【wedge 特集】日本の教育が危ない 子どもたちに「問い」を立てる力を③
★ 前例なき時代に〝正解主義〟が蔓延する日本
早く効率的に「答え」にたどり着くことが「是」とされ、“正解主義、が蔓延する日本社会。社会が複雑化する中、日本の教育は本当にこのままでいいのだろうか。
文・編集部(鈴木賢太郎)
「答えは何ですか?」
「一体、何を教えたいんですか?」
東京大学先端科学技術研究センターの中邑賢龍シニアリサーチフェローらが中心となって進める新しい教育プログラム「LEARN」には、参加する中高生からこのような声が寄せられることがある。
「子どもたちは、安易に『答え』を求めようとする傾向が強まっている。自分が何を考えて、どのように感じるのかは人それをれのはずなのだが……」(中邑氏)
「答え」を求める姿勢は子どもたちに限ったことではない。民間企業向けのリーダーシップ研修を企画・運営するキャンドゥー(東京都葛飾区)の酒井正剛社長は
「研修中に解決策が複数ある課題を提示した際に、研修生から『正解は何ですか?』『他の会社はどうやったのですか?』と『答え』の出し方を求められることが少なくない。自分の頭で考えて道を切り開いてほしいのに、大手企業の幹部候補生においても『答え』を求める人がいる」
と話す。
日本では明治国家の誕生以来、子どもたちに多くの知識を覚えさせる「詰め込み型暗記教育」が続けられてきた。
早く効率的に「答え」にたどり着くことが「是」とされ、知識を競う受験体制が確立し、いつしか日本社会には”正解主義”が蔓延するようになった。
教育問題に詳しい東京財団政策研究所の松本美奈研究主幹は「まじめに勉強をしてきた難関大学の学生ほど、物事には正解があるものだと考え、早く答えを知りたがる傾向にある」と指摘する。
★ 「答え」とみるか 「プロセス」とみるか
昨年11月に、Open AIが、ChatGPTを公開して以来、生成AIが全盛の時代を迎えている。膨大な知識量を有し、答えを瞬時に提示することを得意とする生成AIの能力は人間を凌駕しており、”正解主義”では到底太刀打ちできるようなレベルではない。
人工知能学会の理事も務めた慶慮義塾大学理工学部の栗原聡教授は「生成AIは、使い方次第で人間の創造的な作業をサポートしてくれる。出力結果を『答え』とみるか、『問い』を深めて前進さぜるための『プロセス』とみるかが大きな分かれ道となる」と話す。
そもそも生成AIは誰が使っても同じプロンプト(指示)を構成すれば共通の答えが出力される設計になっている。
栗原氏は「楽をして『答え』を享受するための道具として使用すると、画一的なアウトプットしか出てこず、それを全て鵜呑みにすると〝金太郎飴〟のように同質な人間が量産されることになる。使用する人間の豊かな個性や好奇心を育めるかが課題だ」と指摘する。
また、前出の松本氏は「生成AIの創造力を生かすも殺すも使い手の質問力、すなわち、『問い』を立てる力次第である。AI時代を生き抜くうえでは、この力を磨いていくことが重要だ」と話す。
生成AIはあくまでも、ツールに過ぎない。
複雑化する世界の中で、(ChatGPTが得意とするような)「正解(アンサー)」ではなく、「自らが『問い』を立て、解決する力(ソリューション)」が求められる時代になっているといえる。
これからの激動の時代を生きていく子どもたちにはこうした力が欠かせない。
では、学校現場では、そのような能力を育む素地があるのか。
教師の指導技術を高め共有し合うことを目的とする日本最大の教育研究団体TOSS(東京都品川区)の代表で、玉川大学教職大学院の谷和樹教授は次のように指摘する。
「学校現場には文部科学省や教育委員会、地域社会から次々と課題がふってきて、中には教員が担うべきではない仕事も多々ある。それらを取捨選択しないままビルド・アンド・ビルドで業務量が膨れ上がっているのが現状だ。多くの教員は探究的な授業を実践するための準備時間を確保できず、『問い』を立てる力を育むような授業をする余裕がない」
