《沈思実行(162)『週刊新社会』》
☆ 関東大震災と甘粕正彦
鎌田 慧
100年前の9月1日。関東大震災が引き起こした惨劇は、自然災害による大混乱のなか、さまざまな場所で殺人事件を発生させた。
植戻地にされた朝鮮から強制連行や出稼ぎなどで来日していた数千人の朝鮮人、さらには中国人が警察や軍隊、自警団に煽られた民衆によって殺害された。
福田村事件のように、朝鮮人とまちがえて殺された日本人も多かった。
市井の人間が集団になった時の恐怖の暴発とテロルの歴史を、わたしたちは抱えている。
このなかで、社会主義者10人が留置場から軍隊(騎兵隊)に引き渡され、刺殺された亀戸事件。
大杉栄と伊藤野枝、甥の橘宗一(6歳)が、皇居前の憲兵隊本部に拉致され、集団で嬲(なぶ)り甥り殺されて、井戸に捨てられた残虐な事件を忘れることはできない。
軍隊は他国の民衆を大量殺人するための集団である。それが自国民にもむかうのは、沖縄戦のはるか以前、大正時代の関東大震災でもあきらかだった。
関東大震災下での朝鮮人大虐殺について、日本政府は韓国政府にたいして一度も謝っていない。松野博一官房長官は、いまだに「政府に記録はない」と突っぱねている。小池百合子東京都知事もきわめて冷淡だ。否定は容認に繋がる。
大杉事件は、権力犯罪としての大逆事件から、たかだか12年しか経っていないのちの権力犯罪だ。が、いまだに甘粕正彦憲兵隊大尉の犯罪、とされている。が、甘粕個人の犯罪ではない。
路上を歩いていた親子連れ(甘粕は親子と思った)を、憲兵隊本部まで拉致した(それだけでも権力犯罪)のは、たしかに甘粕だ。
しかし、憲兵隊幹部(大杉とおなじ陸軍幼年学校出身者)たちが、大杉を取り巻いて殴り殺した。その中に甘粕がいたかどうか判らない。甘粕の供述はしどろもどろで、リアリティがない。
甘粕は因果を含められて罪を被った。
3人殺して「懲役十年」。それも3年目にフランスへ出国させられた。軍法会議のデタラメだ。
9月16日午後1時。地下鉄名城線自由ヶ丘駅下車。西へ300メートル。日泰寺で宗一少年の墓前祭。
『週刊新社会』(2023年9月13日)
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