モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

益(祝福)

2022-02-26 05:39:49 | わたしに従って…
喜びの便り 2月26日
彼女…は…今ある以上のものを与えてくださる神の力を疑ったのです。
(わたしに従ってきなさい 2月20日)


キリストに従うと‟損をする”ことがあります。
その瞬間はそうであるかもしれません。

結果的に益になるのでなければ、主に従う気にはなれません。
益(祝福)を受けていますか。


‟什分の一”という戒めがあります。
収入の10%を主の業のために教会に納めます。

教会に十年集えば年収分になります。
それ以上の祝福が福音にあるので感謝できます。
祝福がなければ惜しむ気持ちになるでしょうね。


信仰生活において‟受けている祝福”を知ることは大切です。
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帰りたい

2022-02-24 05:16:08 | わたしに従って…
喜びの便り 2月24日
ロトの妻が犯した間違いは、単に振り返ったことではなく…帰りたいと願ったこと…
(わたしに従ってきなさい 2月20日)


伝道部長に電話がかかってきました。
宣教師からの質問でした。
「ノンカフェインのコーヒーならOKですか」

教会員が集まり、改宗する前を懐かしんで
ノンアルコールビールでパーティーをしたという話を伝えました。

彼は言いました。
「その心を持って主の前に立てると思いますか」


キリストを信じて前に進むのでしょうか。
それとも「昔に帰りたい」と願うのでしょうか。

デュベ長老の「先を見て信じる」というお話が心に残っています。
「振り返ってはダメ…先を見ていなさい」
(2013年10月総大会)
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証明

2022-02-22 05:47:22 | わたしに従って…
喜びの便り 2月22日
アブラハムは自身の忠実さを証明しました。
(わたしに従ってきなさい 2月20日)


聖餐の祈りにはこのようにあります。
「永遠の父なる神よ、あなたに証明して…」
どうすれば証明することができるのでしょうか。


「願い求め…進んで…」
自らの意思で進んで従うのと、罰を恐れて従うのには、
どのような違いがあるのでしょうか。

カインとアベルの捧げもののように、
見た目には違いが分からないかもしれません。

「主は心を見る」サムエル上16:7
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2022-02-20 06:29:16 | わたしに従って…
喜びの便り 2月20日
アブラハムは…義に叶った者となることを望んでいました。
(わたしに従ってきなさい 2月13日)


福音に出会う前、考えていました。
「自分の人生には何かが足りない」

宣教師に出会ったとき感じました。
「足りなかったものを見つけたような気がする」


義という漢字は「羊」と「我」から成ります。
‟キリストの羊として存在する我(自分)”を意味します。

主の「羊」になったときに見つけたもの、
それは‟「我(自分)」の存在する意味”でした。


漢字を考案した人は
キリストの福音を知っていたようですね w
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問題のある家庭

2022-02-19 05:23:17 | わたしに従って…
喜びの便り 2月19日
アブラハム…は問題を抱えた家庭に生を受けました。
(わたしに従ってきなさい 2月13日)


わたしも問題を抱えた家庭に生まれました。

その経験のおかげで今があります。


子供たちも問題を抱えた家庭に生まれました。
それは親であるわたしの責任です。

そのおかげで、両親の苦しみを理解できるようになりました。


子供たちは家庭を持ちました。
これから同じような経験をするのでしょうね。
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