わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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愚にもつかないことの続き

2022-09-05 17:22:00 | 仏さまのこと
一応、「また愚にもつかないことを」の続き。
これから書こうと思ってるのは、この前よりももっと「愚にもつかない」ことで、ある意味重箱の隅をつつくようなことかもw。

 儂、仏さまの勉強をしていて、人間以外の生き物について仏教で言われてることには「うーん?」と思うことがなくもない。もちろん、仏さまにたてつくなんて、そんな恐れ多いことをするつもりは毛頭ないんだけどw、この際なのでちょっと書いてみる。(スミマセンスミマセンスミマセン💦

儂が一番ひっかかっているのは、人間以外の動物が人間よりも下だと思えるようなことが言われていること。
儂、これ、少し、いや、かなり違うんじゃないかと思ってるんだよね。(スミマセンスミマセンスミマセン💦

まず六道の一つである「畜生道」。「畜生道」は「餓鬼道」と「地獄道」を合わせ三悪道とも言われていて、生きてる間に不道徳なことなんかをすると、次は畜生=人間以外の動物に生まれ変わると言われてる。
そこで、六道と言えば「往生要集」らしいので、それにある「畜生道」の記述の一部を見てみる(川崎庸之・秋山虔・土田直鎮約、講談社学術文庫)。
この本によれば、畜生道は人道と同じ世界にあり(つまり今の人間の世界ね)、畜生は34億種類いて(ホント?)、鳥禽類、獣類、虫類の3つに分かれると書いてある。そしてこれらは、強弱あい食んで危害を加え合っていて、しばしの間も安穏無事じゃなくて昼も夜も恐怖におののいていて爪を磨かざるを得ないんだと。
うーん、これって、生き物にとってはまあまあ普通のことじゃね? でも大げさに書きすぎで、多分、「昼も夜も恐怖におののいて」る動物なんていないと思うわw。
さらに、馬、牛、ロバ、ラクダ、ラバなんかは背中に重い物を背負わされて鞭で打たれてただただ水を飲み草を食むことだけを思いとか、ゲジゲジとかイタチとか(なんでゲジゲジとイタチが同列で語られてるのかわからんけどw)は生涯を闇の中で送り死んでいくとか、シラミやノミなんかは人に寄生してはかなく命を閉じるとかとかとか、書いてある。
確かに人間から考えたら、水を飲んで草を食べるだけじゃつまらないと思うし、生涯を闇の中で送るのも辛いし、そりゃあ「はかない」って思うよね。
でも、この動物達からしたら、端からそういう仕様で生まれてその通りに死んでいくわけだから、別に辛いなんて感じてないんじゃないのかな。
要するにこれらって、あくまでも人間を基準に考えた場合の話でしょ。それも、人から動物に生まれ変わった時に、人間の時の記憶が残っているんだったらそう感じるかもしれないけど、いろいろ学んでると、ちょっとそうは思えないんだよね。

また、例えば「法華経」の「譬喩品第三」の有名な「三車火宅の譬え」の偈文の部分にも、狼だのジャッカルだの犬だのハゲワシだのが、ヤクシャやいろんな鬼の類と一緒になって出て来る(鬼と一緒にしないで~w)。
そして、人間の死体を喰ってるとか、犬やジャッカルになって地獄から畜生界に抜け出すと他の畜生の遊び道具になるとか、それらの犬やジャッカル達は色黒・斑点・腫物・掻痒・脱毛・虚弱云々だとか、もう散々な書かれ様(法華経上巻、植木雅俊訳、岩波書店)w。
(あ、この記載がこの譬えの目的じゃないことは十分理解してます。スミマセンスミマセンスミマセン💦 )

このように、「往生要集」にしても「法華経」にしても、人間以外の動物はみんな生きるだけで大変で酷い目にあって不幸な一生を送る、みたいな感じで書かれてる。
でも、実際の動物って、そんなに悲惨なもんじゃないし、これらはあくまでも人間を基準にすればそう思えるっていうだけのこと。当の動物達は、そんなことまったく思っても感じてもいないでしょw。
それを、「悪いことしたら人間以外の動物になっちゃうぞ」というのは、あまりにも理不尽な申しよう、と、儂は思うわけ。(ヤメテー

