パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

4.29反天連集会

2007年05月02日 | 平和憲法
 ●池袋騒然! 天皇賛美「昭和の日」に反対するデモ
 4月29日、「みどりの日」が「昭和の日」に変わった。89年までは昭和天皇誕生日の祝日だった。夕方、東京・池袋で「昭和の日」に反対する約100名の市民デモが行われたが、10台以上の右翼街宣車が押しかけたり、乱闘服の機動隊と私服警官あわせて数百名が過剰警備するなど、繁華街は騒然となった。デモ隊は「昭和の日はいらない」「ヒロヒトは戦争責任をとれ」「天皇制反対」などのシュプレヒコールをあげた。<リンク>動画(3分)
『レイバーネット日本』
http://www.labornetjp.org/


 ●今年から4月29日は「昭和の日」

 4月29日(日)18時15分から豊島区民センターでやめろ!!『昭和の日』4.29集会(反天皇制運動連絡会ほか)が開催された(主催者発表100人参加)。
 いつものことながら軍歌などを大音響で流す右翼の街宣車が十数台池袋に押しよせ、会場前の中池袋公園では「朝鮮人は朝鮮に帰れ」とスピーカーを通して罵声が響く騒然としたなかの集会だった。

 まず主催者を代表して天野恵一さん。
 「昭和の日」構想は昭和天皇が病没した日からあった。しかし当時は野党の存在が大きく、自民党内部にも「侵略をまるごと祝うのはどうか」という声があった。93年4月「みどりの日」改名請願運動が始まり98年には「昭和の日」推進議員連盟が発足、その後2回の廃案を経て2005年5月祝日法が改正された。小泉政権で成立し、極右・安倍政権で実施されたことは歴史的な意味がある。

 いまでは反天連の集会だけでなく、憲法集会にすら右翼が押しかけ警官が守る時代である。
 東京裁判(極東国際軍事裁判)で、1946年4月29日(昭和天皇の誕生日)に28人が起訴され、48年12月23日(当時の皇太子の誕生日)に絞首刑が執行されたのは、「お前たちはいつでも吊るせる」という連合国軍のメッセージであったことを想起すべきである。

 次に山口正紀さん(ジャーナリスト、元読売新聞記者)の
 9条を1条に――憲法・天皇制とメディア

1 私と天皇報道

 山口さんは大阪府堺市出身。1960年代の小学生のときにヒロヒトの仁徳陵参拝の際、小旗をもって並ばされ「なんで天皇は偉いのか」、(代々続いたというなら)「自分の家も代々続いてきたんと違うの」と疑問を抱いたというエピソードから始められた。
 空襲を逃げ回った母が「天皇サンはなんも知らんかったんや。自分でしとうて戦争を始めたんとちゃう。周りの人が悪かったんや、軍部にだまされはったんや。せやけど、最後に戦争をやめる、て自分で決めはったから、みんな助かったんやないか」と天皇のご聖断神話を信じていたが、これは45年8月の敗戦の日に朝日ほかのメディアがばらまいた責任でもある。
 その後読売記者になり、75年の初の天皇記者会見の報道記事をみて(原爆について)「広島市民に対しては、気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っております」、(戦争責任について)「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面をあまり研究していないので、よく分かりませんから、そのような質問にはお答えできません」との無責任発言に体が震えるほどの怒りを感じたこと、記者5年目の77年、那須の御料牧場に皇太子一家が訪問したとき「県版トップにするので取材しろ」という職務命令を拒否したことなど、ご自身のエピソードを披露された。
 ドイツ、イタリアでは敗戦後、国旗とともに新聞も廃刊となった。日本ではそうならなかったため、メディアは天皇の戦争責任をタブーとし、現在の「メディア仕掛けの天皇制」の道をたどることになる。

2 今なぜ、どう「改憲」なのか
 2005年10月28日の自民党改憲案は、前文から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し・・・」という侵略戦争の反省を削除し、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」などと海外派兵・「集団的自衛権」を容認する文言を追加している。
 これは2000年10月の、日本に集団的自衛権確立を促す「アーミテージレポート」や2004年5月の高坂節三・同友会憲法問題調査会委員長の「世界中に広がる日本の資本や人材・・・を守るためには何らかの方策が必要だ」という財界の要請に応えたものである。
 湾岸戦争を契機に読売・産経は「改憲推進」を社説に掲げ、2000年には日経も改憲に転じ、2002年には態度を鮮明にしなかった朝日、毎日も「論憲」に転じた。
 この半年で、防衛省昇格、教育基本法改悪、イラク特訴法延長、米軍再編特訴法が次々に成立している。いま国民投票法が議論されているがメディアは報道しない。

3 憲法と天皇制――9条を1条に
 昨年5月3日、朝日の「声」欄に注目すべき意見が掲載された。岩手県の65歳の女性が寄せた「1章 天皇制の削除を提案する」というものである。
 天皇制はマッカーサーの一存で温存された。マッカーサーは沖縄の全島要塞化を目論み、日本の戦争放棄・軍備不保持は沖縄の切捨てと犠牲のもとに成立している。
 日本の「護憲」「平和」運動が見過ごしてきたものがある。日本の護憲勢力が象徴天皇制を問わなかったことである。89年1月7日土井たか子の記帳はショックだった。
 憲法前文から続けて9条を読むとすっきりしている。1~8条は平和憲法を身中から食い荒らす寄生虫であり、憲法全体を丸ごと引っくり返そうとしている。
「9条を1条に」をスローガンとし、前文と直結させたい。

 次に千本秀樹さん(現代史研究)から
 戦争と昭和天皇――小倉侍従日記をめぐって


 小倉庫次は東京帝大法科卒、東京市勤務ののち平民出身で初の侍従となった人(戦後は東京都立大学法経学部長)。1939年5月から45年8月までの日記600枚分がみつかり、月刊「文藝春秋」2007年4月号に半藤一利氏の解説で一部が紹介された。
 千本さんは、先の山口さんの講演の最初に紹介されたお母さんのことば「天皇サンはなんも知らんかった=軍部にだまされた」「最後に戦争をやめる、て自分で決めはった=聖断論」が本当かどうかを「小倉日記」で検証する、と講演を始められた。
 (以下はわたくしの印象に残ったポイントのみの抜粋である)
 1941年12月24日(開戦直後)「平和克復後は南洋を見たし」
 南洋は赤道以南と解せられるが、この時点で大東亜共栄圏の範囲を超えインドネシアなどの領土化を望み、実際に1年半後の「大東亜戦略指導大綱」に「ジャワ、ボルネオ、セレベスの領土化」が記述された。
 42年1月12日「帝国海軍潜水艦は・・・米国航空母艦レキシントン型1隻撃沈せる由(総長奏上)」
 これは誤報だったが、細かいことでも勝報は天皇の耳に入れていた。
 42年6月9日(ミッドウェイ敗北の報に)「北方海戦に航母4隻撃破せられたる御趣旨の、有難き御製を遊ばされたる」
 天皇には軍令部から損害2隻と嘘の報告がされていた。「撃破せられたる」は日本軍の戦果と解することもできるが、受身(被害)と解釈すると、いったいだれが天皇に報告したのかという問題が生じる。
 44年5月3日(細川日記より 人心を失っている東条の件で)「今東条を替へることは対外的の影響がどうだらう、と仰せあり」
 45年6月15日と22日 聖断神話では3対3に意見が分れ、最後に天皇が聖断を下したことになっている。実際は天皇が主体的に戦争を始め、天皇が6月半ばに終戦を決意し22日の最高戦争指導会議で決定したと考えられる。
 また、半藤一利氏は10年前は「法的には天皇は責任がないが、道義的にはある」と言っていた。それが、この解説を読むと少し変わってきたように思われると指摘されました。

 その他、神奈川の会の京極さんから連続講座「戦争は教室から始まる」の案内、ピースサイクルの方から辺野古の事前調査開始への抗議行動について、高田健さんより「5.3憲法集会」の案内がありました。

☆政府(旧厚生省)の政教分離違反と安倍政権による隠蔽、政教分離原則破壊の改憲策動への抗議声明が会場で配布されました。
http://www.ten-no.net/20jo
から賛同署名ができます。
なおこの件についてはブログの記事の2の部分も参考にしてください。


『多面体F』
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/

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