今回と次回は心のふるさと札幌の街を点描してみたいと思います。
まず最初は大通公園の端にそびえ立つ札幌テレビ塔です。昭和32年に完成し、以来札幌市民の象徴的存在に
なっている塔です。大通公園の噴水越しに、飛んできたハトを意識しながら撮ってみました。
#1
夕暮れ時、もう50年も続いている高校の同期会に行く前に撮ったテレビ塔です。右に写っているのは札幌の老舗デパート
丸井今井です。むかしから札幌市民には、丸井さんという愛称で親しまれてきました地元のデパートです。
そして噴水の向こうに見える白い文字マークは、笑顔になれる街というコンセプトを持った、札幌市の最近のロゴマーク
”サッポロスマイル”です。まさに笑顔になれるような気がして、このロゴも大好きです。
#2
このテレビ塔に表示されている電光時計は、「宣伝効果がある!」という松下幸之助の鶴の一声によって
寄贈されたものだとか。2度の改修を経て現在の姿になっているようです。
#3
高さは147.2mだそうですが、威風堂々の姿をしています。私が子どもの頃は周りに高いビルはありませんでしたから、
いつもこんな風に見上げては高いなーと感心したものでした。そして愚かにも、これが東京タワーだとも思っていたものでした。
#4
テレビ塔のすぐ向こうに建つビルがほくでん(北海道電力)の本社ビルです。私の父親が勤めていた会社で、
その当時は夏休みになると社員とその家族を海水浴に連れて行ってくれる家族的な会社でした。
もうはるか60年近く前の話ですが。
#5
噴水の左側、ガラス張りの大きな建物は北洋銀行の本社ビルです、いまは。
そのむかしはたくぎん(北海道拓殖銀行)の本社ビルでした。当時は都銀13行の一角に数えられる大銀行でしたが
1997年に破綻してしまいました。北海道経済や道民心理に多大な影響を与えた出来事でした。
#6
さて、こちらは大通公園のとうきびワゴンです。私もとうきび大好き人間ですから、このワゴンに出会うと
ついつい焼きとうきびを買ってしまいます。とうきびの香りと焼けた醤油の匂いが鼻をくすぐるのです。
内地ではトウモロコシといいますが、北海道ではとうきびという呼び名が通り相場です。
そういえば「となりのトトロ」でメイちゃんがトウモロコシのことを「とうもころし」と言ってましたね。
とうきびならばそんな間違いはしなかったのでは、なんて思いそうですが、いえいえさにあらず。
私が子ども頃、近所の幼い女の子はとうきびのことを「とうびき」と言っていましたもの。
#7
その2年後、同じワゴンで同じ女の子に出会ってしまいました。楽しそうに働いている様子がいいなーと思って、
このときも写真を1枚撮らせてもらいました。
#8
大通5丁目にかなりむかしからある噴水です。私が幼い頃、父親にこの前に座らされて写真を撮ってもらった
記憶がかすかにあります。後ろから食いつかれそうで怖かったことだけはよく覚えています。
#9
明治、大正、昭和の天皇を讃える聖恩碑という大きな塔に配置された噴水です。
#10
ニッカウヰスキーの創業者 竹鶴政孝が寄贈したもので、泉の像といいます。大通3丁目に建っています。
このときはたまたま3人の乙女の像も加わっていました。
私のかすかな記憶では、この像はもともと札幌駅の南口にあったように思うのですが、いくつか文献を
当たってみても、どこにもそんなことは書かれていませんでした。私の記憶違いかなー?
#11
札幌観光幌馬車です。街の中心部を歩いているとよく出会う、レトロ感満載の幌馬車です。
#12
フランスのノルマンディ地方が原産のペルシュロン種のオスで、名前は銀太二号。体重はサラブレッドの2倍、
1トンもあるそうです。姿形の整った、とってもきれいな馬だと思います。
#13
そんな巨大な馬なのに非常に性格のおとなしい馬だそうで、いつも観光客を乗せて静かに歩いています。馬は本来臆病な
動物ですが、そのすぐそばを車が通っても驚くことなく悠然と歩いている姿に、悟りを開いた高僧のような風格を感じて
しまいます。
#14
南大通りを疾走するスーパーマリオです。初めて見たこの瞬間「えーっ?」とビックリしましたが、ちゃんと
ナンバープレートが付いていましたので、公道を走ることが許された一般車両なんだと思います。
#15
と思っていたら続いてもう1台、こちらはヨッシー? 色はドンキーコング? よく分かりませんでしたが、札幌市民も
いろいろと楽しんでいるようでした。
楽しんでいるといえば、いま私が住んでる千葉県でもバットマン姿で3輪バイク(トライクというそうです)を運転する
千葉ットマンという人物が話題になっていましたっけ。
#16
こちらは毎年秋に大通公園で開催されるオータムフェストの模様です。2013年のときのものです。
一種の食の祭典のようなものでしょうか? いまでは札幌市民にとっては雪まつりよりも人気があるとか。
#17
いろんな店が軒を並べて、食べ物や飲み物を中心にいろんなものを販売しています。
#18
北海道各地からのものが出店されますので、札幌市民にとっても楽しみなんだろうと思います。
#19
それにしても札幌市民はほんとうにお祭り好きだと思います。大通公園で毎月何かしらの催しが開催されていますもの。
#20
この年、この会場で偶然知り合ったのが、この私のブログにもときどきコメントを下さるヌリプラ倶楽部店長さんです。
ご覧のようなキティちゃんのジンギスカン鍋を通販等で販売している方で、札幌生まれの札幌育ち、私と同年代の方でも
あります。むかしの札幌をよくご存じの、言ってみれば同期の桜みたいな女性だと、勝手に私は思い込んでおります。
よく大阪人の家には必ずたこ焼き器があるという話を聞きますが、札幌市民の家には必ずジンギスカン鍋がありますね。
いまは外房に住んでいる私の家にももちろん、ジンギスカン鍋があったりします。
#21
狸小路はむかしから札幌市民に馴染みの商店街でした。私も小学生の頃からよく通った大好きな買い物街でした。
#22
4丁目と3丁目がメインの商店街でしたが、それぞれの丁目が工夫を凝らした多彩な商店街でした。
もちろん、いまでもそうですが。
#23
屋根のあるアーケード街は1丁目から7丁目までで、ここらあたりまでが狸小路の町並みということになるのだと
思います。
なかでも6丁目、7丁目にはいまはもうなくなってしまった、私が大好きな店がいくつかありました。
ひとつはラーメン屋の「富公」。菅原富雄さんという一癖も二癖もあるような頑固おやじさんがやっていた、
それはもう空前絶後のメチャクチャ美味しいラーメン屋でした。わたしが高校生のときから30年近く通った
店でしたが、彼が52歳で亡くなってしまい、悲しくも消えてしまいました。
もうひとつがジャズ喫茶の「ビーフラット」。フランスの画家ベルナール・ビュッフェのピエロ姿の自画像を
あしらったマッチも人気の店でした。地下に降りていく店で、マイルス・デイビスやオーネット・コールマン
なんかをよく聴いたものでした。この店も時代とともに消えていってしまいました。
#24
しかし、狸小路を中心に、いまでも存続し続けている大好きな店もあったりします。時代とともに様々な本州資本が
入ってくる中、よく頑張っているなーと素直に感心してしまいます。
そのひとつがこの中川ライター店。看板の古さが時代を物語っているのではないでしょうか?
私が小学生の頃はプラモデルの店でした。しかもそんじょそこらでは絶対に売っていなかったアメリカ モノグラム社の
プラモデルを売っている店として、プラモデル愛好家たちの間では垂涎の聖地でした。
長じてからは、パイプやパイプ関連用品を買う店としてよく通ったものでした。
#25
この店は甘味処の新倉屋(にいくらや)です。高校生の頃、よく通いました。その当時はどこの高校もそうだったと
思いますが、うちの高校も喫茶店に入ってはいけないという校則がありました。仲間4人でキャンプに行こうという
計画を立て、甘味処は喫茶店じゃないよなーと4人で勝手に確認しつつ、よくこの店でキャンプの作戦を練ったもの
でした。のちに4人が4人とも大酒飲みになるのですから、おもしろいものです。当時は何を注文していたんだろ?
