
ノーベル平和賞受賞を喜ぶ広島県被団協の箕牧智之理事長と高校生平和大使(朝日新聞2024年10月12日)
《学び舎授業づくり通信 執筆者が語る授業づくりの視点》
★ 被爆者の心を世界に伝える高校生
活水中学校・高等学校 奥山 忍
1 被爆者の心を世界に伝えたい
2024年10月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞。記者会見の席に高校生平和大使も同席していた。(上写真)高校生平和大使の国連派遣は26年、高校生一万人署名活動は24年を越える市民と高校生が続けてきた平和活動だ。
2017年7月、核兵器禁止条約が国連加盟国193力国中122力国の賛成多数で採択。今のところ、核禁条約に不参加の日本だが、核兵器廃絶へ向け議論を進めてきたのは、広島・長崎の被爆者たちだ。
被爆者の平均年齢は85.58歳(2024年3月末)。被爆者なき時代が迫る。2017年のノーベル平和賞をICANが受賞したことは、被爆者や核廃絶運動に連なる人々を勇気づけた。
高校生平和大使の活動にも何度か「ノーベル平和賞」推薦の声が上がっていた。若い世代の平和活動として「高校生平和大使」がノーベル賞にノミネートされれば、知名度が低かったこの活動を知ってもらう機会になる、国内で停滞する核兵器廃絶運動や平和を進めることにつながる、そう考えた関係者が国会議員や有識者への働きかけを進め、2018年からノルウェーへ高校生を派遣し、ノーベル平和賞にノミネートされたのだった。
長崎で高校生一万人署名活動に参加し、その際に派遣された中村涼香さんは、大学進学後コロナ禍で「KNOW NUKES TOKYO」を立ち上げた。卒業後も同団体の代表として新しい形の平和活動に取り組む。2024年9月、フランス訪問の際、ノーベル平和賞関係者から現在の被爆者の状況を聞かれ、高齢化の状況を説明。
受賞に際し「中東情勢も緊迫し、核被害にあった人々の痛みや苦しみとも通じる。核兵器使用の脅威が高まっている今だからこそ、世界中の人が被爆者の声に耳を傾けないといけないと考えたのではないか」と語った。
長崎で高校生1万人署名活動に参加する島田朱莉さんは「ノーベル賞の受賞を通じて、世界の人々に、被爆者がいること、核兵器が使われる脅威があることに関心を持ってもらいたい。活動の継続が平和実現の第一歩だと思う」と述べた。
2 世界に広がる高校生1万人署名活動
私は、長崎生まれでも長崎育ちでもなく、長崎の平和教育を受けた人間ではない。そんな私が爆心地から500mにある学校に社会科教諭として採用され、偶然、1998年に第1回高校生平和大使となった石丸あゆみさんの担任となった。
彼女は被爆者だった祖母の話を世界の人に伝えたいと考え、英語のスピーチで発表。それがきっかけとなり、第1回高校生平和大使となった石丸さんは、NYの国連本部へ派遣され、国連国際学校の生徒たちに祖母の話を伝える機会を得た。その際、日本の戦争加害をどう思うかと問われ、日本の戦争加害について知らないことに彼女は気づかされた。
日本の戦争加害を教えていなかったのは、当時、歴史を担当した私でもあった。戦後50年の1995年、私はフィリピンでのスタディツアーに参加し、日本の戦争加害を学んでいた。高校の日本史最初の授業で、教科書問題として南京大虐殺を知り、社会科教師をめざし、念願の教師になっていたのに。
高校生平和大使の活動をはじめた長崎の市民団体は、派遣以前からアジアでの原爆展を試みていた。日本の戦争によって犠牲となったアジアの人々は、原爆で日本の支配から解放された、と考える人が多くいた。日本人は加害者であり、韓国での原爆展開催は、簡単には実現できなかった。在韓被爆者は日本人と同じ被爆者とは言えず、日本人被爆者よりも一層苦しい状況に置かれ続けていた。
それを知った長崎の被爆者や市民団体の人々は、韓国の被爆者たちとの信頼を一つずつ積み上げ、韓国での原爆展開催を実現した。その絆は、日韓両政府の関係悪化があっても途切れなかった。
高校生平和大使と1万人署名活動の中にも生かされ、2003年6月から日本の高校生が訪韓し交流活動を進めてきた。夏に韓国の高校生が広島と長崎を訪れ、共に原爆について学んだ。
また、アフガン戦争が契機となり、アフガンや学用品が不足していたフィリピンの子ども達に学用品を集めて送る「高校生1万本えんぴつ運動」が行われ、フィリピンの高校生を広島・長崎に招待する交流活動につながった。
「高校生平和大使」が訪問・交流したことがある地域・国は、欧州、アジア、アメリカ(南米含む)、オセアニアなど20を超え、国連や各国を訪問した高校生平和大使は約200人以上、活動に参加した若者は2000人を超えた。
広島・長崎以外にも活動が広がった。コロナ禍での困難も高校生たちは「デジタル署名」などで乗り越え、オンラインでの署名を現在も継続。HPからも参加できる。若者には若者のスタイルがあり、原水禁運動は、様々な新しい形で次世代へ「継承」されている。
3 微力だけど無力じゃない
「日本被団協」のノーベル平和賞受賞理由には「日本の新しい世代」の活動についても述べられている。
持続可能な未来へ向け、核兵器使用が人類の破滅をもたらすことを世界中の市民へ伝えることが「新しい世代」の使命だ、というようにも読め、受賞が新しい世代の活動を後押ししている。
ゴールは、ノーベル平和賞の受賞でなく、核兵器廃絶と平和な未来の構築だ。そのために、核兵器廃絶を求める世界中の市民の声が、国際社会にとって重要なことは言うまでもない。
世界を見れば、多くの若者たちが平和な未来と持続可能な世界のために行動を起こしている。世界には、多くの困難な問題があるが、若者が未来を切り拓いている。その姿を見て賛同者が増え、社会は徐々に動いている。
過去の歴史を学ぶことは遠回りに思えるかもしれないが、平和を創るために考え、知恵と勇気を得ることができる。中学生が近現代史で戦争について学ぶと、悲惨な事実に衝撃も受けるが、平和とは何か、他人事ではなく自分の問題として真摯に考える契機となる。
平和のためにできることはたくさんある。自分だからできることが必ずある。普通の高校生たちが、あきらめずに取り組んできた平和活動を中学生に教科書で知ってもらうことも平和な未来へ繋がる第一歩になると思う。
あなたの力は「微力だけど無力じゃない」と生徒に気づいてもらえれば幸いだ。
―微力だけど無力じゃない―被爆者の心を世界に伝える高校生―
1998年のインド・パキスタンの核実験がきっかけとなり、長崎では、高校生平和大使を国連へ派遣することにした。その後、高校生自らが、核兵器廃絶をめざす「高校生1万人署名活動」を始め、各地の若者へ広がった。韓国では、在韓被爆者や被爆2世・3世、現地の高校生たちとともに、原爆写真展を開催し署名を集めている。「ミサイルよりもえんぴつを!」を合言葉に、アジアの子どもたちへ鉛筆を贈り、フィリピンの高校生との平和交流も始まった。各地で集めた署名は、毎年、高校生平和大使が国際連合軍縮局に届けている。
これらの継続した活動が認められ、2018年ノーベル平和賞候補として推薦されることになった。新型コロナウイルス感染症が広がると、高校生たちは直接会うことができなくなったが、活動を途絶えさせてはならないという思いを共有し、オンラインで署名を集めた。ハワイで予定していた交流会議もオンラインで開催し、多くの若者たちが参加した。高校生たちは、「微力だけど無力じゃない」を胸に、核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指し、未来を拓く活動を続けている。(学び舎教科書p277)
【参考文献・資料】
※『高校生平和大使にノーベル賞を平和賞にノミネートされた理由』「高校生平和大使にノーベル賞を」刊行委員会編長崎新聞社2018年
※「高校生1万人署名活動・高校生平和大使」HP
『学び舎中学校教科書 授業づくり通信 第5号』(2025年1月)
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