それから、前の記事でもちょっと触れたように、問題なのは人間の知能ではなく、知能から生まれた欲なんじゃないかと思うんだけど、その欲についても、人間以外の動物の欲は際限がないように言われてるように思うんだよね。
でも、実際にはそんなことないんじゃないかなあ。
儂は、あらゆる生き物の中で、人間の欲が一番深くて醜いと思う。人間の欲は、深いどころか、それこそ際限がないでしょ。
よく「三大欲求」と言うけど、これはだいたいどの動物でも同じようにあるんだろう。生きるための最低限必要の欲求だからあって当然。
ただ、やっぱりその程度が問題なんだろうけど、人間以外の動物は、多分、必要な分だけ得られればそれ以上求めることはしない。ケージの中でトカゲの前をコオロギが歩いていても、その時食べる必要がなければ、まったく無視するのを何度も見た。でもこの三大欲でさえ、人間は際限がないんじゃない?
さらに、それ以外の欲、例えば富とか名声とか権力とか、そういうものへの欲っていうのは多分人間にしかない。そしてこれが一番悪さをするように思う。それもどうしようもない悪さをね。

ちょうどこれを書いていたら、こんなニュースが流れた。この事件の真相はまだハッキリしてないし、欲とはまた違うかもしれない。
でも、この類の事件は世界中でそれほど珍しくないし、理由もなく and/or 極めて不条理な理由で無差別に人を殺すなんていうことは、人間以外の動物ではあり得ないんじゃないかなあ。

仏教には、いろんな教え、いろんな戒が山のようにある。でも、それが必要なのは実は人間だけ。動物は念仏を唱えられないとかお経を読めないとか修行ができないとか言うけど、そうじゃなくて、そんなもの端から必要ないんじゃない?
そもそも、人間以外の動物は生死のことなんか意識してないし、まさにその刹那その刹那を、ただ一生懸命に生きてるだけなんだと思う。
やっぱり仏さまの教えを一番実践できてるのは、実は人間以外の動物なんじゃないかと、強く思う。
儂、3年間あの子と暮らしてみて、本当にそれを感じたんだけど、多分、野生でも同じ。いや、むしろ野生の方がもっとそうなのかもしれない。
去年の今日の狛犬さん「あ」、狛犬さん「うん」。(チガウ


こんなのものも見つけた。

ここまで、「人間を基準に考えれば」と何回か書いてきたけど、仏教って、元々お釈迦様が人間の為に生み出された(と言っていいのかな?)ものだから、人間が基準なのは当然。
そしてお釈迦様は、最初からあらゆる生き物の中で人間が一番救いようがないことを見通していたと思う。だからこそ、いろいろな教えや戒めが必要なんだと考えられてたんじゃないのかな。
そして、それをわかりやすく説明するための手段として、人間以外の動物を引き合いに出したのかな。ただ、その当時は今のような生物学なんかなかっただろうから、今読むと「違うな~」ということになってるのかなと思ってる。
確かに今でも、被捕食者としてではなく、一方的に命を奪われたり残酷な目にあうこともあるだろうけど、その加害者って主に人間だよね。でも、それこそ、そういうことしちゃいけないっていうのが仏さまの教えじゃないのかねw。

仏教が生まれて2500年も経ってるんだから、いろんなことが変わって当たり前。だから、それに合わせて少しずつ変わる部分、変える部分があってもってもいいんじゃないかなと思うし、実際、変わってることもあるんだろう。
ならばそこに、人間と人間以外の動物は何も変わらないということを、是非加えていただきたい。あ、むしろ「人間は人間以外の動物を見習え」か、な?w

仏教のプロでもなんでもないただの凡夫の儂が好き勝手なことを書いてしまって、スミマセンスミマセンスミマセン💦。
見当はずれや間違ってることも多々あると思うけど、それを教えていただけるとありがたい。
そしてなにより、仏さまの教えを勉強していて本当に良かったと思うし、それに助けられてることがたくさんあって、感謝しかない。

それと、これは先の記事に貼った方が良かったと思うんだけど、昨日知ったことなのでここに貼っておく。
ワンちゃんを飼ってる人にとっては、当たり前のことなのかなとも思うけど、儂は素直にビックリしたw。
やっぱり動物って、人間が考えてる以上の存在だと思うけどね。



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コメント (6)
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