『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

第125回 音楽家講座~甲野善紀先生を迎えて~ in鶴見 1月23日(月)

2023-01-26 01:41:10 | 音楽家講座・甲野善紀先生を迎えて
(お話)
(剣術に関しては)50年前、鹿島神流の検証をしながらやってきていたが、
2008年5月3日、韓競辰師とお会いした折、刀の柄は船の舵の様なものだから、と、両手を寄せて持つ持ち方を提案され、やってみたそのとたんに、背中がもぞもぞと変化するのがわかり、それ以来、ずっとこのやり方となった。

昨年11月6日に整体協会の野口裕之先生から、「片手を絶対に使ってはいけない」という整体での話を聞き、「刀も片手はないようにするのが良いのでは」と提言を受ける。

片手がもう片方の手を邪魔しないように、ただついていくようにする。

今回、こちらの方が絶対に良いのがわかっているのに、3か月経っても以前の良くなかった方が身体はやりやすい。

こんなことは初めて。

「巧拙無二」の土田昇氏によると野村貞夫という名人大工はのこぎりをひくとき、左手は持たずにただあてて使っていたという。

これは芸事でも同じだろう。

片手だけの時も、反対の手を手伝わせて、ということが通常良いことのように言われているが、それがダメ。

「内観」とイメージは違う。

(野口先生から聞いた話だが)火傷をすると仙骨周辺に三角形が出るが、自分の家が火事で焼けても、同様に三角計が出た人がいた。心が火傷したのが身体に出る。

(この片方を使わないというのは)「溶かしてなくして消す」内観。

高校生の(反抗期の)娘に対して、母親が露骨に手伝うとだめだが、それと判らぬ様に助けてやると良い。

安易に左右を同等に使うことが問題だ。

『願立剣術物語』に「大将は一人で良い」という意味の教えがあるが、
「師の引導に従って脚は手に引かれ」
「左の手を働かせること莫大な非なり」
ともある。

近代の合気道では、左右平等、対象の稽古などもあるが、
玄能作者第一人者の長谷川幸三郎などは、左が主だったそうだ。

「科学」は精妙なところには追い付いていない。

(実践)
(木刀で)

左手が通常に右手に協力して木刀を持ったものと、そうでないものの違い。

そうでないもの・・左手がこの世から手伝っていないような感じで。

明らかに、威力が増し、相手が崩れる。


(手刀で)
通常は、一見、片手しか使っていないようだが、反対側が手伝っている。
それをやめさせる。



今やっていることと違う働きで手伝わせるともっと効果が・・

筋トレはそこそこの効果はあるが、このような質的変化は得られない。

影の世界、言葉にならない世界にますますなってきた。
これからどうなるか全くわからない。
普通の鍛錬とは全く別のやり方。
それをなんとか見つけていければ・・・なんとかなるのかな?

(今まで培ったものを)どう壊していくか?
ただの反復練習とは絶対に違う方法がある。

回数さえやれば、というのは安易な発想。「待ちぼうけ」

「努力」も安易な発想。
本質的な上達を妨げる。

努力で身につけたものは「めっき」みたいなもので、剥がれてしまう。

世の中全般と全く違う、超少数者。

「正しい~」と言い張るところ程、いい加減なものが多い。

前衛ダンスは本質的なものと、(それとは似て非なる)浅いものとの区別がつきにくいが、武術は「技」で出るから、それがはっきりとわかる。

今の常識を根底から考え直す。

かつての達人は刀の先をほんの少し動かすだけでヒュンヒュンと音がしたらしい。

人として生まれているというのは、可能性があるということ。

低いレベルに留まっていたら、身体に相すまぬ。

人生のシナリオは色々。基本を誰かに習うという発想それ自体がおかしい。
自然に身に付く母国語の様に、習った記憶がないのに、いつの間にか身に付いて、というのが良い。

努力していることに負い目と嫌悪感を持つこと。

・・・嫌悪感は努力しては持てない・・

「努力が大事」は恥ずかしい。
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(個別指導)
1.ウクレレ
普通に両手で、左手を消して、右手を消して での実践。

毎回大きく変化。


2.ダンス
肩甲骨を上手く使えるようになりたい。

浮きをかけるための稽古法。膝を抜いてパっと沈み90度回る稽古。
大概は時間を稼ぐために上にジャンプしてしまうのだけれど、それをしないように、
下がる一方の中でやる。

肩甲骨は翼の名残。


3.シタール
上2本の弦の響きが自分の中で気に入らないので、それをなんとかしたい。

指紐で大きく変化。



4.ヴァイオリン
演奏時の姿勢などご助言いただきたい。

弓を持ったまま肘を身体中央に寄せて手首から先をダラッとしてから肘を返して弾く。

加えて右手をぐるっと左耳を通過するように回してから弾く。

一回目でも大きく変化。二回目でさらに艶やかに。


5.フィドル(演奏ではなくメンタル面の相談)
緊張したり夢中になるとはを食いしばる癖があるのでなんとかしたい。
過去(のトラウマ等?)を忘れたいと思えば思う程、思い出している。

祓い太刀。


6.茶道
歩く時や袱紗捌きの時の所作を観ていただきたい。

丸紐の四方襷を左右どちらを最初にするかで、身体は大きく異なる。
こうした違いを茶道の稽古の中で感じていくようにする。

普通に左右均等に歩くのではなく、片足先行で数歩歩くと、何歩目かで、先行する足を変えたくなる。人によって歩数は違うが、このような歩き方をして観察してみる。



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(所感)
ここ数日の旅のお疲れのご様子も全くなく、とてもお元気そうなのは、やはり大きな技の変革の最中だからなのでしょうか・・・

元々が少数派なのに、さらにディープな少数派に。
今後の先生の進展、展開が楽しみです!

この左右の手が協力し合わない、という術理は、ママレードの蓋を開ける時には役だったのですが、中々フルートで取り入れるのが難しく、棚上げ状態にしていました。

でも今回の講座で大きなヒントを沢山いただきました。
これは参加された皆様も同様かと思いますが、常連のウクレレ奏者Tさんによるその場での先生の術理の実践での大きな変化に刺激されたのではないか?と思います。

ようやく本日25日夜に、この応用で大きな変化が!大きく響きも変化し、背中がとても爽やかになりました。(詳細はまだ後日)

やはり楽器演奏での具体例、というのは音で身体に沁みてくるので、とても分かりやすい。

実際、木刀で撃ち合う時も、相手の崩れ方だけでなく、木刀の撃ち合う響きの変化にも驚かされました。

・・・打楽器などは、これを見るだけでも大きく変化できるのではないかな?とも思いました。

最後の歩き方の稽古にもびっくり。
これでわかったのは、私はいつも左足先行で歩いていた、ということ。
右足先行に全く切り替わらなかった。もしや歪んでいるのか?それともフルート奏法の姿勢からの影響か?左軸、という思考製造の残滓のせいか?等々考えさせられました。

人気のないところで、この歩き方は今後も試してみたいと思います。

参加された皆様、会場スタッフの皆様、スタッフの忍者・五十嵐くん、鈴木さん、そして甲野先生、ありがとうございました!

次回は2月20日(月)です。どうぞお越しくださいませ!


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