藤原正彦の管見妄語(かんけんもうご)『 愚かなる小学校英語 』( 『 週刊新潮 』 2月8日号)
を読んでの感想である。
2年後の2020年から小学校の英語が「教科」になるという。「 教科になるということは、
教科書が作られ、テストが行なわれ、通知表に成績がつくということである。 」
小学校では、特に、国語をしっかり学ぶことの方が大事である。
漢字、ひらがな、カタカナを学び、出来るだけたくさんの言葉を覚えることである。
言葉の表現が多いということは、それだけ、物事を深く、広く考える基礎になるのである。
「 小学校時代とは、童話、物語、偉人伝、詩などをできるだけたくさん読み、
感動の涙とともに、惻隠(そくいん)の情、卑怯を憎む心、正義感、勇気、家族愛、郷土愛、
祖国愛などを胸に吹き込む時だ。この時期を逃しては取り返しがつかない。」
「 このままではやがて、英語の発音が少しばかりよいだけの、無教養で薄っぺらな日本人で
溢(あふ)れることになる。」 と 藤原氏は、危惧する。
それぞれの国々が各々の国々の文化に誇りを持ち、多様な言語文化であることが望ましい。
「チューリップは美しいが、世界中がチューリップだけ」では、魅力がない。
「 私は、海外で活躍した人々や大学の英文科教授で 小学校英語を支持する人に、
出会ったことは一度もない。彼らは、国語をまずしっかり身につけることが先決で、
英語は中学校から始めても遅くない、国際人になるには 流暢(りゅうちょう)な英語より 教養 、
ということを知っているからだ。 」
「 我が国における小学校英語とは、幼い頃から英語を上手に操(あやつ)る人への憧れと
劣等感を育(はぐく)み、我が国の 欧米崇拝 や 対米屈従 を助長し、日本人を 愚民化する、
最も適切な方法と言えよう。 」
国語への深い思いやりは、小学校の「 時期を逃しては取り返しがつかない。 」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます