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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

2・11反天連集会報告

2008年02月18日 | 平和憲法
 ▲ 許すな!戦争国家の「歴史偽装」

 2月11日建国記念の日に全水道会館で開催された許すな!戦争国家の「歴史偽装」の集会に参加した(主催 2・11反「紀元節」行動委員会 参加110人)。

 まず事務局より基調報告が発表された。
 「皇軍」兵士が引き起こした「軍隊慰安婦」問題も沖縄戦「集団自決」問題も、構造的には軍隊全体の問題であり、その最高責任者は天皇だった。しかし天皇の戦争責任は問われることなく半世紀が過ぎ、政府は戦争責任から逃れることだけを考え歴史の隠蔽と改ざんを図っている。
 ポスト安倍の福田首相は新テロ特措法を1月11日に成立させ、海外派兵恒久法の制定に意欲を示し、さらなる参戦国家化を図っている。
 また日本会議は、教育改革、新憲法制定、天皇陛下御即位20年奉祝の3つを重点に運動を展開している。99年の10周年のときは若者向けを意識した民間式典を行ったので今後注目する必要がある。
 政府は「自然環境問題に心を配る天皇」というイメージ作りを推進し、7月の洞爺湖サミットでは宮中晩餐会開催が予想される。しかし天皇制の「環境保護」パフォーマンスも「元首」としての儀礼も許すことはできない。「天皇制もサミットもいらない」と声を上げていきたい。
 このあと2人の方の講演があった。

1 再び「国定」化が進む教科書・副教材  北村小夜さん(元教員)

 わたしは1950年に教員になった。すでに48年に用紙事情から教科用図書検定制度が導入されていたが、その当時は教科書がたくさんあり、どれにするか採択に迷うくらいだった。
 しかし55年の「うれうべき教科書問題」から偏向教育攻撃が始まった。とくに影響が大きかったのは63年の教科書無償措置法公布に伴う検定強化と広域採択で、小規模の出版社は脱落していった。ただほど高いものはない。
 65年提訴の家永教科書裁判や82年の諸外国からの批判の影響で少し歯止めがかかり「戦争被害」から「戦争加害」の記述が始まった。しかし、とたんに逆風が吹き荒れ、南京大虐殺も従軍慰安婦問題も教科書から消え、どの教科書も「つくる会教科書」と同じレベルになってしまった。
 2002年文部科学省が全国の小中学校に配布した道徳の副教材「心のノート」が大きな問題になった。副教材は教科書ではないので、検定も採択も必要としない。「心のノート」以外にもじつは副教材は多く使用されている。
 たとえば品川区の公民科に似た「市民科」や世田谷区の「日本語」教育で使われているものだ。世田谷の「日本語」教育では小学校1年生が「子日く、学びて時にこれを習う」と論語を暗唱させられている。副教材では「先生がおっしゃいました」との訳している。きっと子どもにそう呼ばせたいのだろう。
 呉市では大和ミュージアムの開館とほぼ時期を同じくして2005年から「呉の歴史絵本」を配布しているが、戦艦大和の図解も大きく取り扱われている。
 2年後、小学校に「英語活動」が導入され、来年教科書も編纂される予定だ。検定不要でどんどん「国定」教科書が配布される。 こうした動きを止めるには、それぞれの地域における運動が必要だろう。また任命制の教育委員制度も見直す必要がある。
 わたしは国定教科書三期の最後の世代だ。当時は修身と国語と唱歌が一体化していた。唱歌は、文字通り唱える歌で、歌詞を「唱える」ことに意味があった。わたしはいまでも「雲にそびゆる高千穂の高根おろしに草も木も」の紀元節の歌や「教育勅語」「青少年学徒に賜はりたる勅語」がすらすらと口をついて出る。もしかすると死の間際に「天皇陛下万歳」と叫んでしまうかもしれない。それが本当のわたしなのか時々わからなくなることがある。

2 日本軍性奴隷制問題は世界へ 中原道子さん(「女性・戦争・人権」学会代表)
 年が明けグァム島に行った。グアムは年間100万人の日本人観光客が訪れるが、観光客の行き先は一つの浜辺、周辺にある日本人向け免税品ショップ、結婚ビジネス用のチャペル、実弾射撃場、ラーメン屋だけだ。
 グァムの1/3は米軍基地で、在日米軍再編により2014年までに沖縄から7000人の米軍が移動することになっており、建設ブームに湧いている。
 このグァムに日本軍は1941年12月10日上陸し、大宮島と名づけ、44年8月11日まで3年近く占領を続けた。チャモロ人は、強制労働、「慰安所」開設に伴う強制連行と売春の強要、公開拷問、公開処刑、虐殺を記憶している。
 1982年Mariquita:A Tragedy of Guamという本が出版された。21歳の女性の物語である。
 彼女の夫は強制的に日本に送られた。彼女は日本人将校のハウスメイドとして徴用され、食事、洗濯、風呂上がりのマッサージ、そして性的サービスを強要された。
 結婚していたので抵抗すると、平手打ちされ竹の棒で殴られ、木にしばりつけ食事を与えられなかった。そのあげく宿舎に引きずり込まれ強姦された。終わったあとよろよろとジャングルに入っていき、その後彼女の姿をみた人はいない。
 この本はグアムの大学の教科書にもなっている。そして「記憶」として残っている。
 チャモロ人の被害はアメリカの戦時補償の対象にはならなかった。
 これは民族差別だとして立法運動が起こった。そのために「記憶」の収集がなされたのだ。また「性奴隷」になった人は戦後も、薬を売ってもらえないなど、回りの人から迫害を受けた。慰安婦問題は戦後も、今も続いている。
 2007年10月はじめアメリカのUCLAで日本軍「慰安婦」問題世界大会が開催され、国際犯罪としての日本軍性奴隷制度が認識された。
 それまで東アジア中心だったのが一気に世界の問題になった。
 昨年7月マイク・ホンダらが中心になり米下院で決議されたことはよく知られているが、11月20日オランダ下院、11月28日カナダ下院、12月13日欧州議会でも慰安婦への謝罪が決議された。
 とくに欧州議会決議で「『慰安婦』システムの被害者女性たちと連帯することを表明し」という文言があるのは意義深い。

☆グァムの21歳の女性の話は台湾女性の話と酷似していた。日本軍が占領していた場所ではどこも共通に起こった悲劇なのかもしれない。
☆この日の午後、会場となった全水道会館周辺は異様な雰囲気に包まれた。ビル入口付近には参加者を上回るような公安が張り付き、何台もの車が白山通りを警備し、遠巻きに右翼の宣伝カーが並んでいた。

 もっと的確な写真がレイバーネットに掲載されています
http://www.labornetjp.org/news/2008/0211/

★ 『多面体F』
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/

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