今年になってからの進展は、昨年までのものに比べると、本当に大きな変化をもたらしてくれていて、改めて、通常のメソードを妄信してはだめだな、と感慨深くなっているところです。
・・・本当に、随分と遠いところに来てしまったな、という感じで。
とはいえ、お正月の夢のお告げ「右からでしょ」による螺旋座り、螺旋立ち、そして11日の「埋める」があまりにも凄すぎて、その後は何も進展のないままの日々。
そもそも心がすっかりピピに奪われたままの猫三昧の日々・・
これはまあ、仕方ない。欲張っちゃあいけない、と思ってはいたのですが・・・
ピピはとても遊ぶのが好きで、おまけにまだ生後11か月の子猫。
元気いっぱいなので、こちらも相当疲れます。
体力というよりも、あまりに可愛いので、全てを見逃さないように、と集中して見てしまうので、目と神経が。
もちろん、それ以上に癒されて、心身共にユルっとはするのですが。
今回、5日の気付きはピピのお陰かもしれません。
「ピピに学ぶフルート」
「埋める」にしても、あのピピの口元がヒントになっているようなところもある。
猫じゃらしや紐のついたネズミのオモチャがお気に入りなのですが、ピピがこちらに向かってくる前の事前の動作がヒントに。
猫が何かやる前のスタンバイの体勢。
つまりは順番の問題だったのですが、まだまだ「普通」に「ラクに」立つところから笛を吹こうとしていた・・
そうではなくて、まずは、その「普通」の寛いだ状態から「スタンバイ」にする。
それは目下私にとっては「羊座り」であり、その結果としての胸鎖関節の接近であり、背中のテンションでもある。
しかる後に、螺旋立ち。
これで、全くの別人に。
素人なだけに鋭い指摘を時折繰り出す夫。
よく言われていたのは
「最近は随分マシになったけど、最初の一音がさぐる感じがあるよね。そこをもっとなんとか・・」
これは、二宮先生がよく仰っている「ロケットスタート」にも通ずる。
何時も心掛けてはいるけれど、やはり納得がいったことはない。
こころがければ、多少はマシになるといった程度。
でも、その理由が、今回よくわかった。
「普通」に「ラク」な、つまり寛ぐのに適した身体から始めようとしていたからだったのね。
なんだか、まだまだおっとりしすぎていた、ということである。
獲物を取る前にはそれなりの事前の体勢が不可欠。
耳の向きまで変わって、全身にみなぎるテンション。
弓を射る前にはそれなりの作法が。
フルートを吹く前にも、それなりの作法を・・
ということで。
これによって、益々、「吹く」という自身で息を出す実感は減り、本当に妙な感覚。
シャンプーやリンス、食器洗いの洗剤は、ボトルデザインが煩いので、陶器の白いディスペンサーに移し替えて使っているのですが・・
この時の角度、高さ等で、中身が出る加減が変わるけれど、そんな感じで息が出る。
何故か?は全くわかりませんが・・
まあ、やってみればわかると思う。
「羊座り」「螺旋立」「埋める」
この3つが現在の奏法。
・・・本当に、随分と遠いところに来てしまったな、という感じで。
とはいえ、お正月の夢のお告げ「右からでしょ」による螺旋座り、螺旋立ち、そして11日の「埋める」があまりにも凄すぎて、その後は何も進展のないままの日々。
そもそも心がすっかりピピに奪われたままの猫三昧の日々・・
これはまあ、仕方ない。欲張っちゃあいけない、と思ってはいたのですが・・・
ピピはとても遊ぶのが好きで、おまけにまだ生後11か月の子猫。
元気いっぱいなので、こちらも相当疲れます。
体力というよりも、あまりに可愛いので、全てを見逃さないように、と集中して見てしまうので、目と神経が。
もちろん、それ以上に癒されて、心身共にユルっとはするのですが。
今回、5日の気付きはピピのお陰かもしれません。
「ピピに学ぶフルート」
「埋める」にしても、あのピピの口元がヒントになっているようなところもある。
猫じゃらしや紐のついたネズミのオモチャがお気に入りなのですが、ピピがこちらに向かってくる前の事前の動作がヒントに。
猫が何かやる前のスタンバイの体勢。
つまりは順番の問題だったのですが、まだまだ「普通」に「ラクに」立つところから笛を吹こうとしていた・・
そうではなくて、まずは、その「普通」の寛いだ状態から「スタンバイ」にする。
それは目下私にとっては「羊座り」であり、その結果としての胸鎖関節の接近であり、背中のテンションでもある。
しかる後に、螺旋立ち。
これで、全くの別人に。
素人なだけに鋭い指摘を時折繰り出す夫。
よく言われていたのは
「最近は随分マシになったけど、最初の一音がさぐる感じがあるよね。そこをもっとなんとか・・」
これは、二宮先生がよく仰っている「ロケットスタート」にも通ずる。
何時も心掛けてはいるけれど、やはり納得がいったことはない。
こころがければ、多少はマシになるといった程度。
でも、その理由が、今回よくわかった。
「普通」に「ラク」な、つまり寛ぐのに適した身体から始めようとしていたからだったのね。
なんだか、まだまだおっとりしすぎていた、ということである。
獲物を取る前にはそれなりの事前の体勢が不可欠。
耳の向きまで変わって、全身にみなぎるテンション。
弓を射る前にはそれなりの作法が。
フルートを吹く前にも、それなりの作法を・・
ということで。
これによって、益々、「吹く」という自身で息を出す実感は減り、本当に妙な感覚。
シャンプーやリンス、食器洗いの洗剤は、ボトルデザインが煩いので、陶器の白いディスペンサーに移し替えて使っているのですが・・
この時の角度、高さ等で、中身が出る加減が変わるけれど、そんな感じで息が出る。
何故か?は全くわかりませんが・・
まあ、やってみればわかると思う。
「羊座り」「螺旋立」「埋める」
この3つが現在の奏法。