薪を積む
2011-03-24 | 日常
3月11日の震災。私のふるさと宮古市鍬ヶ崎は、壊滅的な被害を受けた。幸いなことに宮古や大槌在住の友人、知人は、命に別状はなかったが、厳しい避難所での暮らしが続きそうだ。幼い頃から慣れ親しんだ魚市場の風景や近所のじいちゃん、ばあちゃんとの温かい暮らし。それらが、失われてしまったのがなによりも悲しい。亡くなられた方々のご冥福をお祈りする。
さて、、、我が家も被災した。といっても、二階の部屋の物品が滅茶苦茶に散乱したのと、1階で若干の物品破損。取り付け道路の陥没。そして、来年用と再来年用に積んでいた薪が崩落。
仕事が忙しかったのと食料や灯油を求めるのが困難を極めたため、自宅の復旧は最小限しか進まなかったが、この3連休でやっと手がついた。家の中は、とりあえず家具を元の位置に戻して、散乱した本やCDは、整理せぬまま平積み。その後で、写真の欅の積みなおし。
一日かけてただひたすらに積む。時折、ふと子供の頃の宮古を思い出す。優しかった宮古のじいちゃんやばあちゃんの面影。懐かしいトーンの宮古弁。幼い頃食べた焼きカゼ(焼きうに)の香ばしさ。生姜醤油で食べるパリパリとしたスルメイカのお刺身の食感。岸壁の油分を含んだ潮風の匂い。サバやサンマを山盛りに積んだトラックの行き交う音。いろんなことを思い出す。
午前中のいい天気が、昼食後すぐに曇り始めた。薪積みは、まだ半分とちょっと。大きさをうまく組み合わせながら、積んでいく。基本的に無心である。なにも考えない。駐車場のアスファルトの山積みの薪を2、3本掴み、縦に並べ、次の段は横に並べる。4時をまわって黒雲が広がり、小雨が降り始めた。縦に横に徐々に薪が積みあがる。積んだ薪を見ると小さな満足感がある。確かにここに薪があり、確かにここに私がいる。
この薪を焚くのは、再来年。その頃には、宮古や沿岸部の町はどのくらい復旧しているのだろうか。家族や友人を失った人には、早く立ち直れというのは酷だと思うが、少しずつでも前に進んでいかなければならない。生きて元気な人が立ち止まってしまったり、自粛ばかりしていては、被災地の復旧もままならない。自分が今できることは何かを考え、少しでもいいからそれを実行していきたい。

さて、、、我が家も被災した。といっても、二階の部屋の物品が滅茶苦茶に散乱したのと、1階で若干の物品破損。取り付け道路の陥没。そして、来年用と再来年用に積んでいた薪が崩落。
仕事が忙しかったのと食料や灯油を求めるのが困難を極めたため、自宅の復旧は最小限しか進まなかったが、この3連休でやっと手がついた。家の中は、とりあえず家具を元の位置に戻して、散乱した本やCDは、整理せぬまま平積み。その後で、写真の欅の積みなおし。
一日かけてただひたすらに積む。時折、ふと子供の頃の宮古を思い出す。優しかった宮古のじいちゃんやばあちゃんの面影。懐かしいトーンの宮古弁。幼い頃食べた焼きカゼ(焼きうに)の香ばしさ。生姜醤油で食べるパリパリとしたスルメイカのお刺身の食感。岸壁の油分を含んだ潮風の匂い。サバやサンマを山盛りに積んだトラックの行き交う音。いろんなことを思い出す。
午前中のいい天気が、昼食後すぐに曇り始めた。薪積みは、まだ半分とちょっと。大きさをうまく組み合わせながら、積んでいく。基本的に無心である。なにも考えない。駐車場のアスファルトの山積みの薪を2、3本掴み、縦に並べ、次の段は横に並べる。4時をまわって黒雲が広がり、小雨が降り始めた。縦に横に徐々に薪が積みあがる。積んだ薪を見ると小さな満足感がある。確かにここに薪があり、確かにここに私がいる。
この薪を焚くのは、再来年。その頃には、宮古や沿岸部の町はどのくらい復旧しているのだろうか。家族や友人を失った人には、早く立ち直れというのは酷だと思うが、少しずつでも前に進んでいかなければならない。生きて元気な人が立ち止まってしまったり、自粛ばかりしていては、被災地の復旧もままならない。自分が今できることは何かを考え、少しでもいいからそれを実行していきたい。
