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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

★ 日本の教育政策の貧困が生んだ、教員の多忙化・教員不足

2023年09月26日 | 暴走する都教委と闘う仲間たち

  =予防訴訟をひきつぐ会第16回学習討論集会に参加して(『いまこそ』から)=
 ★ “多忙化”と“教員不足”の根底にあるもの

青木茂雄

 6月17日、予防訴訟をひきつぐ会総会後に、第16回学習討論集会が「教員の多忙化と教員不足の問題-給特法もからめて」をテーマに開催され、29名が参加して2時間にわたる熱心な討論が行われた。

 最初に、ひきつぐ会の永井栄俊さんから全体状況の簡単な報告があった。
 政府文科省の「教員の勤務状況の改善」の掛け声にもかかわらず、その実態はほとんど改善されていない。統計表は単なる数字合わせである。そういう中で、給特法の見直し・廃止の議論が起こっているが、文科省は教職調整額を4%から10%以上への増額で対処しようとしている。
 一方、教員不足は全国的に深刻である。教員不足により十分な教育ができないとするなら、それは憲法26条に規定した「教育を受ける権利」が侵害されたことになる憲法違反の常態化である。
 永井報告は最後に、教員の多忙化と教員不足の根本原因は、文科省や都教委が進めてきた教育への管理強化である、と強調した。そして「教育への理想」が語れない状態になっていることこそが、教員のなり手不足の根本原因である、と付け加えた。

 続いて、埼玉超勤裁判の支援活動を行っている石原悠太さんの報告である。
 石原さんの活動は大変にユニークである。裁判支援や教員支援を、自身が設立した株式会社(EduCrew)の活動として行っている。我々老人世代には考えすら及ばなかったことである。
 EduCrewの代表としての石原さんの活動は、1つには現場の教員の活動の支援である。電話相談やIT技術を活用した調査等を行っている。
 そういう中で、現在の教員たちが置かれている深刻な状況、「子どものため」と言いながら心身を擦り減らしているという状況を深刻に受け止めている。教員としての仕事にはもう魅力がないのだろうか。
 しかし、独自にアンケートをとってみると、あるべき教育像に対しては、8割以上の学生が魅力を感じているという結果が出ている。現実の教育との間に明らかに大きなギャップが存在していることの証拠でもある。
 2つは超勤裁判の支援活動である。そのためにウェブプラットフォームCALL4「社会課題の解決を目指す訴訟(公共訴訟)」の支援のために開設した。
 活動内容は、資金集めとしてのクラウドファンディングや宣伝啓発のためのパンフレットの発行、イベントの企画、そしてSNSを駆使しての呼びかけ、今後も裁判支援にはSNSの活用は必須である。拡散の速度が段違いである。
 以上が石原さんの報告の概略である。老人世代にとっては、すべてが斬新で興味津々であった。このようなニュータイプの活動に対しては、危惧するところもないわけではないが、時代の変化に対応した活動形態として注目したい。既存の労働組合が機能せず、市民団体もおしなべて高齢化している。“新しいブドウ酒には新しい革袋を”などという古い言葉もあるし。

 続いては、大阪大学准教授の高橋哲さんの少し早めの「講評」である。
 何しろ直前に勤務地が大阪へと変わり、難しかったが、ぜひにとの主催者側の要望を受けて実現した。高橋さんには近著『聖職と労働の間』があり、また雑誌「世界」9月号には「日本型『ブラック教育政策』序論」が掲載されている。ぜひご一読を願う。
 高橋さんの話は密度が濃くて、一聞ではなかなか理解できなかったが、概略、次の通りである。
 第1に、文科省を中心に行われている日本の教育政策の貧困である。それは金額の絶対的な少なさだけでなく、教育というものの本質を理解せず、財政支出を支配の道具としていることに最も特徴的に現れている。教員の働き方改革に関しても、教職調整額4%を10%にとか、新しい手当、ICT担当、道徳担当とか、「メリハリのある」という言葉で、実は教育に対する支配の道具を追加しようとしている。「働き方改革」と称しながら、実は教員支配の強化になっている。文科省の“焼け太り”である。
 第2に、給特法による教職調整額について“定額働かせ放題”という批判がなされているのはその通りであるが、そもそも4%の額は、実態としての時間外勤務に対応するものではない。
 給特法制定当時は、教員の超勤は極力「4項目」に限定すべきものと考えられていた。その理由とされたのが、教員の勤務の特殊性であり、それは教員の自主的に研修する権利を根拠とする、つまり教育公務員特例法の20条2項に基づくもの(でなければならない)と当初は考えられていたのである。
 ところがその後の文部行政の推移の中で、自主的な研修権を認めないという解釈と施策が公然と行われるようになっていった。最大のものが2002年の長期休業中の研修権の剥奪・停止である。教員の自主研修の最後の砦が奪われたのである。教員の「働き過ぎ」「多忙化」が大きな社会問題となったのはその後である。
 問題は、単に教員の労働時間が長くなったことだけなのではない。教員の労働の質が変わったのである。教育行政の全面的な管理下に置かれるようになって、教員の長時間労働の問題が生じるようになったのである。
 現在、教育関係者から給特法の廃止の動きがおこっているが、これは問題の半面しか見ていない。問題は、教育労働の質が変わって、管理された「上意下達」のシステムの中で行われている労働に変貌しつつあることにあるのである。このことをまずもって問わなければならない。
 以上の「まとめ」は、高橋さんの話の内容を上記の「世界」掲載論文で補って作成したものである。私も全面的に賛成である。

 次に現場報告である。まず中学校の現場からの報告
 世田谷区のある中学校では、4月の時点で3人の欠員が出ている。期限付きの教員が3人配置されても、なかなか対応できない。
 またある学級では、1年間に3人も担当が変わるという例があり、授業に対応できているのか疑問である。
 教員の勤務は、7時30分から20時30分くらいまでが常態である。
 また生徒一人につき1台のiPadが配布されて、教員に対して使え使えと校長が催促している。
 それに年々出張が増えている。問題が大ありの現場だが、組合員が自分以外にいないので、問題にすらならない、という現状である。

 特別支援校から
 とにかく忙しい。分刻みで働く職場での実態で、児童の在校中はトイレに行くこともできない。片道1時間かかるので、朝5時に起床し、7時30分に出勤している。産休代替の教員が見つからず、現在欠員状態。体調が悪くても仕事を休むことができない。

 高校の現場からは、とくに新学習指導要領の実施にともなう観点別評価が大きな問題になっているという指摘があった。

 会場からは、給特法の問題について、廃止をして教員にも時間外労働の手当を支払うべきだとの意見が強くだされる一方、廃止をしても結果は変わらないのではないのかという慎重論も出され議論となった。

 また、教育のデジタル化について、それによって教育の自主性が失われるのではないのかという懸念も指摘された。また、問題点を出し合うにも、組合組織率の低下からその場が失われているという状況。絶望的な状況かもしれないが、希望はまだある。この学習討論集会の持つ意義と役割がますます大きくなった。

「予防訴訟をひきつぐ会」通信『いまこそ 29号』(2023年9月20日)

 


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