昨今、教員の長時間労働、ブラック部活動など、学校に関するネガティブな報道を目にする機会も多い。
ある中学校教諭は「人を教え、人を育てる仕事は本来楽しいはずだ。報道の影響もあり、負の側面ばかりに光が当たっているのはもどかしい」と吐露する。
学校教育への信頼も揺らぐ中、子どもにより質の高い教育を受けさせたいという親の思いから、首都圏を中心に中学受験を志す小学生も増加傾向にある。
そのような子どもたちは、平日は学校が終わってから学習塾に通い、帰宅後は学校と塾の宿題に追われ、休日も長時間勉強に励んでいる。日々のスケジュールは、塾や習い事で埋め尽くされ、生活にゆとりや「すき間」がない子どもたちも少なくない。
もちろん、中学受験を全て否定するつもりはないが、徹頭徹尾それだけでは、人間として大切なものを欠くことになるかもしれないということを認識しておく必要がある。
★ 知識の詰め込みだけではなく、「実体験」が重要だ
現代の子どもたちを取り巻く状況について、戦前より、親子三代で80年以上続く寄宿生活塾「はじめ塾」(神奈川県小田原市)の二代目塾長・和田重宏氏はこう指摘する。
「多くの子どもたちは大人に管理されすぎた生活を過ごしている。『自由に空想する時間』や『すき間時間』が失われている。子どもたちが将来行き詰まらないためには『生きる力』を身につけさせることが重要だ。日本の多くの学校教育は、同じ年に生まれた子どもたちだけを集めて、教室の中に押し込めて、一律の指導をしている。これでは学べる要素は限られ、子どもたちは画一化してしまう。一人ひとりが本来持つ多様な個性を開花させ、『生きる力』を養うためには、知識の詰め込みだけではなく、『実体験』をさせてあげることが必要だ」
また、実体験の重要性について、「脳科学と教育」という概念を提唱した東京大学先端科学技術研究センターの小泉英明フェローは
「現代人は実体験の大切さに対する認識が希薄になっている。だが、そもそも認知の世界とは実体験から生まれ、それが多ければ多いほどその世界も広がっていく。バーチャルの世界で得られる情報は、人間の脳を一度通して抽象化されたものであり、情報がそぎ落とされている。メタバースや生成AIなど、情報装置がさらに発展していく中で、実体験の意義を再評価していくべきだ」
と指摘する。
★ 答えのない問いに立ち向かいその複雑さに耐える力を
失われた30年、これから始まる急激な少子高齢化、ポピュリズムと政治の劣化、きな臭さを増す国際情勢--。
日本社会は数々の「前例のない」課題に直面しており、従来の延長線上の考えに「正解」が見出しにくい時代に入った。
こうした時代背景について、日本思想史が専門の日本大学危機管理学部の先崎彰容教授は「世の中には解決策が簡単に見つからない問題がたくさんある。現代に生きる私たちは答えのない『問い』に立ち向かい、その複雑さに耐える力が求められている」と話し、こう続ける。
「日本社会はマイナスの言葉で覆われる風潮にあるが、『問い』を立てるということはこの社会を具体的に変えるためにポジティブなアクションを考えることだ。政界であれば大きな物語を描き国民の期待感を高め、ビジネス界では経営者が従来のやり方を踏襲せずに新しい物語を紡いでいくことだが、今の日本社会にはこのポジティブな『問い』が不足している」
自分の頭で「問い」を立て、解決策を導くような力が求められる今、知識の習得一辺倒にはならず、子どもたちに多様な実体験を積ませ「生きる力」を身につけさせなければならない。
日本の教育は転換期にある。本特集では子どもたちが置かれている現状を見つめ直し、日本の教育システムのあり方、日本の教育が向かうべき方向を読者の皆さんと考えていきたい。
『Wedge』(2023年11月号)
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