請求書を書く。
それを茶封筒にいれる。
封筒に先方さんの住所を書く。
見もせずにスラスラ書けるなー
と、関心していたら自分の住所を書いていた。
請求書を書く。
それを茶封筒にいれる。
封筒に先方さんの住所を書く。
見もせずにスラスラ書けるなー
と、関心していたら自分の住所を書いていた。
『フリンジ』は面白い。
そしてパラレルワールドはそこはかとなく面白い。
『フリンジ』では微妙に違う「もうひとつの世界」がテーマになっている。
微妙とはいっても実際には大きな違いがある。
あちらの世界には今でもツインタワーが建っている。
自由の女神がブロンズ色をしている。
大都市の上空を巨大な飛行船が飛んでいる。
誰々が生きてて、誰々が死んでいたりする。
政治やテクノロジーの発展にも少なからず違いがある。
ここまでくるともう「微妙」な違いとは言えない。
なのに、双方の世界に同じ自分が存在している。
こんなことが起こりえるのだろうか。
答えはNOだ。
二つの世界があって、同じ自分がいて、その生い立ちや境遇に違いがある。
なんてことはほぼ起こりえない。
似た二つ世界はあっても、そこに生存する人間は同じにはなりえないのだ。
なぜか。
それは極めて簡単。
同じDNAを持つ、同じ人間は受精の条件がすべて同じでないと誕生しえない。
『フリンジ』ほどに二つの世界が違っていたら人の行動は同じにはなりえない。
二つの世界で、自分を生む親の行動が同じにならない以上、受精の条件は一致しない。
似たもの同士は誕生しても、一卵性双生児と二卵性双生児くらいの違いは出てくる。
違い過ぎたパラレルワールドには二人のダナムは存在しえないことになる。