「今回は剣術に数十年取り組んできた私が、約一ヶ月前から初心者に戻って苦労している刀の持ち方の話から世の中の常識の疑わしさについて語ります。」
と先生がツイートされたこのお話が中心。
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(お話)
11月6日に気付き、8日に実感してからもう一か月以上経つが、(今回の変化には)まだ慣れない。
寄せて持つようになったのは2008年で、14年前のこと。
この時は一晩で完全に新たな持ち方に移行し、すぐに切り替わった。
何十年やっていても、すぐに変われた。
それが今回は難しい。それまで両手で持った時は、左右が協力しあってやっていた。
そこに何の不思議も感じたことはなかった。
それが間違いだったと気付いた。二人三脚で脚を結んで走るよりは、まだ手を繋いだ方が走りやすい。縛ったら、遅くなるし、方向転換にも時間がかかる。
そうではなく、片手は全く違う種類の動きをする。協力しちゃいけない。
片方は触れているだけ。
手は2本だけれど背中は1つ。
分け合うことになることが良くない。
タレントとマネージャーの関係の様にスターは舞台に出るが、マネージャーは陰で見守るだけ。
しかし、こちらが良いとわかってからも今回は、まだ自分の感覚がつい助け合おうとしてしまう。
一か月経っても、戻りたい自分がすごくいる。
今まではスパっと変わっていたのに、身体の感覚が戻りたがっている。
それをやるのが大変で、苦闘している。
この年になって、初心者になっている。
本当に凄く使えた人が桁違いの実力を見せたというのは、そういう事なのかもしれない。
段々と慣れてきた身体の使い方ではなく、あらゆる技芸でも、同様にそこが違う。
なんとなく今までやってきた中での修練ではないものにすると、
全く違う質的変化が起きて、別次元にいける。
子供の頃から身に付いた一番やりやすいものをそぎ落とす。
(袋竹刀を正面から振り下ろされるのをかわす実演)
床を蹴って逃げると出来ない。どうしたら床を蹴らずに動けるか。これは超一流のスポーツ選手でも難しい。(蹴って動くのが普通なので)これを組み替えるのが大変。
(杖で相手を返す技の説明)
右手で持ち上げようとする動きの時、左手は押し下げて(てこの原理?)手伝った方が良いと感じ、普通はそうする。
しかし、そうではなく、この時の左手は手伝わないでただいるだけ。
素朴な実感としては納得できない。
しかし、手伝うと気配が読めて、微細な感覚が働くので、次が読まれてしまう。
音楽であれば、音程を外している訳ではないのに、何か新鮮。
想定内の想定外。予測通りなのに、新鮮。
凄まじい高速で認識が変化。
自動的に動くのが良いことと思っていたけれど、その辺に大きな問題があるのではないか?
今なんともいえない感じ。
92年、30年前に初めて固定的なヒンジ運動が良くないことに気付いた。
大きな革命的なものだった。(井桁崩し)
今回、「決して両手を普通に協力しあって動くのはよくない」ということに気付き、呆然としている。
このところの地方での講習会は、もう99.999%、懺悔の旅だったと言って良い。
しかしながら体術の「らくゆう」などでは、既にこれを使っていたのだなと気付いた。
(らくゆう実践)
触れる手は普通で何もせず、触れない方の手はひょうけんの手の内で。
相手に触れるところは一切何もしない。
ピアノではどうするか?
(左右の手での)意識の仕方は違うようにする。
なんとなく両手でできるようになってヨシじゃない。
どちらかを物凄く主艇的にして、片方をそうではなくする。
凡庸ではなく曰く言い難い世界へ。
霧の中、新しい扉を開いたら余計に訳がわからなくなって、パンドラの箱の蓋を開けてしまったような感じ。
戻りたいとは全く思わないけれど、身体に沁みついているクセが戻りたがっている。
こんな変な感じは初めて。
(不幸中の幸いなのは)今とても忙しくて、悩む程贅沢な時間が持てないこと。
エライことにきづいちゃったなあ、どうしよう・・という感じ。
左右の意識の仕方を工夫すると全く違う世界が生れる。
出来るようになっていることを、違う意識で。
背中の力を左右で分捕りあって使っていた。
頭では左右が協力していると美化しているけれど、実はそうではない。
(浪の下実践)
掴まれた腕はブラブラに。もう片方の手で掴まれた方の手に見えない糸をひっかけて引っ張る。
(袋竹刀を使って、杖で相手をかわす技の実践)
片方はついていくだけで、参加しない方がよい。
方向の運動性がわかるから相手が止めやすい。
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(個別指導)
1.フルート(仙台より)
右肩を痛めていて、フルートを吹く姿勢になるのが辛い。
フルート以前に、身体全体のバランスがずれているので、身体が辛そう。
自分でできる修正方を伝授。お腹に全身の配列が影響されるから、とのこと。
(対処方法は個々に異なるし、きちんと伝えきる自信がないので詳細は割愛。)
2.ピアノ
丹田のエネルギーを伝えた演奏をしたい。
指紐、マスクの有無での変化。
紐を付けたり外したりして、紐が教えてくれるのを感じて。
3.ピアノ
自分が好きな曲を自由に遊んで弾く時はよいのだけれど、そうでないものは、途端に弾きにくくなり、椅子にどう座っていいのかまでわからなくなる。
指紐、四方襷。
紐が教えてくれる身体の変化を感じて。
4.一般
最近パワハラを受けるようになってとてもストレスが増している。
非常に有効という手段を即座にご助言。
(これも対処方法は個々に異なるし、きちんと伝えきる自信がないので詳細は割愛。)
5.フルート・江平の笛 白川
江平の笛を吹いた時のトリップ感をフルートでも味わえるようになりたい。
次への大きなステップの足掛かりとなりそうだけれど、どうしたものか、と思案中。
フルート(初代ロット)、江平の笛、フルートと交互に「水月」を演奏。
以前も何度かあったのだけれど、急にロットが機嫌を損ねて鳴らなくなり焦る。
実はそれも理由で、ずっと封印していた江平の笛。
心臓などは決してバクバクしていなかったのに、何故か、かつて味わったことのない緊張感で、ブレスは普段の半分に。
「何故、先生の前だと、そして音楽家講座だと、私はこんなに緊張してしまうのでしょう?」と質問にもなっていない質問に、
「その緊張を利用して次の段階へ突き抜けると良いのでは?」とご助言。
最後に祓い太刀で再度演奏。
今回受講者が少なかったので、最後の15分はフリータイムとして、先生に紐の巻き方を教えていただいたりする時間に。
ご参加くださった皆様、スタッフ、会場スタッフの皆様、甲野先生、
本当にありがとうございました!
次回、来年は1月23日(月)を同会場時刻にて予定しています。
どうぞお越しくださいませ。
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年内最後の音楽家講座ということで、有志数名で先生を囲んでファミレスでの打ち上げとなりました。
とても久しぶりで、とても楽しく、こうしたひと時の大切さを改めて感じました。
来年も、状況次第ではありますが、打ち上げも復活できれば、と思っています。
ガストでは猫型ロボットが大活躍でびっくり。
ビールや料理を運んできてくれました。
写せませんでしたが、丸い目の可愛い顔です。
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(所感)
70才を越えてなお、初心者の心地という先生の真摯なお姿に、改めて技を極めていかれる方の凄みを感じました。
そして見ているだけでも、先生の浪の下や様々な技の威力が圧倒的に増しているのを感じました。
らくゆうなどの体術で既に行っていた、という言葉に「我が意を得たり!?」と嬉しかった。実は前回、この御話しをうかがってすぐに、その日の先生の体術・らくゆうのことを思い出していたので。
先生の技に関してのことなので、生半可な思いつきをお話するのは僭越なので、控えていたのですが、当たっていた!
ママレードの瓶の蓋もすぐにとても開けやすくなりびっくりしたものでしたが、ではフルートでは?といえば、正直カオス。
現段階では、極力右手を抜いて、となっていてそれなりの変化もあったけれど、でもこれはいわば、培ってきた動きの延長上に過ぎず、意識の変容までは行っていない。
課題は満載で、両手を使う楽器演奏の場合の意識の変容のことを改めて考えています。
とにかく「培ってきてしまった勝手に動く動きの集大成」というのが、今の自分なのだから。
今回のお話で、左右の手を同等に扱うと背中で混線するのかな、とも感じました。
そして久々に、驚く程緊張した自分を振り返り、
「それを利用して突き抜ける」というご助言に、「はて、どうしたものか・・」と思いを巡らせています。
あのような緊張は、本当に先生の前でだけしか起きないので、とても貴重な機会です。
ここ数年、コンサートの本番で変な緊張がなくなり、毎回、ベストを更新する演奏が出来てきているのは、先生の前で演奏することに比べれば何ということもないせいなのか?
とも思い至りましたが、「突き抜ける」には程遠い。
でも身体の芯からの変化の予感、兆しを感じています。根拠はないのですが・・。
来年はロットと共に江平の笛も吹いていってみようかなと思います。
実際、緊張していても、江平の笛の後のフルートの音は、かなり大きく変化したので。
この音でバッハが吹けると楽しいだろうな、とすぐに思った。
打ち上げでも、やはり、江平の笛の評判がとてもよく、「・・やっぱりね・・・」
江平の笛はオリジナル作品を吹くしかなく、曲数も少ないのですが、機会があれば、フルートを吹かないコンサートやイベントなどで披露できればと思っています。