生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
『 個性を発揮しながら 中心を逸脱しないこと 』
創始者への恩を背かず、創始者の発見した真理の基礎の上に立ちながら、
単なるその亜流にならずに、独創的な業績あげ、世界の文化に貢献しつつ、
世界の渦の中に巻き込まれて個性を失うようなことはせず、
更に一層大きく発展させるものこそ 真に創始者の弟子だということが出来るのである。
真理は中心であり、創始者は その中心の周囲に 自己の時間の許す限りの輪を描く。
彼の人生の時間には限りがあるから、ある程度以上に大きな円を描くことはできない。
次に続くものが、創始者の円の上に同じような円を重ねて描く。
そして 一歩もその円周は 創始者のそれよりも大きくならないならば、これが所謂 亜流である。
しかし同じ中心を周って図を描きながら 創始者よりも包容面積の広い同心円を描く。
更にその次に続く者は一層 直径の広い同心円を描く。
それは同心円であるから真理の中心から逸脱する事はない。
こうして多数の後に続く者が より一層 包容面積の広い同心円を描きながら、
その真理から拡がっていく。
しかも その同心円は 中心から外れていないから 自然にひとつの中心に集まる組織となっていて、
その団結が崩れる事がない。
そして その同心円を 仮に黄色とか緑色とか紫色とかに着色してみると美しい図柄ができる。
その各々異なる色合いが その後継思想家の個性を表現するものと理解すればよい。
『 理想世界 』 昭和46年4月号 より
http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19694729.html
『 個性を発揮しながら 中心を逸脱しないこと 』
創始者への恩を背かず、創始者の発見した真理の基礎の上に立ちながら、
単なるその亜流にならずに、独創的な業績あげ、世界の文化に貢献しつつ、
世界の渦の中に巻き込まれて個性を失うようなことはせず、
更に一層大きく発展させるものこそ 真に創始者の弟子だということが出来るのである。
真理は中心であり、創始者は その中心の周囲に 自己の時間の許す限りの輪を描く。
彼の人生の時間には限りがあるから、ある程度以上に大きな円を描くことはできない。
次に続くものが、創始者の円の上に同じような円を重ねて描く。
そして 一歩もその円周は 創始者のそれよりも大きくならないならば、これが所謂 亜流である。
しかし同じ中心を周って図を描きながら 創始者よりも包容面積の広い同心円を描く。
更にその次に続く者は一層 直径の広い同心円を描く。
それは同心円であるから真理の中心から逸脱する事はない。
こうして多数の後に続く者が より一層 包容面積の広い同心円を描きながら、
その真理から拡がっていく。
しかも その同心円は 中心から外れていないから 自然にひとつの中心に集まる組織となっていて、
その団結が崩れる事がない。
そして その同心円を 仮に黄色とか緑色とか紫色とかに着色してみると美しい図柄ができる。
その各々異なる色合いが その後継思想家の個性を表現するものと理解すればよい。
『 理想世界 』 昭和46年4月号 より
http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19694729.html
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