『 子供は天下にまたなき至宝 』 (至宝と書いて“たから”とルビが・・)
子供は祖先から贈られた授かりもの、預かりもの。
命をつなぐバトンランナーの子供たちを、しっかり育てよう。
どの子も国を支え、未来を担う至宝だ。玉も磨かねば光らない。
願いを込めて、子供たちを立派に磨きあげ、世の中にお返ししよう。
授かりもの、預かりもの・・・・・
そして・・・最後にはお返ししよう・・・・という発想・・・・
命をつなぐバトンランナー・・・
この思いが親と子の共通理解で・・・しっかりあれば・・・
痛ましい事件や事故・・・かなり無くなると思いますが・・・
虐待・・・自殺・・・こういった言葉を耳に・・・目に・・しない日はない…
子ども・・・その子を持つ親・・・その親の親・・・まさに命の伝承が・・
そしていずれその子どもも・・・・
ここにお越しの多くの方は、PTA世代・・・まさにその伝承の最中ですね。!!
子どもたちへの教育へ・・・・
国を支え、未来を担う至宝・・・という自覚の教え・・・
玉を磨くという行為の一環の学校教育や家庭教育・・・そして地域教育・・・
こう言ったものを解りやすく出来るといいと思いますが・・・
国を支え・・なんて言葉を使うと・・・主義主張という・・・違う争点が??
日本人であり・・・日本国民であり・・・日の丸が国旗と決まって言う以上・・・
自身の国を愛し・・・自身の国旗を愛し・・・自身の国家を愛して・・・
その愛すという部分・・・自身でこの国家を支えていくんだという思いの情操・・・
子どものうちからしっかり育てていくべきだと思いますが・・・・
(私は思想的には何もないので・・・純粋に日本人としての誇りを持つことが大切だと)
子どもという範疇がどこまでという定義…
ただ、間違いなく・・・小中時代は・・・子どもという範疇に・・・
その義務教育の時代が子どもが子どもであるならば…・
その子どもを持つ親は・・・・子育て中の親である・・・
つまり・・親自体も親業という部分では・・・成長期の真っ只中!?って思いませんか?
お子さんをたくさん持つ親は・・・その親業を何度も体験?体得する機会をもった(笑)
(いい意味で恵まれた環境にある・・・子どもを育てるという“親業”の機会が沢山)
その一つの親業の学ぶ場が“今のPTA”なのかなって思います。・・・・
あえて・・・“今のPTA”って書きました。
PTAがその学ぶ場として一番いいところなの?という質問があったとすれば・・・
正直・・・“今のPTA”では・・・・うーんと悩んでしまうかもしれません。(笑)
本来の言葉の持つ意味からすれば・・・・
PTA・・・って親(保護者)と教師の協働・・・だとすれば・・・
子どもを取り巻く環境の大切な二つの要素の融合・・・
学校教育と家庭教育の現場の人たちが手を取り合って…という図式なんですよね・・
そういう形であれば・・・
PTA活動=大人の子育て・・・みたいなもので・・・
学校教育と家庭教育の融合した地域教育の実践としてPTAが存在するのかなって
現実・・・
PTA活動で・・・PとTが・・・同じくらい汗を流している所って・・・・
一体どのくらいあるのかな?って・・・思います。
PTAって・・・
イメージが・・・保護者が動いているイメージが強いのは私だけなのでしょうか?
これは実働いう意味です。
PTA活動に率先して関わっている校長、教頭、教務主任・・・いらっしゃいますから
PTA役員の人選・・・
Tの方も平等に・・・その役員選出に加わっている学校ってあるのでしょうか?
職務という範疇ではなく・・・純粋にPTAの会員の一人として・・・
Tの方が・・・自身のお子様の分の役員を違う学校で受けるという話・・・
現実にそういう状況も目の当たりにしています。・・・昼間の会議の参加にはご苦労も
でもそういう会議や時間をその学校がPTA活動にいってらっしゃいって・・・
気持ちよく送り出してくれているとしたら・・・凄いことですよね。◎
現実的な話として・・・
先生方は、忙しい・・PTA活動でPなみに一緒にっていう部分は・・???
