悲しいことを目にしたので、以前から思っていたわけのわからないことをちょっとだけ書いてみようと思う。
本当は自分の中でもう少し整理してから書こうと思ってたことなので、今書くと、ただでさえわけのわからないことがもっとわからなくなってしまうかもしれない。でも、何事にも“間”があると思うし、今がその時だなと思ったので、あえて書いてみることにした。
というわけで、意味不明になってしまったらごめんなさい。
生者必滅会者定離
言うまでもなく、「命ある者は必ず死に、出会いがあれば必ず別離があるのがこの世の定め」という仏教の教え。
このことにはまったく異論をはさむ余地はない。だから、「死」というのは忌み嫌うべきものではないし悲しむものでもないと言われる。
これは、亡くなる方にとっても残される方にとっても同じ。ただ、亡くなる方の気持ちや感情は推測の域から出ようがないので、ここでは残された方についてのみ書いてみる。
儂、「死」は忌み嫌うものではないというのはその通りだと思う。でも、悲しむものではないというのは、ちょっとだけ飛躍があるように思う。
確かに、「死」そのものは必定だから悲しむことではない、というより、悲しんでも仕方がないんだろう。でも、その結果として起こること、「会えなくなる話せなくなる触れなくなる見えなくなる・・・」、つまり、亡くなった者と残された者との、仏教でいうところの六根(のようなもの?)による“繋がり”が不可逆的に途絶えてしまう、このことが悲しみを生むんじゃないのかなと思ってる。そして、生前にこの“繋がり”が強ければ強いほど悲しみが深いんじゃないだろうか。また、この繋がり方によって、悲しみの種類も変わったりするのかもしれない。
それゆえに、何事にも執著せずに六根を清めれば、悲しむこともないということなのかな。
でも、普通の人にとって、執著しないとか六根清浄とか、努力はできても完遂するのは絶対に無理だろうw。悲しいのは当たり前だし、極々普通のこと。先のことを考えれば、むしろ悲しむだけ悲しんだ方がいいと思うし、それが今の儂の実感でもある。
そして、この悲しみを減らしてくれるのは、多分「時薬」だけ。他にもいろいろあるかもしれないけど、それらはみんな「時薬」の作用を増強するものかなと思う。
ここまで書いておいて、反対のことを言うようだけど、「死は悲しむものではない」というのも、そうかなと思う時がある。正確に言うと、その時は悲しんでも少し時間が過ぎればあきらめがついてくる、あるいは、悲しみは続いても同時にあきらめもついてくる、というようなことかな。
実はぼあちゃんが調子を落として、もしかしたらもうダメかなと思い始めた頃、そういうことを思い始めた。「生き物だから亡くなるのは仕方がない。でもこの子達の寿命を考えると、まだそれには少し早い。あと3年、いや2年でも生きてくれれば、まだあきらめがつくのに。。。」と何度も思った。
結局そうはならなかったので、実際のところはわからない。想像するに、多分あと何年かして亡くなったら、少なくとも悲しみの深さは変わらなかったか、あるいはより多く悲しむことになったかなと思う。ただもしかしたら、今よりは早くあきらめられたのかな、納得できたのかなと思わないでもない。
例えば、生まれることなく亡くなった場合、寿命と言われるような年齢になる前に事故や病気で亡くなった場合、寿命と言われるような年齢まで生きたけど事故や病気で亡くなった場合、そして、寿命と言われるような年齢まで生きて文字通り寿命で亡くなった場合、それぞれで、残された者の悲しみの深さや種類に違いがあるだろうか。儂は、少なくとも悲しみの深さには違いがないんじゃないかと思う。これを決めるのは、先にも書いた“繋がり”の強さじゃないかと思う。あるいは“繋がり”の種類もそうなのかもしれない。
ただ、寿命と言われるような年齢まで生き、さらに寿命で亡くなった場合には、もしかしたら、「時薬」の効果が出て来るのが少しは早いのかなと思ったりもする。
案の定、何を言いたいのかわからなくなってきたw。「だから何?」と自分でも思ってるんだけどw、それでもやっぱり仏さまは、「悲しむことではない」、「いつまでも悲しんではいけない」と言いたいんだろうなあ。確かに、この世は無常なんだから、悲しみや苦しみだって永遠には続かないはず。
儂、初めてこのキサー・ゴータミーの話を読んだ時に、「そうだな、そうなんだな」と思った。でもその後、「言ってることはすごくよくわかる。でも、うーむ・・・」に変わって今に至ってる。特に、この例え話で出て来るのは子供なんだよね。。。
まあ、とりあえず何が言いたかったかと言うと、今は気が済むまで悲しめばいいし、難しいことは何も考えず何のはからいもせず、自然に任せれていればいいんじゃないかなということかな。
(主にsanchaさんへ)
そして、
こんな内容の日記になんでぼあちゃんの写真?とも思うけど、儂にとっては結構自然な流れなのですみません。
去年の今日撮った写真全14枚を時間順に。実は、この日はベランダに大きなゴキブリが出た日。ぼあちゃんに見つからないように大捕り物だった。
6時49分 "居間"。

6時55分 "居間"。

8時23分 "居間"で温度計のリモートセンサーをカジカジ。

9時46分 ブリッジステージ。

11時17分 ペットサークルで狩り。

11時18分 ペットサークルで狩り。

11時27分 ベランダの夏用ネットケージ。

11時34分 "居間"。

12時1分 リビング。

12時31分 ベランダでママの抱っこ。

12時42分 ベランダの夏用ネットケージ。

1時47分 ママに抱っこされて脱皮をカリカリ。「ヤメテー」w。

2時 リビングのスチールラックにIN。

2時5分 そのままZzz...。

この後、4時半頃にママが抱っこして、5時半頃にケージに戻しておやすみなさい。