★ 「善良な市民」の反対語は・・・?
T.T.0618(ひょうたん島研究会)
10月27日(金)、朝日に、「フリースクール/多様な学び 当たり前に」という見出しの社説が載っていた。滋賀県東近江市長の「フリースクール」等に関する発言について、コメントが書かれている。
以下、この市長の発言について雑感を書くが、この市長がどんな政治家なのか、当然、ぼくは知らない。あくまでも紹介された発言についてだけの雑感であることを、最初にお断りしておく。
この社説で紹介されている市長の言葉に、
「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」
「善良な市民は、嫌がる子どもを学校に押し込んででも義務教育を受けさせようとしている」
というものがある。
前者についていえば、彼は「フリースクールに限らず学校は国家のためにある」と思っているらしい。
後者についていえば、大日本帝国憲法下ならまだしも、日本国憲法下で(ぼく、改憲派ですけど)、「善良な市民」などという発想が出てくること自体が、ぼくには信じら~んない!
「善良な市民」という言葉を読んだ時、思わず、その「反対語は?」と考えてしまった。そして、10秒くらい考えて、次の言葉を思いついた。それは--。
今年が2023年で「関東大震災虐殺100年」であることが影響したかもしれない。
「不逞市民」。差別と排外主義を繰り返してはならない。
*
「善良な市民」については、もう一つ書きたいことがある。
実はこの雑文、書いているのは11月11日(土)の夜10時。今日からおよそ1週間後の19日(日)の午後、国会議員会館前で「総がかり行動」が行われる。2015年9月19日に「戦争法」が強行可決されて以来、毎月行われてきたものである。ぼくも、端っこの方でだが、たぶん90%以上参加してきたと思う。
その行動の中で、ぼくの高校の先輩である忌野清志郎の歌が、よく流されていた。その歌の冒頭が、「善良な市民は」である。
実はぼく、この歌のタイトルを知らなかったのだが、今回ネットで調べて、『善良な市民』がそのタイトルであると知った。この歌の中に、次の一節がある。
泥棒が 国際貢献をしたがっている
大義名分を掲げ 又 二枚舌を使う
でも 善良な市民は 見知らぬ土地で
弾に当たって 死んじまうだけさ
「泥棒が 国際貢献をしたがっている」を「岸田政権が戦争をしたがっている」に変えれば、そのまま2023年末の日本に重なると思う。
ぼくたちは「善良な市民」として死んじまうのか、
「不逞市民」として生き延びるのか?(23/11/11夜)
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