(担任や担当を持っていらっしゃる方は、学年役員や委員会所属と同等?って意見も)
この部分を話の争点にしたいのではなく・・・
PとTの関わり方に物理的な相違がある・・・・っていう認識が共通なら・・
PTAって・・・もしかしたら・・・そのそもそも論から考えないといけないのかな?
大げさにいえば・・・・
名称・・・
意義や目的・・・・
それが・・・“今のPTA”から・・・“未来のPTA”へ一歩踏み出す?・・・
PTA?って・・・
色々なところでいろいろな議論が・・・・
全く逆の発想で・・・・
一つ一つの学校で・・・それぞれの特色あるPTA活動がある・・・
そこにはそれぞれのPとTの関わりがある・・・・
だから・・・あえてPTAという一つの土俵でまとめようとしないで欲しい!!って
一つ一つの学校の中でうまく機能していれば良いのではないか?・・・って
だって・・・単位PTAが基本の単位で…
自分たちの子どもが・・・そこで育っていくのに支障がなければ◎なのでは?って
なるほど・・・・こういう発想もありなんでしょうかねぇ??・・
最近・・・
PTA役員選出にあたっての・・・保護者の皆さんの苦悩?のコメントを沢山拝見して
このそもそものところ…
求められる活動?・・・必要な活動?・・・
なんなのかな?って・・・ちょっと迷宮に入りそうな感じがしています。(笑)
すると・・・
そもそもPTA?ってという処に・・・辿りついて行きそうな気がして…・
私のところに頂いたゆーいちおじさんのコメント・・・
確かに・・・そう・・・PTAという言葉の持つイメージや思い…違うんですよね。
その部分の意思統一がしっかりできていなければ・・・
そもそもが・・・違うのなら・・・先に進めるわけがない(笑)
ここでまた違う声が・・・
その曖昧さが・・いいんだよ・・・PTAを理詰めで考えたら・・・だめだめ!?
PTA・・・・さぁて・・・どこから・・・・考えましょうか?(笑)
最後までお付き合いありがとうございました。
読んだよ!って方は・・・最後のお付き合いでどれか一つボタンを押して頂けませんか
行き先のボタンでご希望があれば・・・用意させていただきます。(^-^ゞ
子供は祖先から贈られた授かりもの、預かりもの。
命をつなぐバトンランナーの子供たちを、しっかり育てよう。
どの子も国を支え、未来を担う至宝だ。玉も磨かねば光らない。
願いを込めて、子供たちを立派に磨きあげ、世の中にお返ししよう。
授かりもの、預かりもの・・・・・
そして・・・最後にはお返ししよう・・・・という発想・・・・
命をつなぐバトンランナー・・・
この思いが親と子の共通理解で・・・しっかりあれば・・・
痛ましい事件や事故・・・かなり無くなると思いますが・・・
虐待・・・自殺・・・こういった言葉を耳に・・・目に・・しない日はない…
子ども・・・その子を持つ親・・・その親の親・・・まさに命の伝承が・・
そしていずれその子どもも・・・・
ここにお越しの多くの方は、PTA世代・・・まさにその伝承の最中ですね。!!
子どもたちへの教育へ・・・・
国を支え、未来を担う至宝・・・という自覚の教え・・・
玉を磨くという行為の一環の学校教育や家庭教育・・・そして地域教育・・・
こう言ったものを解りやすく出来るといいと思いますが・・・
国を支え・・なんて言葉を使うと・・・主義主張という・・・違う争点が??
日本人であり・・・日本国民であり・・・日の丸が国旗と決まって言う以上・・・
自身の国を愛し・・・自身の国旗を愛し・・・自身の国家を愛して・・・
その愛すという部分・・・自身でこの国家を支えていくんだという思いの情操・・・
子どものうちからしっかり育てていくべきだと思いますが・・・・
(私は思想的には何もないので・・・純粋に日本人としての誇りを持つことが大切だと)
子どもという範疇がどこまでという定義…
ただ、間違いなく・・・小中時代は・・・子どもという範疇に・・・
その義務教育の時代が子どもが子どもであるならば…・
その子どもを持つ親は・・・・子育て中の親である・・・
つまり・・親自体も親業という部分では・・・成長期の真っ只中!?って思いませんか?
お子さんをたくさん持つ親は・・・その親業を何度も体験?体得する機会をもった(笑)
(いい意味で恵まれた環境にある・・・子どもを育てるという“親業”の機会が沢山)
その一つの親業の学ぶ場が“今のPTA”なのかなって思います。・・・・
あえて・・・“今のPTA”って書きました。
PTAがその学ぶ場として一番いいところなの?という質問があったとすれば・・・
正直・・・“今のPTA”では・・・・うーんと悩んでしまうかもしれません。(笑)
本来の言葉の持つ意味からすれば・・・・
PTA・・・って親(保護者)と教師の協働・・・だとすれば・・・
子どもを取り巻く環境の大切な二つの要素の融合・・・
学校教育と家庭教育の現場の人たちが手を取り合って…という図式なんですよね・・
そういう形であれば・・・
PTA活動=大人の子育て・・・みたいなもので・・・
学校教育と家庭教育の融合した地域教育の実践としてPTAが存在するのかなって
現実・・・
PTA活動で・・・PとTが・・・同じくらい汗を流している所って・・・・
一体どのくらいあるのかな?って・・・思います。
PTAって・・・
イメージが・・・保護者が動いているイメージが強いのは私だけなのでしょうか?
これは実働いう意味です。
PTA活動に率先して関わっている校長、教頭、教務主任・・・いらっしゃいますから
PTA役員の人選・・・
Tの方も平等に・・・その役員選出に加わっている学校ってあるのでしょうか?
職務という範疇ではなく・・・純粋にPTAの会員の一人として・・・
Tの方が・・・自身のお子様の分の役員を違う学校で受けるという話・・・
現実にそういう状況も目の当たりにしています。・・・昼間の会議の参加にはご苦労も
でもそういう会議や時間をその学校がPTA活動にいってらっしゃいって・・・
気持ちよく送り出してくれているとしたら・・・凄いことですよね。◎
現実的な話として・・・
先生方は、忙しい・・PTA活動でPなみに一緒にっていう部分は・・???
(担任や担当を持っていらっしゃる方は、学年役員や委員会所属と同等?って意見も)
この部分を話の争点にしたいのではなく・・・
PとTの関わり方に物理的な相違がある・・・・っていう認識が共通なら・・
PTAって・・・もしかしたら・・・そのそもそも論から考えないといけないのかな?
大げさにいえば・・・・
名称・・・
意義や目的・・・・
それが・・・“今のPTA”から・・・“未来のPTA”へ一歩踏み出す?・・・
PTA?って・・・
色々なところでいろいろな議論が・・・・
全く逆の発想で・・・・
一つ一つの学校で・・・それぞれの特色あるPTA活動がある・・・
そこにはそれぞれのPとTの関わりがある・・・・
だから・・・あえてPTAという一つの土俵でまとめようとしないで欲しい!!って
一つ一つの学校の中でうまく機能していれば良いのではないか?・・・って
だって・・・単位PTAが基本の単位で…
自分たちの子どもが・・・そこで育っていくのに支障がなければ◎なのでは?って
なるほど・・・・こういう発想もありなんでしょうかねぇ??・・
最近・・・
PTA役員選出にあたっての・・・保護者の皆さんの苦悩?のコメントを沢山拝見して
このそもそものところ…
求められる活動?・・・必要な活動?・・・
なんなのかな?って・・・ちょっと迷宮に入りそうな感じがしています。(笑)
すると・・・
そもそもPTA?ってという処に・・・辿りついて行きそうな気がして…・
私のところに頂いたゆーいちおじさんのコメント・・・
確かに・・・そう・・・PTAという言葉の持つイメージや思い…違うんですよね。
その部分の意思統一がしっかりできていなければ・・・
そもそもが・・・違うのなら・・・先に進めるわけがない(笑)
ここでまた違う声が・・・
その曖昧さが・・いいんだよ・・・PTAを理詰めで考えたら・・・だめだめ!?
PTA・・・・さぁて・・・どこから・・・・考えましょうか?(笑)
最後までお付き合いありがとうございました。
読んだよ!って方は・・・最後のお付き合いでどれか一つボタンを押して頂けませんか
行き先のボタンでご希望があれば・・・用意させていただきます。(^-^ゞ