今日も更新。「読書」です。
帯に「24時間戦う遺体科学者 動物進化の神秘へ迫る」。もちろん写真も満載。何やら尋常ならぬ著者の顔写真も魅力的で、つい買ってしまったらかなりおもしろかった。
本書の美点は多い。まず生物の本としては異例といえるリリックな表現、そして同じ解剖学の養老孟司氏にも通じる明快さ、さらに前回書いた同世代の酒井邦嘉氏にも通じる学術への愛である。
それにしても解剖学の人は、どうしてこんなにすっぱりとものを割り切れるのだろうか。構造を考える合理性は、本書のすっきりした構成に現れている。1~2章で、腐乱との競争や解剖学の歴史といった初心者へのガイドラインを示し、3章は「硬い遺体」として骨格、4章は「軟らかい遺体」として「内臓」、そして最終章を「遺体科学のスタートライン」。この構成に著者のもののみ方がよく出ている。
ふだん「自然の神秘」などとひとくくりにしているが、こういう本を読むと生物とは本当によくできていると思う。たとえば、文系的に、人間的になら、ある人物をみてこの人はこういう風に生きてきたのだろうとか、いやいやそうでなくこうなのではないだろうかとか考えてもそうかんたんに答えは出ないが、多くの生き物の場合、その構造的な来歴はもっとシンプルだ。それでも、多くの学者が考えて謎とされることがあるものおもしろい。
本書で知ったことは多い。たとえば、ウシの胃が四つあるとは知ってはいても、ただ単に草は消化が悪いから多くあるんだろうくらいにしか思っていなかった。まさか腹の中に最近を飼ってそいつらに草を食わせて増やしそれをエネルギーにするという複雑な過程を経ていて、そのために四つの胃が分業しているとはびっくりだ。
そして遺体科学の未来への不安。一見役に立たないかに思える、こうした研究への予算は減っているという。アカデミックな世界では、人文学系はじめリストラの波が押し寄せていて、世の中全体からみればそれはしかたないことかも知れない。けれど、著者のような真摯な研究者に思う存分研究を続けさせることは社会の義務と思い、そのためには新たなシステムが必要だろうが、一体どうしたらいいのだろう。
4月21日読了 確か新宿小滝橋通りの本屋
(BGMはJ-WAVE。CMでやっていたハンバート・ハンバート。NHKのライブビートできいて気に入っているが、こういう音楽が売れるだろうか。今日のテキストは動物続きで、昨日の毎日夕刊「クマの冬眠大作戦」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2006/09/04/20060904dde001040002000c.html)。がんばれクー、寝るだけだけど)
帯に「24時間戦う遺体科学者 動物進化の神秘へ迫る」。もちろん写真も満載。何やら尋常ならぬ著者の顔写真も魅力的で、つい買ってしまったらかなりおもしろかった。
本書の美点は多い。まず生物の本としては異例といえるリリックな表現、そして同じ解剖学の養老孟司氏にも通じる明快さ、さらに前回書いた同世代の酒井邦嘉氏にも通じる学術への愛である。
それにしても解剖学の人は、どうしてこんなにすっぱりとものを割り切れるのだろうか。構造を考える合理性は、本書のすっきりした構成に現れている。1~2章で、腐乱との競争や解剖学の歴史といった初心者へのガイドラインを示し、3章は「硬い遺体」として骨格、4章は「軟らかい遺体」として「内臓」、そして最終章を「遺体科学のスタートライン」。この構成に著者のもののみ方がよく出ている。
ふだん「自然の神秘」などとひとくくりにしているが、こういう本を読むと生物とは本当によくできていると思う。たとえば、文系的に、人間的になら、ある人物をみてこの人はこういう風に生きてきたのだろうとか、いやいやそうでなくこうなのではないだろうかとか考えてもそうかんたんに答えは出ないが、多くの生き物の場合、その構造的な来歴はもっとシンプルだ。それでも、多くの学者が考えて謎とされることがあるものおもしろい。
本書で知ったことは多い。たとえば、ウシの胃が四つあるとは知ってはいても、ただ単に草は消化が悪いから多くあるんだろうくらいにしか思っていなかった。まさか腹の中に最近を飼ってそいつらに草を食わせて増やしそれをエネルギーにするという複雑な過程を経ていて、そのために四つの胃が分業しているとはびっくりだ。
そして遺体科学の未来への不安。一見役に立たないかに思える、こうした研究への予算は減っているという。アカデミックな世界では、人文学系はじめリストラの波が押し寄せていて、世の中全体からみればそれはしかたないことかも知れない。けれど、著者のような真摯な研究者に思う存分研究を続けさせることは社会の義務と思い、そのためには新たなシステムが必要だろうが、一体どうしたらいいのだろう。
4月21日読了 確か新宿小滝橋通りの本屋
(BGMはJ-WAVE。CMでやっていたハンバート・ハンバート。NHKのライブビートできいて気に入っているが、こういう音楽が売れるだろうか。今日のテキストは動物続きで、昨日の毎日夕刊「クマの冬眠大作戦」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2006/09/04/20060904dde001040002000c.html)。がんばれクー、寝るだけだけど)
この本は読んでいないので、書き込みすること躊躇いましたが、管理人さんの最後の意見が気になりそれで一言。
よく管理人さんとは、例えば商店街の衰退などの議論になると、整合化、合理化の極致とも言える複合スーパー台頭の中、衰退は仕方ないのではないか、という結論になりますね。
しかし、人間の存在そのものが複雑であり未知なる物である以上、合理化のすすんだ世界は住みにくいのではないかと思うのが私の意見。当然学問の分野でもそういう流れだと危ういものを感じます。
でも、今の日本の代表が「合理化と簡潔さ」を金科玉条にしてるくらいなので、つまりそういう人が一般ウケしてるくらいだから、すぐ状況が良くなることはないでしょう。
しかしそろそろ「合理化、簡素化=正」
「複雑性、難解さ=否」という単純な図式を見直してもらいたいです。
ワインの話も絡めてもっと語りたいところですが、オシム監督じゃないけど、話し出すとキリがなくなるのでこのへんで。また、語り合いましょう。
よく話をする「衰退やむなし産業」は、いずれも「市場」という観点で考えた場合です。本書のような市場原理から遠い営みをどうしたらいいかというのは、市場から離して考えるテーマ。それでも「合理化」というと、同じ地平で語られてしまう点が難しいところです。
詳しくはまた、よく話しましょう。