#26
高校生の頃よく通ったビリヤード場もまだ健在で、嬉しくなりました。当時はいまのようにポケットではなく、四つ玉や
スリークッションが主流でした。この店の常連さんにはおじいさんが多くて、よくじょうずなおじいさんを「師匠!」なんて
呼んで仲良くしてもらって、いろんな技術を習ったものでした。ちょっと背伸びしておとなになった気分で楽しんでいたような
気がします。当時の高校の校則にビリヤード場に行ってはいけないという条文がなかったのも幸いでした。
#27
名取川靴店、靴屋さん一筋で80年も営業を続けているなんて、本当にすごいことだと思います。
この店では大学生のときに足駄(高下駄)を買って、北大構内を闊歩していたことを思い出します。バンカラを
気取っての行動でしたが、当然のごとくよくこけたものでした。いろんな意味で、若さゆえの愚かな所業でした。
#28
宮文(みやぶん)も狸小路の老舗の刃物屋さんです。いまは新札幌のビルの中にも店を出していますので、
数年前まで近くに住んでいた私の母はよくその宮文に包丁を研いでもらっていました。私も料理をしますので
包丁も自分で研ぎますが、この宮文で研いだ包丁は半年経っても切れ味抜群でした。さすがプロと感心したものです。
#29
玉光堂も想い出深い店です。当時は4丁目のこの店だけで、1階はレコード売り場、地下には楽器が置いてありました。
中学生のときに初めて買ったレコードはベンチャーズでしたし、高校生のときはこの店でヤマハのエレキギター12弦の
SG−12を買ったりしたものでした。
同じ高校生のときにこの店に入ろうとしたら、中から奥村チヨが出てきたこともありました。まだ「終着駅」を出す前の
あまり売れていない頃でしたから、地道にレコード店回りをしていたんだと思います。
すれ違うときに、「あ、奥村チヨだ!」と思って軽く会釈をしたら、ニコッと笑い返してくれたことが印象的でした。
もうひとつ印象的だったのが、彼女がものすごく小さかったことです。たぶん150cmあるかないかぐらいだったのでは
ないでしょうか? 大学卒業後は東京に就職しましたので何人も芸能人を見かけたりしましたが、私にとっては奥村チヨが
芸能人第1号でした。
#30
千秋庵(せんしゅうあん)もむかしからの老舗です。小学生の頃はこの千秋庵と雪印パーラーが憧れの店でした。
小学生の頃はまだ甘いものがふんだんに食べられる時代ではなかったので、たまーに親に連れて行ってもらうと
最高に嬉しかったものでした。
内地の方には千秋庵よりも六花亭という名前の方が有名かも知れませんね。でも六花亭ももともとは帯広千秋庵
でした。いろんなことがあって六花亭として独立したようです。
#31
ずっとむかしからススキノ4丁目の角を飾る象徴的な存在のニッカウヰスキー「ヒゲのおじさん」、いつも暖かく
ススキノを歩く酔っぱらいを見つめてきました。私が学生の頃はよくこのおじさんを見上げながらススキノに通った
ものでした。
#32
ヒゲのおじさんも少しずつデザインを新しくしながら、この交差点を見守っています。いつまでもなくならないで
いて欲しい大事な存在だと思います。
夕暮れ時にここに来たりすると、「さて、そろそろ日も傾いてきた。今夜もちょっと一杯飲んでいくか!」
そんな気分にさせてくれる、そんな魅力的な街だったのですが、ススキノって。
私も年をとりましたし、コロナもありますので、もう・・・
#33
懐かしさのあまり、今回もものすごく長くなってしまいました。ごめんなさい!
最後まで読んでくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
^ ^
○o。。。 ミ・。・ミ 。。。o○
あのお通りでは焼きトウモロコシを食べましたね。美味しかったですよ。
最近は周りに大きなビルが建ち並びましたが、いまでも
その機能は健在だと思います。
狸小路は行く店の目的がない観光客には入りづらい感じが
するかも知れませんね。
焼きとうきびは作るのに時間がかかりますから家で食べるときには
ついつい茹でてしまいますね。そういう意味でもとうきびワゴンの
焼きとうきびはありがたいと思います。茹でと同じ300円ですし。
以前見せていただいて、観光幌馬車のお馬さんや焼きとうきびがとても
印象に残っていて、私にとっても素敵な想い出が蘇ったような気分です(^^♪
お祭りのスケールも大きくて、楽しそうな場所もたくさんあって、
一度は訪れてみたいです。
でも、今年はコロナの影響で大変でしょうね。。。
商店街もすごいですねェ。
ありとあらゆるモノがありそうで、欲しいものも必ずありそう。
探し出すのは大変そうですが・・・
札幌の街には魅力的なところがたくさんありますね。
サッポロスマイル、いいですね~(^_^)v
意外とコンパクトにまとまっていて、歩いて廻れる範囲内にあるんですよ。
非常に便利にできている街だと思います。
今回は以前載せたものの再編集なので、記憶にあるものも多くあると
思います。想い出が蘇ったような気分と言って頂けると嬉しく
なります。いまはコロナで大変な時期で、札幌の街も大変な苦労を
強いられていることと思いますが、いずれ落ち着いたら、是非とも
ひめねずみさんたちもまた訪れてみて下さい。おっしゃるように
魅力的な街だと思いますので。
最近のサッポロスマイルがその象徴のような気がします。
私が子どもの頃や若い頃に大好きだった店がいまでもたくさん
残っていることもすごいと思います。札幌の独自性がそうさせて
いるのでしょうか? 嬉しい限りです。
頑張ってもう一度!
この度は会社の商品のUPをしていただきありがとうございました。
昨年で引退をし、子供の時代に変わりました。
テレビ塔、電光時計と松下幸之助さんの事が書かれていて、東京タワーって時計無かったのかな~?って調べたら本当に時計が無かったのでビックリ!
私は今でもテレビ塔に意外と行き、無料の階、(2階か3階)のレストランに行き大通りを展望しながらお食事をしますよ。最高です。
北電は2,3年ぐらい前に大通り公園をくい止めてるイメージがあるので北電を移動する案が出てきてビックリ!
その後どうなったか分らないのですがあのままが良いな~って思っています。
お父さん勤めていたんですね。おじさんと勘違いしていました。私は機械室の試験を受けたのでそこだけ子会社の北電興業になります。
北電本社の4Fにいたので玄関ホールや食堂でお父さんとすれ違っていたかもしれませんね。
私の時の社長は岩本常次さん(そんなお名前)でしたよ。お父さんと同じ時期だと良いな~って思います。
「泉の像」札幌駅に!私もそんな気がしたので家にあった「写真アルバム 札幌市の昭和」という2012年に出された本で調べてみました。(絶対札幌駅の写真は出てるよな~ってね)
そうしたら「泉の像」ではない写真が載っていて「男女5人、等身大でブロンズ像 本郷新さんの制作」昭和51年と書かれていました。
その前後に泉の像が有ったのかもしれませんが本では5人の像でその様に書かれていました。
札幌のスーパーマリオは数人いるようでその中の一人は知り合いなんですよ。普通のおじさんですがそれを知り当時びっくりしました。
狸小路、コロナの前はとても賑わっていたんですよ。一時萎びた感じの時期もありましたが見事復活!って感じで通路に椅子も置き、老若男女が休みながら楽しそうな光景で好きでした。
最近はコロナ騒動であまり街に行かないので分らないのですが今度見て来ますね。
富公は親と一緒に行った事があり、場所はどこだったんだろうって思った時もありました。店主さんが亡くなり閉店だったんですね。不人気で無くなるお店ではないはずと思っていたのですが判明して良かったです。
「三平」は三越の向いの大丸セントラル4Fに現在ありますが時たま通ると時間によっては並んでいるときもあるようですよ。
中川ライター店は2,3年ぐらい前に閉店になり、ニュースでも放送されていました。私も小学生の頃従弟達と何度か行き、飛行機の材料を買った記憶があります。
新倉屋さんは看板は喫茶店ではないですが校則的には微妙ですよね。学校も人が良い(詰めが甘い♪)時期と思えほのぼのしますよね。
ビリヤードは行く人がいないから校則に記載も無く良かったですね。
そういえば2丁目か3丁目の「ライオン」は今でも健在ですよ。天井が低くて好きです。
「いとうワイシャツ店」とかもありましたね。今は無いかも?
【特報】
「千秋庵」と向かいで昔「サンデパート(後々ドンキホーテ)だった場所が昨年から大変な事に!
今年か来年、(大事な所が不透明で申し訳ないのですが)夫々が大きいビルになり千秋庵は上がホテルかマンションに!サンデパートも下階はテナントで上がホテルかマンションになるんです。(どっちかがホテルでどっちかがマンションです・汗)
すすきのの角のデパートも閉店になり、ホテルに変わるそうです。
札幌はホテルの予約が本当に取りづらかったのでとても良い事かと。
それも相当便利な場所ですし、テナントや事務所より良いアイデアかと。
「千秋庵」、私も好きなお店です。札幌からのお土産で「ノースマン」が1番すきです。
夫婦で旅行に行く時、自分達の旅行中のおやつとして空港で「ノースマン」を買った事もあります。
今度私もブログで最近の札幌を載せてみますね。(中々街まで行かないのでちょっと時間がかかるかもですが)
隊長!希望の所を写真に撮って来ますので言ってくださいね。頼りない隊員ですが!
そういえばフェイスブックはされていないのですか?
では今度こそコメントが消えないうちに!
楽しい記事をありがとうございました。
申し訳ないことをしてしまいました。いったい何があったんでしょうね。
それにもめげず、こんな遅い時間までふたたび書いて下さったことを
嬉しく申し訳なく思います。ありがとうございました。
店長さんが引退されたことは存じ上げていますが、ま、ここでは
そのままヌリプラ倶楽部店長さんでもいいのかなと、そんなふうに
思っています。
私は札幌で街に出ると、必ず大通公園でひと休みしてテレビ塔を
見上げますが、そんなとき店長さんがテレビ塔で食事をしていたり
したかも知れませんね。手を振ってみればよかったかな?
北電が移動する話は私も聞いたことがあります。これも時代の流れ
なんでしょうね。
私の父親は私が生まれる前から65歳で定年退職するまで、北電に
勤めていましたので、店長さんがいらっしゃるときにも同じ会社に
いたことになりますね。きっとどこかでお目にかかっていたことと
思います。
札幌駅の像も本郷新さん制作のものだったんですね。泉の像も
この方の制作ですから、よく似たものだったんだと思います。
分かってすっきりしました。
富公は一番最初は丸井さんの向かいの細い路地の中にありましたが、
何かトラブルがあったようで狸小路の方に移ってしまいました。
メッチャおっかない店主でしたが、ものすごく美味しいラーメン屋さん
でしたね。
味の三平は味噌ラーメンを開発した大宮守人さんが亡くなって
太った息子さんの代になってから、味が落ちたような気がします。
この息子さんは、事前に一度客の注文を聞いただけでみんな
覚えてしまい、その後どこに座っても間違わずに出してくれました。
そのあたりはずごい人でした。
学生時代に三平に食べに行ったときには平尾昌晃が行列に並んで
いたこともあったりしました。当時は芸能人にも人気の店でしたね。
中川ライター店もなくなってしまいましたか。すばらしい店
だっただけに残念です。
アハハ、高校の校則はおっしゃるように詰めが甘くて助かりました。
そのおかげでいろいろと楽しい青春を送ることができました。
札幌にホテルが増えるのはいいことですね。
でもそうでしたか。ススキノラフィラも閉店してしまうんですね。
あそこは私が大学生の頃は松坂屋でした。その後ロビンソンになり、
そしてラフィラになりましたね。千秋庵も含めて、時代とともに
札幌もどんどん様変わりしていくんですね。
千秋庵のノースマンも懐かしいです。店長さんのコメントで
ノースマンを思い出すことができました。
最近の札幌をブログに載せる話、とっても楽しみです。こういう
時期ですから無理して急がず、ゆっくりやってみて下さい。
場所はどこでも楽しみですが、強いてあげれば北大でしょうか?
私が多感な青春時代を過ごした場所ですし、札幌市民にとっても
憩いの場所になっているところだと思いますので。
で、残念ながら私はフェイスブックはやってないんですよ。
申し訳ありませんです。
コメントありがとうございました。こうして札幌のことを
楽しく語れることを嬉しく思います。
どうか次の第6弾も見てやって下さい。
乙女の像を検索して、こちらに来ました。
3人の乙女は、昔の市民開館前、というか、NHKの前に、ありませんでらしたか?
むかし、テレビ塔の横、つまりNHKのまえがバス停留所でそこが祖母の家に行く、始発停留所でした。
ですので、通る度に、なぜ3人の女性なのか、子供心に、不思議だったのを覚えてます。
そして、大通り公園に、移動したと、聴かせれていましたが、記憶違いでしょうか?
札幌駅は、躍動感があって子供心に好きな銅像でした。
でも、3人の乙女の銅像は、私の銅像好きの原点でも、あります。
つまらない事を書いてしまいました。
もしかしたら、と思い、長文、失礼しました。
海さん、初コメありがとうございます。
さっそくですが、大通3丁目に建っている泉の像は本郷新さんの作で
1958年にあの場所に建てられたものでした。ほかの場所から移設
されたものではないそうです。札幌駅にあったのは同じく本郷新さんが
造った男女5人の像だそうで、いまは本郷新記念札幌彫刻美術館に
展示されているようです。
私もよくNHKの前を通っていましたが、おっしゃるような乙女の像は
記憶にありません。像のモチーフからしてその像も本郷新さんの
作かも知れませんね。もしそうだとすれば、その像も美術館の方に
移設されていることも考えられるのではないでしょうか?
あまり確かなことは分からず申し訳ありません。貴重なお話しを
ありがとうございました。