◆ 天皇代替わり「祝意奉表」の文科省
通知はまるで教育勅語の現代版 (週刊新社会)
◆ 誰もいない学校に「日の丸」掲揚
天皇代替わりの「祝賀」は異常である。饅頭にまで「令和」と書かれたり、あちこちで便乗商法が始まっている。アベノミクスに代わる祝賀資本主義であると同時に、悪乗り資本主義でもある。
その悪乗りで、教育現場では教育勅語の現代版とも言えそうな文科省「通知」が出され、混乱させられている。
この4月に文科省から出された「通知」文書は2種。最初の文書は4月2日付の『御即位当日における祝意奉表について(通知)』で、祝意を表すために即位の日に「日の丸」を掲揚せよというものだ。
「即位」の5月1日は休日となり児童生徒は登校しない。その誰もいない学校に「日の丸」を掲揚した学校が多くあった。
そして、4月3日に「天皇陛下の御退位」に関する閣議決定(注1)がなされ、「通知」に参考として添付された。
これらの文書で注視すべきは、御即位で「御」の語が使用され、「陛下」や「奉表」などの語が使われていることだ。
「陛下」は天皇・皇后等の尊称で、「奉表」は広辞苑にも出ていない造語である。
「奉」は漢語辞典によれば「うやうやしく献上する」の意であるという。
つまり、天皇が「高貴」な身分であることを表した語であり、この「通知」はこれを児童生徒に理解させること現場に指示したものなのである。
憲法では単に「天皇」と表示されており、「陛下」などの語はない。これをみても、象徴天皇が「高貴」な身分を示すものでないことは明らかであり、憲法を逸脱濫用しているといえる。
◆ 「天皇を敬愛」を児童生徒に理解させる
次に文科省から出された4月22日付の「指導について」(注2)の「通知」は、『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』(以下『特例法』)第1条を転記し、これを根拠とした公文書だ。
そして、その「趣旨を踏まえ、国民にこぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにする」と指示している。
『特例法』では、前天皇が国事行為や全国各地を訪問した活動を賛美すると共に、「天皇陛下を深く敬愛し」の文面が示され、その趣旨を児童生徒に理解させることを「通知」したものだ。
この「通知」には多くの問題点がある。
何よりも「天皇陛下を深く敬愛し」という内心を教えることになり、憲法19条に反することは明確だ。
「日の丸・君が代」訴訟では、強制は外面的行為であり間接的制約であるから憲法19条を侵害しないとの最高裁判決であった。
しかしこの「通知」は内心そのものに介入する内容なのだ。
憲法違反であると同時に、まるで教育勅語の現代版のようだ。
また、前天皇の国事等の行為が「賛美」に値するか否かの客観的な検証のされないままに教えることを指示していることも問題だ。
教育は真理・真実を原理としており、政治の意思から中立であることが原則だ。『特例法』がその根拠であったとしても、客観的な検証のないままに天皇の行為を「賛美」として教えられるべきではない。
これを教えることは、「神武」や「天照」の存在を事実として教えてきた戦前教育に通底することになる。
教育現場への攻撃は、最初は制度や趣旨のみが導入され、3~4年後に実体化させるのがこれまでの手法だ。この「通知」の実体化は、教育勅語や修身に近似したものとなり、治安維持法の現代版にもなりかねない危険な色彩を帯びている。許されるべきではない。
(注1)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位が、国民の祝福の中でつついがなく行われるよう、関連する国の儀式等の準備を総合的かつ計画的に進めるにための基本方針」
(注2)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御測位に際しての学校における児童生徒への指導について(通知)」
『週刊新社会』(2019年6月25日)
通知はまるで教育勅語の現代版 (週刊新社会)
永井栄俊(立正大学講師)
◆ 誰もいない学校に「日の丸」掲揚
天皇代替わりの「祝賀」は異常である。饅頭にまで「令和」と書かれたり、あちこちで便乗商法が始まっている。アベノミクスに代わる祝賀資本主義であると同時に、悪乗り資本主義でもある。
その悪乗りで、教育現場では教育勅語の現代版とも言えそうな文科省「通知」が出され、混乱させられている。
この4月に文科省から出された「通知」文書は2種。最初の文書は4月2日付の『御即位当日における祝意奉表について(通知)』で、祝意を表すために即位の日に「日の丸」を掲揚せよというものだ。
「即位」の5月1日は休日となり児童生徒は登校しない。その誰もいない学校に「日の丸」を掲揚した学校が多くあった。
そして、4月3日に「天皇陛下の御退位」に関する閣議決定(注1)がなされ、「通知」に参考として添付された。
これらの文書で注視すべきは、御即位で「御」の語が使用され、「陛下」や「奉表」などの語が使われていることだ。
「陛下」は天皇・皇后等の尊称で、「奉表」は広辞苑にも出ていない造語である。
「奉」は漢語辞典によれば「うやうやしく献上する」の意であるという。
つまり、天皇が「高貴」な身分であることを表した語であり、この「通知」はこれを児童生徒に理解させること現場に指示したものなのである。
憲法では単に「天皇」と表示されており、「陛下」などの語はない。これをみても、象徴天皇が「高貴」な身分を示すものでないことは明らかであり、憲法を逸脱濫用しているといえる。
◆ 「天皇を敬愛」を児童生徒に理解させる
次に文科省から出された4月22日付の「指導について」(注2)の「通知」は、『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』(以下『特例法』)第1条を転記し、これを根拠とした公文書だ。
そして、その「趣旨を踏まえ、国民にこぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにする」と指示している。
『特例法』では、前天皇が国事行為や全国各地を訪問した活動を賛美すると共に、「天皇陛下を深く敬愛し」の文面が示され、その趣旨を児童生徒に理解させることを「通知」したものだ。
この「通知」には多くの問題点がある。
何よりも「天皇陛下を深く敬愛し」という内心を教えることになり、憲法19条に反することは明確だ。
「日の丸・君が代」訴訟では、強制は外面的行為であり間接的制約であるから憲法19条を侵害しないとの最高裁判決であった。
しかしこの「通知」は内心そのものに介入する内容なのだ。
憲法違反であると同時に、まるで教育勅語の現代版のようだ。
また、前天皇の国事等の行為が「賛美」に値するか否かの客観的な検証のされないままに教えることを指示していることも問題だ。
教育は真理・真実を原理としており、政治の意思から中立であることが原則だ。『特例法』がその根拠であったとしても、客観的な検証のないままに天皇の行為を「賛美」として教えられるべきではない。
これを教えることは、「神武」や「天照」の存在を事実として教えてきた戦前教育に通底することになる。
教育現場への攻撃は、最初は制度や趣旨のみが導入され、3~4年後に実体化させるのがこれまでの手法だ。この「通知」の実体化は、教育勅語や修身に近似したものとなり、治安維持法の現代版にもなりかねない危険な色彩を帯びている。許されるべきではない。
(注1)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位が、国民の祝福の中でつついがなく行われるよう、関連する国の儀式等の準備を総合的かつ計画的に進めるにための基本方針」
(注2)「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御測位に際しての学校における児童生徒への指導について(通知)」
『週刊新社会』(2019年6月25日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます