その上、幸か不幸か放射能は五感に感じられません。
汚染地で被曝の心配を口にする入は、むしろ復興の邪魔だと非難を受けることになってしまいます。
故郷を追われた人、自力で避難した人、棄てられたまま避難することができない人、すべて福島第一原子力発電所事故の被害者です。
その被害者同士が分断され、加害者は責任を取らないどころか、何の処罰も受けていません。
今、被害者がなすべきことはお互いを非難し合うことではなく、団結して加害者と闘うことです。
(『原発事故被害者双相の会』No.44から)
『週刊新社会』(2016/2/23)
何も罰せられぬ加害者と分断される被害者
小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
▼ 5年も続く「緊急事態」
福島第一原子力発電所事故は東北地方・関東地方の約1万4000平万キロメートルの土地を放射線管理区域にしなければいけない汚染を生じさせました。
その主犯人であるセシウム137は総量で2・4ペタベクレルです。それを重量に換算すれば、750gにしかなりません。
「放射能は五感で感じられない」とよく言われます。「放射能」とはもともとは放射線を放出する能力を意味する言葉ですが、日本ではその言葉を「放射性物質」を表すためにも使ってきました。放射性物質はそれが物質であるため、重さもあれば、形もあります。触ることもできるはずだし、場合によっては匂いだってあります。
なぜ「放射能は五感に感じられない」と言われるかといえば、五感に感じられるほど放射能があれば、人間は簡単に死んでしまうからです。
2011年3月11日に発令された原子力緊急事熊宣言は5年近く経とうとしている今も解除されていません。
法令を守るなら、普通の人々に年間1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはなりませんが、今は緊急事態だからという理由で、年間20ミリシーベルトまでは被曝せよということにされてしまっています。
緊急事態が1週間続く、あるいはやむを得ず1月続くというのであれば、まだありえるかもしれません。
しかし、この国は緊急事態をすでに5年も続け、今後何十年も緊急事態だと言い続けるつもりなのです。
▼ 「中間」ならぬ「最終」
汚染地に棄てられた人々のうち、自力で逃げられる人はわずかです。ほとんどの人は、そこで生活せざるを得ません。
今、「除染」なる作業が行われていますが、除染とは汚れを除くという意味です。しかし、汚れの正体は放射性物質であり、人間には放射能を消す力はありません。
つまり、言葉の本釆の意味で言えば、「除染」はできません。
できることは、どこかにある放射性物質を別の場に移すこと、すなわち「移染」と呼ぷべき作業です。
人々は、住居の周り、学校の校庭、通学路などの表土をはぎ取り、フレコンバッグに詰めてきました。
もともと山にある汚染を「移染」することはできませんし、田畑の表土を剥ぐこともできません。
できる「移染」は全体の汚染のうちごくごくわずかでしかありませんが、集めたフレコンバッグはすでに1000万袋近くになり、汚染地のそこかしこに山積みになっています。
フレコンバッグは簡単に破れてしまうし、そうなれば、一度袋に詰めた放射性物質がまた環境に出てきてしまいます。
そうした放射能のゴミを、国は住民から借り上げた土地を中間貯蔵施設として、そこに保管すると言っています。
しかし、一度そこに受け入れてしまえぱ、2度と外部に運びだすことなどできません。つまり、中間貯蔵とは名ばかりで、最終貯蔵施設になってしまいます。
▼ 放射能ゴミは福島第2原発へ
本来、問題は単純です。
汚染の正体である放射性物質はもともと東京電力福島第一原子力発電所の炉心にあったウランが核分裂して生じたものです。
ウランは東京電力の所有物ですし、それが核分裂してできた放射性物質も東京電力のれっきとした所有物です。
東京電力の所有物は東京電力に返せばいいのです。
その東京電力は、自分がまき散らした放射性物質はすでにそれぞれの土地に固着してしまっているため、自分のものではなく、「無主物」だと主張するでたらめな会社です。
私の本心を言えば、集めた放射能のゴミは東京電力の本社ビルを埋め尽くすのがいいと思います。
それができないのであれば、福島第二原子力発電所の広大な敷地を放射能のゴミ捨て場にするのがよいでしょう。
東京電力は福島第二原子力発電所の4基の原子炉を再稼働させようとしていますが、冗談はいい加減にすべきです。
言葉で尽くせぬ苦難を負わせた住民たちに、さらに放射能のゴミ捨て場を提供させ、自分は無傷で生き延びるなど到底認めてはいけません。
▼ 何も罰せられぬ加害者と分断される被害者
汚染地の人々は何とか自分の住んでいる場所を復興させたいと願います。
でも、人は恐怖を抱えながら生きることはできません。その上、幸か不幸か放射能は五感に感じられません。
汚染地で被曝の心配を口にする入は、むしろ復興の邪魔だと非難を受けることになってしまいます。
故郷を追われた人、自力で避難した人、棄てられたまま避難することができない人、すべて福島第一原子力発電所事故の被害者です。
その被害者同士が分断され、加害者は責任を取らないどころか、何の処罰も受けていません。
今、被害者がなすべきことはお互いを非難し合うことではなく、団結して加害者と闘うことです。
(『原発事故被害者双相の会』No.44から)
『週刊新社会』(2016/2/23)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます